杁差岳(えぶりさしだけ)は飯豊連峰の最北端で、新潟・山形県境に位置するが、山頂は新潟県側にある。このところはまり続けている新潟の山通いもここまで来た。ここ数年来計画していた山である。
先月登った二王子岳の山頂から望んだ飯豊連峰。杁差岳は避難小屋の建物まではっきりと見えた。あの眺めを見ればここに来ないわけにはいかないだろう。
標高1600m台とは思えない奥深い山であり、どのコースをとっても険しい登降となる。日帰りで登っている地元の人もいるが、東京のような遠路から出かけるとなると3日ほしいところだ。それでも下山の日のうちに車で帰京するのはかなりきつそうなため、今回は新幹線を利用した。新潟駅からはレンタカーで登山口まで行く。
マイカーのみと比べると、レール&レンタカーの割引を適用してもかなり割高になってしまうが、今回は奮発した。
足ノ松尾根から望む飯豊連峰の急峻な尾根
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金曜の午後、上越新幹線で東京駅を発つ。新幹線はゆっくりできてうれしい。車を運転していると、これから登る山やコースを地図でなぞったり、思いをめぐらしたりする楽しみがない。こういう時間が山登りの前には貴重である。
新潟駅からはレンタカーで一般道を走ろうと思っていたが、市内が大渋滞になっていてなかなか前に進めない。新潟駅は東京以上に車の往来が激しい。駅周辺の細い通りが一方通行になっていないので、交通整理されていない印象である。しびれを切らして高速に乗ってしまった。それでも今日の宿泊地である道の駅胎内へは1時間近くかかった。
飯豊連峰には10年ぶり。10年前は川入から飯豊本山~北股岳~門内岳とテント泊縦走だった。ひとつの山塊としてのスケールの大きさに気後れしたと言うか、山の持っている気高さを初めて感じた縦走だった。
飯豊・朝日に共通するのは、稜線に立ってしまえばこっちのもの、伸びやかな尾根道と高山植物の咲き乱れる楽園を楽しめるのだが、その稜線に至るまでの登路がどのコースもきつく、簡単に上がらせてはくれないということである。
登りがきついということは下りも大変で、1日がかりの下山ということもある。杁差岳も例外ではなく、大石からの2本のコースは登り7時間以上、場合によっては途中で一泊が必要となる。標高1600mの山でこれである。他方、胎内から登る足ノ松尾根は登山口から6時間以内と、比較的楽に登れると言われる。今回はこの道を往復することにしている。
翌朝、4時過ぎに道の駅を出発する。心配していた空模様は、可もなく不可もない。雲が覆っているが青空が覗く方角もある。
広域農道から山地に入り、ダム沿いに谷間を延々と伸びる車道を行く。登山口目指して山深く分け入って行くのは南アルプスと感じが似ている。道中、前後に一台の車も見なかったが、奥胎内ヒュッテ手前の駐車場にはすでに20台くらいが停まっていた。
ヒュッテ前で登山者カードに記入し、さあ出発である。登山口まで、今日から乗合バスの運行が始まった。乗合バスと言ってもワゴンカーであり、9名で満員である。最後に乗り込んだ自分は、戸口の床にじかに座るしかなかった。それでもものの10分ほどで足ノ松尾根の登山口に着く。
森の中の平坦な道も最初の数分だけで、すぐに急斜面に取り付く。木の根の張り出した細尾根である。登るにつれてどんどん斜度のきついヤセ尾根となり、随所に補助ロープが垂れ下がる。ちょっとした岩場もある。豪雪地帯の山によく見られる急峻な道は、バランスを崩すと転落の危険もある。
前回飯豊山荘に下山したときの、梶川尾根ほどのきつさはない。ただ、谷川連峰の白毛門や茂倉新道と同じように、道の真ん中に巨樹が立っていて、回り込むのにひと汗もふた汗もかく。ここの針葉樹はヒメコマツという種類で、尾根上の最初のピークは姫子ノ峰という名だった。
上部が開け、すでに地神山あたりの稜線が見通せているはずだが高いところは雲の中だった。右隣に平行して伸びている胎内尾根もダイナミックだ。
姫子ノ峰から先、いったん急登はおさまるがロープのかかった細尾根の岩場があり、慎重に通過する。アップダウンを繰り返しながら高度を上げていくと滝見場で、休憩可能。左手ずっと下のほうに滝が見える。それにしても谷が深い。飯豊連峰の彫りの深さを肌で感じる。
登山地図と違い、滝見場のすぐ先に英三ノ峰の山名標柱が立っていた。
今日は久しぶりに無人小屋泊だ。食料と自炊用具、シュラフの一泊装備であり、いつもより重い荷物でバテがこないようにペース配分に気をつけて登っている。
残雪の脇にカタクリが咲いていた。ガレ場の斜面のヒドノ峰に着くと眺めは格段によくなり、この尾根が収れんするところの大きなピーク、大石山がはっきり視界に捉えられた。しかしまだまだはるか高いところにある。
稜線はまだ大きな雲が被さっているが、登路でこれだけ眺めが得られるとは想定外だった。今日は杁差岳の避難小屋に着くまで、かなりの確率で雨に降られると思っていたが、もしかしたら無用な心配だったかもしれない。
若干下ったところの水場分岐で、水を補給することにした。5分ほど下ることになるが、冷たい雪解け水が得られた。標高1000mくらいでこれほど残雪があるのも信じがたい。
ヒメコマツが途絶え、再び急登となってブナの純林に入る。下のほうにもあったがなかなか見ごたえのあるブナである。周囲は少しガスっぽくなった。ウラジロヨウラク、アカモノが現れ、白いイワカガミも咲いていた。
ガレ場で今回初めてヒメサユリを見て、一気に気分が高揚する。今年の夏山はここから始まるか、といった印象だ。
高度を上げると、ガスがちの空も次第に明るくなり、太陽の輪郭が見えてきた。地面に自分の影が再び現れる。イチジ峰でさらに展望が広がる。目の上に大石山、そしてその左手には鉾立峰、杁差岳への稜線も見えた。先月二王子岳から眺めた2つの峰、今はもう目の前にある。
なおも急登を経て、西ノ峰との山名標識のあるピークに到達。ヒメサユリのピンクの花があちこちに見られる。小憩の後、ひと登りで大石山に着いた。飯豊連峰の稜線が合流するところである。
自分の持っている地図では、大石山のピークはもう少し先に位置しているが、山名標柱ではこの合流点を大石山としている。
とにかく10年ぶりの飯豊稜線である。展望もすばらしい。天気が悪ければここから近い頼母木(たもぎ)小屋に直行して杁差岳は明日、というプランも考えていたが、この天気であればもちろん、今日のうちに杁差岳行きである。
左折して鉾立峰の大きな山体を目指して歩く。ハクサンチドリが多く咲いているが、ハクサンイチゲは完全に終わって茎しか見られない。大石山から杁差岳にかけての稜線は、6月初中旬にはハクサンイチゲの大群落となるのだが、半月遅れただけでこうもきれいに散ってしまうものなのだ。
この山のもうひとつの名物、ニッコウキスゲはまだ時期が早く、2,3の花を見るのみだった。この2種の花の時期のに挟まれた6月下旬は、どちらかというと花の端境期である。残雪の白と草木の緑が目立つ稜線なのだが、それでもハクサンチドリのほかにコバイケイソウ、ミヤマダイコンソウ、アカモノ、キバナノコマノツメ、イブキトラノオ、ハクサンシャクナゲ、ゴゼンタチバナなど多くの初夏の花が咲き始めていた。コバイケイソウは久しぶりに群落らしいものを見れた。この花を見ると夏山に来た感じがする。
そしてヒメサユリもところどころで見られる。幕間つなぎにヒメサユリが見られるというのは、考えてみれば贅沢である。
鉾立峰へは急登だ。二王子岳から見たときは尖った三角形だったが、実際は台形に近い形をしている。飯豊の稜線ほか、周囲の山々の眺めはなかなか得られないが、近いところの雲が流れて杁差岳の避難小屋が見えてきた。鉾立峰の頂上には、胎内からのもう1本の踏み跡がが上がってきている。ただしヤブがちで道形ははっきりしていない。
杁差岳を目指して今度は下る。飯豊連峰に大きな足跡を残した藤島玄氏のレリーフを見る。ヒメサユリを再び見て、大きな雪田を見ると待望の杁差岳避難小屋。山頂はそのすぐ先で、何人かがいるのが見える。周囲の展望が開けていないので登るのはあとにして、とりあえず小屋に荷物を置く。
小屋の中は静かで、自分が最初の到着のようだ。整理整頓されていて、清潔な感じの小屋だった。
小屋の裏に水場の入口があったので、行ってみる。さっき見た雪田に下りて周囲を歩いてみたが、水の流れているところはなかった。通常の初夏であれば、ここの雪渓尻が水場として使われているが、まだ水は流れていない。
仕方がないのでバーナーを持ってきて、雪を溶かして水を作ることにした。幸い大きなスコップが雪の上にあったので、雪田を掘ってきれいな雪を得ることが出来た。せっせと水を作って都合3リットルあまり、これで一安心である。今夜は水割りも飲めそうだ。
なお、杁差岳から西の踏み跡をたどって少し下ったところにも水場があったようで、他の宿泊者はみなそちらで水を汲んできたようだった。
杁差岳山頂に上がって軽く食事を作る。天候が回復しないので、すぐに下って小屋の1階でしばらく横になっている。そのうち6名の団体がやって来て1階を陣取ってしまった。2階に移動してもよかったのだが、最初に1階に寝床を構えたのは自分なので、意地になって移動しなかった。
しかし時間が経つとやはり居心地が悪くなったので、外に出てしばらく散策することにした。
下山時間をを気にせずに、山でゆったりのんびりできるのは久しぶりだ。今日は飯豊の地図も見尽くしてしまったし、夕飯にはまだ早く、携帯の電波も来てないので、文字通り何もすることがない。家にいるとテレビなりパソコンなり、何かどうしてもやってしまう。こういう何もしない時間が、人生には絶対に必要だとつくづく思う。
17時を過ぎて、空がにわかに明るくなる。周囲のガスが取れてきた。外に出てみると海岸線が光っているのが見えた。飯豊連峰は意外と海に近いのだ。
再び山頂に立つ。ガスがみるみる晴れ上がり、周囲の山々が浮かび上がってきた。飯豊連峰も稜線部の雲はなかなか取れないものの、残雪なお豊かな斜面を見せ始める。やはり山の眺めはこうでなくちゃならない。
今日の小屋の宿泊者は20名を越えていたようだが、ほとんど全員が山頂に登ってきて展望を楽しんだ。
杁差岳から北側、前杁差岳方面を少し歩いてみる。急な場所はなく、湿原などありそうだ。明朝天気がよかったら、前杁差まで行ってみてもいいだろう。