翌朝、澄み切った青い空で始まる。草履塚ピークの背後には、昨日はガスで隠され気味だった本山もくっきりだ。
その飯豊本山に向けて、切合小屋を出発。周囲はタカネマツムシソウ、チングルマ、ハクサンシャジン、シラネセンキュウ、ヤマハハコ、ハクサンフウロ、ヨツバシオガマ、高山植物のオンパレードだ。特にタカネマツムシソウがすごい。
やっぱり森林限界上の山は朝が気持ちいい。草履塚に上がると本山はもとより、稜線続きの御西岳や今回目標である大日岳も大きい。御西岳の南面には大きな雪田ができていた。
飯豊本山への登りにて振り返る。遠く磐梯山が見える |
少し下って登り返しの岩場は御秘所(おひそ)で、ナイフリッジのように切れ落ちているが足場は豊富で難しくなく、むしろ爽快。再び鞍部に下り立ったところからは本日最大の急登、本山神社への登りとなる。前回は初日に本山まで登っていたが、小白布登山口からの標高差は1300m。テント装備だったのでやはり15年前の自分は若かった。
急斜面から振り返り見る福島の山々。2つのピークの磐梯山、安達太良、吾妻の3巨頭が揃い踏みである。歩いてきた稜線も見下ろせ、切合小屋が安定した台地にぴたり張り付いているように見えた。足元にはヒナウスユキソウが現れた。
上部に見えてきた石垣が一王子神社、そこまで上がるとテント場を前にした広々とした場所に出る。右手に「水場まで100m」の標識があった。1リットルのペットボトルがたくさんぶら下がっている。本山小屋の人によるもので、「トイレ利用者はこのペットボトルで水場まで行って汲んできてほしい」とのことだった。今年は雨が降らず天水がたまらないため、水には苦労しているようである。
残雪の多い山なので、夏なら水不足には無縁のような気もするのだが、その残雪自体も予想していたよりも少ない印象がした。こういうのを見ると山全体が乾燥化に向かっているようで気味が悪い。別の地方では豪雨で洪水になっていて、日本全体が水など自然物のバランスを失ってしまったようだ。
草地の中にイイデリンドウを発見する。もっとも、木のプレートが花の存在を教えてくれているので誰でもわかるだろう。山で見るリンドウの中でも、イイデリンドウの形は独特で紛れようがない。基本的に5枚の花びらと、中の花芯の部分がキラキラ輝いていて、「飯豊の宝石」と呼ばれているのがよくわかる。
本山小屋に到着。奥の飯豊本山神社に参拝してから本山に向かう。飯豊連峰らしい開放的な稜線。空も広いし、台地も広い。この景色がどこまでも続いていそうだ。南東北の2000mの地は風が爽やかで、ここへ来て暑さからは完全に開放された気分だ。雲が出てきては流れ、すぐに次の雲が湧いてくる、上空の風は強そうである。
再びイイデリンドウを見る。と言うより、イイデリンドウはあちこちで咲いていた。
少しの登りで飯豊本山に到着する。御西岳や大日岳方面、足元の広い稜線もすぐ近くにある。しかしこれらも時々雲に隠されるようになってきた。
御西小屋に向けて出発する。登山者はやはり本山から引き返す人が多いようで、この先は静かな山になった。小さなピークの駒形山に着く頃は周囲は雲に覆われる。
ニッコウキスゲを見る。この付近は高山植物の多い場所だったと思うが、今年はやや少なく感じる。少し下に豊富な雪田が見え、歩くには快適な部分である。
振り返ると飯豊本山が青空のもと、再び姿を現していた。雲が稜線のすぐ上を流れているので、少し移動しただけで明るくなったり暗くなったりする。御西岳への緩やかな登りに入る頃は夏空が戻った。花畑もニッコウキスゲ、ハクサンフウロ、ヨツバシオガマなど色とりどりである。タカネマツムシソウ、オヤマリンドウもくわわる。コバイケイソウは花がもう枯れ気味で、葉は黄色くなり始めていた。
切合小屋から見えていた大きな雪田の上に来る。ここまで雪を踏むことはなかった。御西小屋も玄関の前で管理人さんが人待ち顔だ。飯豊に限ったことではないが、小さな山小屋の管理人さんは遠くからやってくる登山客を遠くから見ており、待ち構えている節がある。もちろん悪気などなく、登山者を気遣ってのことだろう。それでも何となく監視されている気がして、登山者側の気分としてはあまりいい感じはしない。山小屋の主人はもっと堂々としていてほしい。
ともあれ御西小屋に到着である。中はきれいで明るい。窓から大日岳が大きい。小屋で昼食を取った後、いよいよその大日岳をピストンする。空模様も持ち直してきたので快適な歩きとなりそうだ。
荷物を置き、管理人さんに見送られて出発する。大日岳のルートは前半に標高差100mを下り、その後200m登り返す。全体的には草原状の緩やかな尾根が続き池塘や残雪も点在する。そのため、湿性のものを中心とした高山植物が多い。チングルマ、ハクサンシャジン、ハクサンコザクラ、タカネマツムシソウ、ハクサンフウロなどもう見飽きたといっては贅沢だが、これでもかというように咲き乱れている。
斜面に張り付いたガンコウランのような小低木はアオノツガザクラだった。花は終わっており、果実のついた茎が長く伸びていてちょっと意外な姿である。
眺めも素晴らしく、飯豊本山や切合小屋付近、明日歩く予定の新潟県側の稜線、そして磐梯山をバックに喜多方の町並みもはっきり見下ろせる。
大日岳への登りは急登となる。しかし荷物が軽いので、最近にはないくらい軽快に歩けている。登りもさほど苦にならない。同行者も同じ感想だった。
大日岳に到着。360度のすばらしい展望、そして反対側に特徴的な尾根を2本従えており、山頂から見ても堂々とした山容である。湯の島小屋からくるオンベ松尾根は長大で険しく、一方山頂から西大日岳に至る稜線は闊達だが夏道はなさそうだ。
ここは飯豊連峰の最高峰。15年前に縦走を果たせてもこの山を極めていなかったためずっと心に引っかかっていた。ようやく荷を降ろせた感じである。
来た道を戻る。さっきから気になっていたが、斜面上の潅木からギー・・・と虫のような声が響き渡っている。秋の虫かとも思ったが、セミのようでもある。声はアブラゼミにも似ているのだが、こんな森林限界上の稜線にセミなどいるのだろうか。
すると、同行者が目ざとく、枝に止まっていたその虫を2本の指で捕まえてみた。やはりセミだった。少し先を歩くと、何とネマガリダケの茎にも止まっている。下界の猛暑を避けてトンボは気味悪いくらいたくさんいるのだが、セミがいるとは思わなかった。あとで御西小屋の人に聞いてみると特に珍しいことでもなく、コエゾゼミという種類だそうだ。背中のW字型の模様が特徴である。
ハルゼミはどこの山でも標高の低いところで声を聞くが、種類によってはこんな高山の潅木帯にもいるのだ。新鮮な驚きである。
最後の登り返しを踏ん張り、御西小屋へ戻る。管理人さんからビールはいかが、とまず第一声。商魂たくましすぎる。
ビールは集めてきた残雪で冷やされていて、キンキンに冷えていた。小屋を前にして、大日岳を始め飯豊の峰々を見ながらのビールは格別である。ただし350ml缶800円と値段も格別だ。切合小屋も同じ値段、次の日の門内小屋は700円だった。
小屋の前からの展望もすばらしく、烏帽子岳から北股岳の稜線、二王子岳も大きい。管理人さんによるとその左奥は五頭連峰とのことだ。それらに挟まれて海岸線が伸び、弥彦と角田山も見えた。
トンボが多い話をすると、トンボはアブの天敵だそうで、多いと逆にアブがいなくなると言う。これは初めて聞いた。たしかに、今回の歩きはアブにあまり悩まされないでいた。そうだとすると、梅雨明け前後の八ヶ岳あたりでもトンボにがんばってもらいたいものである。
苦労話もいろいろ聞かされた。昨年梶川尾根の水場で骨折した中年男性がいて、管理人さんがおぶって下山したと言う。梶川尾根は前回下ったのだが、最後で疲れが出る標高1000mくらいから急降下がずっと続くのでかなりしんどかった。そのため今回は丸森尾根を下ろうと考えているが、梶川尾根も丸森尾根も大して変わらないとも聞く。飯豊の新潟県側の登下山路はどれも厳しく、それが「飯豊はきつい山」というイメージを与えている。
さらに御西小屋は水場が少し遠く、小屋から150m先ほど行った所にある。標高も45mほど下るため、帰りもなかなかしんどい。でもこれくらいは他の避難小屋でもあることだ。
この日の宿泊者は自分たち2人だけだった。平日とは言え、昨日の切合小屋との差はいったいなんだろうか。
暗くなり、少し風が出てきた。夜の間風の音は鳴り止まず、曇りがちで星も見えなかった。