太平洋側の山で未踏のブナ名山があった。伊豆の山は常緑樹が多い印象があって、なかなか足が向かなかった。しかし天城山は別で、山中には太平洋側の山では珍しい、ブナの原生林が残されているという。
天城高原ゴルフ場から登り、万二郎岳~万三郎岳と歩き、さらにそのブナ原生林があるという天城縦走路に足を伸ばす。車の関係で縦走せずに途中で戻ることになるが、天城一のブナ巨樹が皮子平にあるとのことなので、そこまで行ってみる。
なお、天城山のルート詳細は
一般のページに記している。
小岳付近のブナ純林 [拡大]
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尾根通しは古い二次林?
天城山のブナは縦走路だけでなく、万二郎岳から万三郎岳間の主稜線にもたくさん見られた。ただ、場所によってそのブナの樹齢に違いが見られた。一言で言えば、尾根筋だけ若いということだ。
全体的には歳を重ねた巨樹が多いものの、万三郎岳からの縦走路の尾根通しに限ると、比較的若いブナが立ち並んでいたのが印象に残った。
いずれにしても、これほどまでのブナの純林は太平洋側の山では珍しい。
万二郎岳から主稜線を進み、アシビのトンネルやアマギシャクナゲの林を抜けると、ブナが急に増えてくる。巨樹・老樹ばかりで、直径70cmから1m近くののものが続いていた。それに幹や枝を異様にくねらせたものも多い。箱根三国山のブナと同系統と言えそうだ。樹齢でいえば300年近いだろうか。
ブナだけでなくアシビ、カエデなども含めこの主稜線で見られる樹木はみな巨木ばかりで、太古の昔からの姿がそのまま残っているようだ。
一方、万三郎岳から西に伸びる縦走路に入ると、登山道沿いには巨樹のブナもたまに見られるものの、多くは直径30cm~50cm、樹齢で言えば100~150年くらいの壮年ブナが続いている。笹も生えておらず原生林のようにも見えるが、稜線は同じような樹齢のブナが連なっていることから、尾根筋に限って言えば、かなり昔(200年くらい前)に一度人間の手が入り、今見ているのはその後形成された二次林のように、自分には見えた。
ただし、小岳の先でヘビブナを見に尾根を外れると、ヘビブナの周りは尾根筋と様子が違って原始性のある巨樹の森となっていた。極端に言えば、尾根通しの登山道のある部分だけがブナが若い。
「天城一のブナ」(皮子平) [拡大]
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ブナに適した多湿多雨の山
天城山は信仰の山というわけではないので、伐採されずによくこれだけのブナが残っていると感心したが、帰って調べてみると、鎌倉時代から江戸時代まで、天城山は幕府直轄林として公用目的以外の伐採が厳しく禁止されていたらしい。それでも明治から昭和にかけての産業発達期に拡大造林の流れをよく回避したと思う。
天城山と言えば天城越え・天城峠で知られる。南伊豆に住む人にとっては昔から、江戸や東京に行くのに越えなくてはならない難所だったようだ。伊豆スカイラインをはじめ交通網が発達し、登山道ができてしまえばさしたる苦労もなく登れてしまうのだが、昔は入山するのも大変な山だったのだろう。
天城山は山中の湿度が高く、年間降水量も4000mmを超える、多湿多雨の山である。平均気温は意外と低く、年間で7~15度の範囲内と、ブナが生きるにはいい条件がそろっている。霧の出やすい地域というのもブナにとっていい方向に働いているはずだ。(箱根金時山の記録を参照)
太平洋側の山は、下手に内陸よりも海に近いほうがブナが育つのかもしれない。
小岳を越えて少し高度を下げると、足元には双葉の1年生ブナがいっぱいあった。これだけ木が多ければ、結実・発芽も至るところで見られるだろう。しかし、稚樹や成木化した青年ブナは、縦走路には見られなかった。発芽は盛んだが、それ以降うまく成長を果たせていないと思われる。
天城縦走路のブナ林は、今ある樹木群が老齢化して倒れてしまえばそれで終わりの、長い目で見ればいわばブナの墓場となっているのかもしれない。
もっとも、それは100年単位での先の話である。今見られる壮年ブナそのものは枯れているものも見られず、害虫その他の影響で葉が痛んでいる様子もない。全体的に順調に生育しているように見えた。
縦走路をすべて歩いたわけではないので、天城山のブナがすべてそうかはわからない。戸塚峠以西もブナ林は続いているようで、ここまではほとんど見られなかったスズタケも林床にあるとのことで、また別の植生なのかもしれない。
いずれ縦走して確かめてみたい。
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2018年5月20日(日) 探索
ルート:天城高原ゴルフ場-万二郎岳-万三郎岳-戸塚峠-皮子平-戸塚峠-万三郎岳-天城高原ゴルフ場
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