太古の昔、伊豆半島は日本列島のはるか南にあって、それがフィリピン海プレートの活動でどんどん日本に近づいていき、ついにはぶつかった。その際、南北からの押す力によって盛り上がったのが天城山塊と言われている。古い火山で、最高峰万三郎岳の西方には火口跡も見られる。
ヒメシャラの巨樹 [拡大]
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そうした歴史感のある自然を抱いた伊豆半島が今年の4月、ジオパークに認定された。
東西方向にに形成された尾根が、今は天城縦走路として歩かれている。縦走は7時間ほどで踏破でき、標高差もそれほど大きいものではない。電車バス利用で縦走しようかとも考えたが、アマギシヤクナゲの咲く今の時期は、登山道が渋滞になるほど混雑するそうだ。
今回は、車でアプローチしてできるだけ早い時間から歩くようにした。
なお、天城山のブナ林の詳細は日本ブナ百名山のページに掲載している。
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東名高速を沼津で降り、国道を南下。伊豆スカイラインは6時前なので無料だった。
なんとなく空模様があやしいと思っていたら、ポツポツときてしまった。登山口のある天城高原ゴルフ場は標高1000mを超え、ガスと強風の中である。駐車場にはすでにたくさんの車が停まっていたが、この状況では歩き出すのが少しためらわれた。早く着いた意味がなくなってしまうけれども、車の中で少し様子を見る。
7時になってもガスと強風は変わらない。午後から好転するという予報を信じて出発する。天城山登山口から樹林帯に入ると、ヒメシャラがあった。大木である。肌色に近い樹皮は艶かしく、今にも動き出しそうだ。
やや下って、四辻から万二郎岳に向けて緩やかな登りとなる。
緑濃くなりつつある広葉樹の森だ。ヒメシャラの他、カエデやイヌツゲ、リョウブ、アシビなどが見られるが、樹齢を重ねた巨樹が目立ち若い木が見られない。オオモミジなとはブナと間違えそうな太さで立っている。
ガスが濃いが雨は大丈夫そうだ。ただ、葉の上に溜まった雨水が風で落ちてくるので、雨が降っているように錯覚する。
風の音が大きくなると稜線が近づき、万二郎岳の山頂となる。ガスがないとしても樹林の中なので展望はない。
何本にも幹分かれしたアシビの巨木がある。アシビもこんなに大きくなるのか。奥多摩などで見るアシビは、つつましやかな白い花をつけた中間木のイメージだが、ここのはまるで違い、同じ木とは思えない。
万二郎岳からの下りは少し岩っぽくなっていた。ヒメシャラの明るい色がここでも存在感を見せている。
樹木にはプレートで名前が書かれているのを時々見る。「クマシデ」があり、鋸歯状の葉を観察すると、図鑑で見ていたそのものだった。葉を見てこれがシデだと確信を持って言えることが今までなかった。これをきっかけに、今後は少し同定ができるかもしれない。
なだらかな主稜線となる。アシビのトンネルに入っていくと、人間の腕よりずっと太い枝が頭上に縦横に張り巡らされている。自分の中でアシビのイメージが今日、完全に変わってしまった。
石楠立という鞍部に着く。これで「はなだて」と読ませるのはなかなか洒落ている。その石楠立から先はアマギシャクナゲの群生地になるということだが、花はあまり咲いていない。もう花期を過ぎたのか、それとも強風と雨で飛ばされてしまったのだろうか。その割には地面に花びらが落ちていないので、花数自体が少ないようである。
このアマギシャクナゲも、奥秩父などで見るアズマシャクナゲと比べて木の背が高い。
開花したてのサラサドウダンを見るうち、やがてブナが登山道の周りを囲むようになる。他の樹木と同様、ブナもやはり巨木である。この山はさながら、巨樹・奇樹の見本市である。
万三郎岳へはちょっとした登りとなる。トウゴクミツバツツジが咲き競う。少し頭上が明るくなるのを感じる。斜面をふと見ると、1本だけブナの稚樹があった。
天城山の最高点、万三郎岳に到着。強風は続きまだガスの晴れない中、狭い山頂はたくさんの登山者で溢れ返っていた。
ここに来るまでも、絶えず前後に登山者を見ていたのだが、ほぼ全員が若いカップル(夫婦?)だった。時間が早いせいもあるかもしれないが、中高年登山者はほとんどいない。もしかしたら自分が一番年上かもしれない。
最近の日本百名山は意外と若い登山者を多く見る。やはり彼らも、まずは肩書きのついたものを優先して、登る山を選ぶのか。
それにしても、これほど巨樹・老樹だらけの天城山に若者が集中しているのは、見ていて何だか不思議である。
万三郎岳からさらに西へ。トウゴクミツバツツジがよく咲いている。帰りに使うシャクナゲコースを分け、天城縦走路に踏み入る。緩やかに下っていくと風は止み、ガスも切れる。
周囲はブナが急に増えてきた。ヒメシャラやツツジもあるが、鞍部の片瀬峠のあたりはあっと驚く重厚なブナ純林になっていた。太平洋側の山でこれほどブナが固まっているのは、三頭山でさえも見たことがない。小岳あたりはさらにブナ純林度が増し、感動の図である。
天候が劇的に回復してブナの枝葉の間から覗く空の色は、鉛色からいつしか青に変わっていた。
指導標にしたがって、ヘビブナを見にいく。稜線を外れると巨樹が多くなる。ヘビブナはS字によじれた奇樹だが、天城山東側の稜線でもすごい形のブナが多かったので、びっくり感はあまりない。天城山ならこれくらいはあるでしょ、という感じだ。しかしそれでも奇妙な形である。
方向をやや北に変え、比較的長い下りとなる。この部分は少し足元が悪かった。
再び伸びやかな尾根筋となると、密度の高いブナ林がまだ続いていた。1年生の双葉ブナが足元に多く見られるが、それが成長して背が高くなった木は見られない。毎年双葉ブナは発芽しても、この山で成長することは果たせていないのかもしれない。
戸塚峠に着く。ここで縦走路を外れ、皮子平に下りていく。双葉ブナがここにもたくさん、芽を出している。うまく成長してくれるといいのだが。
登山道はロープで仕切られているものの、指導標もなく現在位置がわかりにくい。東皮子平から、少し林道を直進してみる。ヒノキの植林があり、派手に倒れている木が何本かあった。
西皮子平方面へ向かうと、天城一といわれている巨大ブナが立っていた。天城一の割には、他から抜きんでた巨樹というわけではなく、直径も1mを少し超えたくらいだった。
その先にあるヒメシャラの群落、これが見てみたかった。平坦な地に、直径10cm前後のヒメシャラが、ヒョヒョロと間隔を置いて伸びている。5000本あると言われている。何だか異次元的な空間だ。
ここまで見てきたヒメシャラは、圧倒されるような大木もあれば、このように細身のものもあった。これは単に木がまだ若いからなのだろうか。頭上を他の広葉樹の枝葉で覆われているので、光が差し込まず成長が止まっているようにも見える。
ただ、ちょうど居合わせた人によると、10数年前は人間の背丈くらいしかなかったのだが、今は2mくらいに伸びてきたと言う。
また、このヒメシャラ群落はみな同じ高さなので、人が種を撒いたものではないかとも言っていた。たしかにそういう見方もできるが、これはやはり自生のもののような気がする。ある時期この一帯の植物が一斉に枯死して、明るくなった台地でヒメシャラの実が一斉に芽吹き、成長したのではないか。笹など植物の一斉開花や枯死は現象として珍しいことではない。
ある植物の変化が他の植物の植生に劇的な作用を生み出すのは、自然界では当たり前のことだ。自然の繰り出す生命のサイクルは時に、信じがたい事象を生み出す。
ブナはもう、見飽きるほど見た。戸塚峠に登り返し、来た道を戻る。縦走中と思われる登山者と何人もすれ違う。おそらくバスで来ているのだろう。
車利用では、縦走終点の天城峠まで行ってしまうとその後、当日中に車を回収するのは無理がある。やはり今日は縦走をしたかったが、そうすると時間に追われっぱなしの、忙しい登山になってしまうかもしれない。車で来てのんびり一周+αのプランも、なかなか捨てたものではない。
小岳から尾根を北上していく。樹林の切れ間から青空をバックに万三郎岳、または峰続きのピークが見える。山肌はトウゴクミツバツツジの紫で染められていた。反対側には時折、富士山も見える。朝方の荒れた天気から、富士山を拝めるまで回復した。山の天気はやはり変化が早い。
気合いで登り返しをこなし、万三郎岳にもう一度寄っていく。いまだに人が多い。青空とトウゴクミツバツツジの紫の対比が見事だ。
トウゴクミツバツツジ [拡大]
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天城山は展望が大きく開けるところは皆無だが、それを補って余りある森林美が登山者を癒してくれる山、と言うことができるだろう。
シャクナゲコースで下山する。階段状の急な下りを終えると、それ以降はほぼ平坦なトラバース道となる。しかし崩れているところもあってやや注意を要する。しかも思いのほか長かった。
シャクナゲはやはり申し訳程度しか咲き残っておらず、ブナやヒメシャラがここでも主役となっていた。以降、四辻までは緩やかに登っていく行程が何度かある。
四辻から15分ほどで
天城登山口に到着した。
シャクナゲは少なくとも、他にも魅力をたくさん持った山である。季節を代えてまた登ってみたい。
また、戸塚峠以西の縦走路も歩かないわけにはいかないだろう。都心からの電車・バスの便も割合と接続がスムーズなので、今度は利用してみたい。