今年の夏は飯豊連峰を縦走した。福島県の川入から入山し山形県小国の飯豊山荘に下りるという、15年前とほぼ同じルートを行く。ただ今回は、飯豊の最高峰・大日岳に登る。大日岳は主稜線から外れているため、ここに寄ると基本的に1日余計にかかることになる。前夜民宿泊を含めて4泊5日の長旅となる。
15年前に縦走した時は体に残ったダメージが大きく、この奥深い山にもう1度来ることはあまり考えられなかったが、百名山を目指す友人とともに登ることになった。テント泊は体力面の不安から敬遠し小屋泊である。
剣ヶ峰付近の稜線を行く |
台風のために出発予定を2日遅らせて月曜日に出発する。山都駅から川入までのバスは夏の登山時期限定、しかも金曜~月曜のみの運行なのでギリギリ利用できた。
15年前は会津の路線バスで飯豊鉱泉に前泊したが今はそのバスも鉱泉もない。15年の間に日本は経済効率を優先する道をひたすら進み、その間に山間は過疎を生み、限界集落が残された。
今日は村杉荘に泊まる。以前路線バスで飯豊に登ったと言ったら、始めはとっつきにくそうだった村杉荘のご主人さんの表情が緩んだ。
登山口のある小白布は昔鉱物が出土され、その掘削作業員の宿泊地として、さらに飯豊連峰の下山地として川入は賑わい、飯豊鉱泉を含め5軒ほど宿が営業していた時期があったようだ。現在川入の民宿は2軒のみで、それも営業は夏の間のみ。それ以外の季節は、宿の人はここを離れて喜多方市に住んでいると言う。飯豊鉱泉は家族が離散、消滅したとのことだ。
夕方、宿の前の道を歩いてみる。飯豊鉱泉の建物はもうないが、他の廃業した宿の建物や看板は今も残されており、人が住んでいるような気さえする。
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翌朝は宿の送迎車で小白布沢登山口へ。登山口までの林道は新しめの舗装道路だった。前回来た時の様子はほとんど覚えていないが、こんなに綺麗な道ではなかったように思う。
登山口にはもう一つの民宿の車が来ており、ここから登る登山者は合わせて10名くらいになった。小白布沢登山口から登ると、本来の御沢登山口のルートより1時間ほど短縮できる。飯豊連峰はどこの登山口も標高が低く、夏は暑さにかなり苦しめられるので、標高800m近くある小白布沢登山口は少し楽だ。
登山道は沢沿いの道を離れると急登となる。ブナが豊かな林で、直径1mを超える巨樹もあった。飯豊連峰のブナ林と言えば、隣の弥平四郎登山道や新潟県小国側の温身平、さらにえぶり差岳北の大熊尾根などがいいらしいが、今回はそれらは通らない。それでも今回のルートもなかなかのブナ林だった。御沢登山道との合流点となる横峯までは結構な登りであった。
横峯からはいっとき、穏やかな道となる。地蔵清水は出のよい水場だった。しかしこの先の剣ヶ峰や三国岳が巨大な壁となって控えており気が引き締まる。
樹林帯を抜け出し、剣ヶ峰から三国岳にかけてはヤセ尾根の岩場が連続する。このあたりは前回の記憶が残っている。登りなので足の置き場探しにに苦労することはあまりないが、重い荷物が辛い。三国岳までの辛抱と踏ん張る。
開けてはきたものの稜線は早くも雲に覆われ始め、周囲の眺めは閉ざされてきた。ヨツバヒヨドリ、シロバナニガナ、ハクサンフウロなど夏の花が早くも見られるようになる。ピンクの小花がたくさん集まったのはミヤマクルマバナだ。
小屋の建つ三国岳に到着。登山者に混じって小屋の管理人さんがいた。相棒のストックキャップが外れているのを目ざとく見つけ、「300円です」と半ば強制的に購入を勧める。飯豊の登山道にはあちこちに、「自然保護のためストックにはキャップを付けてください」と注意書きが書かれている。さっき偶然外れてしまったとは言え、小屋の管理人さんはしっかりと見ていた。キャップが外れないようにビニールテープをひと巻きしてくれた。
周りの登山者に行き先を聞くとさまざまで、自分たちと同じく切合小屋までの人、本山小屋までの人、中には本山を日帰りピストンする人も。
ここ10年くらい続く登山ブームは、どの山でも日帰りで登る人の割合が増えた。年齢層が下がったせいもあるだろうが、中には人が日帰りで行けるなら登るなら自分も、と無理をしている人も少なくない。この日も「ネットに載ってたから」と急ぎ足で行く登山者がいた。
ところでここは三国岳という名前なので、各地にある三国山や三国岳、三国峠と同じように3県境に位置していそうなものだが、実際は違う。確かにここは福島・新潟・山形県が接しているのだが、ここから飯豊本山までの尾根筋だけは福島県なのである。地図を見ると、尾根上に細長く県境の線が引かれている。
これはおそらく、昔の3県の力関係というのがあって、福島県が飯豊本山の山頂は自分のところだと主張したのだろう。あるいは飯豊山のご神体が会津になければいけない特別な事情があったのかもしれない。
なお、福島県を示す細い県境線は飯豊本山から先へも伸びており、御西小屋まで続いている。
三国岳まで登れれば、あとは切合小屋までさほどきつい登りはないはずだ。ガスに巻かれるのが予想以上に早く残念だが、花を見ながらのんびりと行くことにする。モミジカラマツに始まりタテヤマウツボグサ、ウサギギク、ミヤマキンポウゲ、ヤマハハコ、センジュガンピなど種類は多い。
展望のある小ピークに立ち振り返ると、剣ヶ峰付近の険しい稜線に登山者が小さく見えた。天候はこれ以上悪化することもなく、そこそこ見通しは良い。今日の喜多方市はの天気予報は晴れで、気温37度。高温注意情報が出ている。樹林帯の中は暑苦しかったが標高1500mを超えて時折そよぐ風が気持ちいい。
低木帯はブナからミネカエデ、オオカメノキ、ミヤマナラと顔ぶれが変わり、一気に高山めいてくる。このあたりの標高だと、東北の山ではたいていオオシラビソなどの針葉樹林が見られるのだが、飯豊連峰にはなく、代わりにミネカエデやミヤマナラなど広葉樹の低木帯を経てその上の森林限界に通じている。
豪雪の山にはこのように針葉樹林帯が欠落していることが多いが、豪雪の山イコール針葉樹が生えないというわけではないようだ。今後の温暖化や乾燥化といった気候変動に伴い、各地の山で針葉樹林の占める面積は増えていく傾向にある、と考える研究者は多い。それは豪雪の山も例外ではなく、今はたまたま見られないだけ、ということだ。
ハルニレとケショウヤナギの美しい上高地も、いずれはこれらに代わってコメツガやトウヒの森に遷移すると言われている。また、巻機山、苗場山など雪が多くても針葉樹林帯のある山はある。これらは針葉樹林の増える傾向が一歩進んでいると言えそうだ。
ダケカンバの白い幹をくぐり、さらに高度を上げて行く。雪田が現れ、雪が溶けたところにイワイチョウ、チングルマやハクサンコザクラが見られる。飯豊連峰はハクサンコザクラの北限地ということだ。そして今回の山行の主役、タカネマツムシソウの登場。あちこちに群落を作っていて壮観だ。少し空が暗くなり、大日杉からの登山道を合わせると切合小屋に到着する。
時刻はまだ12時だが今日はここで行動終了となる。米三合持参で1泊2食の予約をしていた。切合小屋は米を持っていくと宿泊料金が少し安くなるので、それを利用した。ただ、米を持ってきた人は自分たち以外にはあまりいなかったようだ。
もっとも、持参した三合は直接自分の食料になるわけではなく、他の登山者の持ち込み分といっしょに炊かれる。したがって切合小屋の食事は日本全国のブレンド米となる。また、三合の元を取るためにおかわりをしたほうがいい。
米三合というのはなかなか重いもので、切合小屋に差し出した後、翌日の荷物が軽く感じられた。
小屋には登山者が続々と到着する。満員とはいかないが、それでもかなり埋まった。飯豊本山は奥深い山なので、昨日この小屋に一泊、今日登頂の後下山せずさらに1泊というパターンも多いようだ。
平日のせいか若い人は少なく、たまに30歳くらいの人がいると思ったらガイドさんだったりする。今日の山小屋の宿泊者は久しぶりに、自分は年齢層的にレベルか少し下かもしれない。76歳という男女が飯豊に来るのだからすごい。
定員50名の切合小屋は食事も出るのだが、何と食堂がない。さらによく見たら厨房も台所もない。どうするのかと思ったら、受付の横の狭いスペースでカレーを調理してご飯を炊いていたようだ。そして配膳後各自めいめい好きなところで食べてください、ということだった。大部屋に戻って食べてもいいし、外でもいい。混雑した日に雨だったら悲惨なことになるだろう。
しかし2名しかいないスタッフが50名近い登山者を食事付で世話するのだから、頭が下がる思いもする。
奥深い山で出会う登山者はお互い打ち解けやすく、あちこちで話に花が咲いている。登頂の大変さを共有しているからだろうか。平ヶ岳、光岳よりもこの飯豊のほうが大変だと言う人もいた。自分は今回2度目だが、最初の登頂のときは登る前と後とで登山に対する意識がたしかに変わっていた。いつもと同じ軽い気持ちで登ったがえらく大変な山だった。山をなめてはいけない、そんな登山の原則を思い知らされる山だった。