~東北きってのスケールで迫る大山塊~ 小白布沢-切合-飯豊本山-御西岳-北股岳-門内岳-梶川尾根 |
●急坂の続く梶川尾根を下山 (8/3、門内小屋~梶川峰~五郎清水~飯豊山荘) 飯豊の最終日は濃いガスの中で始まる。朝方も気温がそう下がってはいないようで、テントに夜露がまったくついていない。 視界10mの中、小さいピーク越えをして扇の地紙(おおぎのじがみ)。「紙」の文字が場所の名前を現すのは奇妙に思えるが、近くに地神山というピークもあり、神が転じたものなのかもしれない。
ここから主稜線を離れ、梶川尾根を使って下山する。稜線を離れると言っても、方向的には直進する感じで、頼母木(たもぎ)山・杁差岳方面に向かう稜線の道がむしろ、左に折れる印象がある。指導標をよく見ることだ。 梶川尾根に入っても相変わらず花の道で、チングルマが実に多い。ようやくガスが切れ始め、遠くに梶川峰のこんもりしたピークが見え出す。振り返ると主稜線も雲の中から姿を現し始めている。昨日見れなかった石転ビ雪渓の上部が覗ける。 梶川峰(1692m)で飯豊の稜線に別れを告げる。険しいがドラマのある峰々だった。しかし感慨にふけっている場合ではない。ここからつるべ落としの下りが始まる。段差が連続しそのたびに足場を確かめ慎重に下りる。 五郎清水(の上部の分岐)で右に折れる。少しの間だけ緩やかになるものの、再び急坂に難儀する。高度を下げるにつれ青空、強い陽射しが復活し汗だくとなる。
滝見場で石転ビ雪渓の写真を取り、その後も慎重に下る行程が続く。湯沢峰の登り返し、ようやく眼下に麓が見え出す。 ヒメコマツの樹林帯(今回の山行中、針葉樹林を見たのはここだけ)に入ると尾根は一段と痩せ、高度感たっぷりの急坂となる。真下に見える飯豊山荘の建物目掛けて落っこちていく感じだ。ボーっとしていると本当に落っこちてしまう。 最後まで気の抜けない山行となった。それだけに林道に下り、飯豊山荘の前に着いたときの充実感は他では味わえないものとなった。 山荘の赤茶けたお湯は緊張と疲れを癒してくれて、しみじみと温泉はいいものであることを実感させられる。 バスに揺られて小国駅に着く。カーッと真夏の陽射しが照りつけて来る。日本全国、ようやく夏本番となったようだ。 しかしながら、烏帽子岳で見たタカネナデシコに、今秋の早い到来を予感する。 飯豊連峰は大きい山だった。正直、一度の縦走程度ではこの山塊の真の良さを知ることは出来ないだろう。 新参者ごときに簡単にわからせないぞ、山そのものがそんな言葉を発しているように思える。
いつも、行く山の多くを知ろうと思ってしっかり計画を立てて行っているつもりなのだが、飯豊は圧倒的なスケールの大きさを持って待ち構えていた。今回は呈よくあしらわれた感じだ。 また、山深い山の例えで「簡単には稜線に立たせてくれない」という表現がある。飯豊山はそれに加えて「簡単には下らせてくれない」というのも追加されるべきであろう。 「飯豊はいいよ。」山の情報を集めているとこの言葉によく触れる。山の本やガイドでもよく薦めているが、それは何度もこの地に足を踏み入れた人が、この山塊の厳しさを知って初めて言える言葉のように思える。「北アルプスはいい」と言うのとは意味が違う。初めて飯豊に行こうとする人にかける誘いの言葉としてはふさわしくない。 本文でも触れたが、飯豊本山付近まで登って来れば、広大な展望やニッコウキスゲのお花畑など、確かにこの山の素晴らしさを味わうことが出来る。しかしそこまでは飯豊の表向きの姿で、この連山の核心部は御西岳以西にあるような気がする。全山が一体となった文字通り「連峰」としての風格がある。 初めての山に単独でテント縦走はやはり荷が重すぎた。この山は少人数のグループ(できれば2,3人)でお互い励ましあいながら頂を極める山行スタイルが似合っていると思う。 昨年の朝日の時は大雨を理由にしたが、飯豊も朝日同様山の持つ奥深さはなかなか東京に住む(便利な生活に慣れきった)人間には把握しづらい。3度、4度と通ってようやく山に溶け込める自分を見出せるかもしれないと思うのだが、この大きな山塊に何度も足を運ぶ体力・気力、それに冒険心が自分には宿っていない。 もしかしたらこれが最初で最後かもしれないと思いながら新潟を後にした。けれども時期が経てばまた心境の変化もあるだろう。 |