~東北きってのスケールで迫る大山塊~
タイトル
いいでれんぽう 2003.7.31.~8.3.
小白布沢-切合-飯豊本山-御西岳-北股岳-門内岳-梶川尾根
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●お花畑と残雪に彩られた縦走路へ (8/2、飯豊本山~駒形山~御西岳~天狗の庭)
雲の間から湧き出す主稜線(駒形山から)
雲の間から湧き出す主稜線(駒形山から)

2日目、テントの前でご来光を仰ぐ。しかし本山はガスの中。神社でお守りを買って出発する。

何も見えない本山を後にし、西へ稜線を下っていく。たまに頭上が明るくなることがある。こういうときはガスは薄く、やがていい天気になることが多い。

平坦道を進み駒形山(2038m)の小ピークに立つと、やはり視界が開けてきた。前方、みるみるうちに稜線が湧き上がってくる。

見える山々はどれも残雪豊かだ。そして下方を見ると雪田と、そして広大な緑の草地が広がっている。
その一角に黄色く染まった部分がある。ニッコウキスゲの大群落だ。
飯豊本山小屋と神社
飯豊本山小屋と神社
ニッコウキスゲの群落
ニッコウキスゲの群落
色違いのヨツバシオガマ
色違いのヨツバシオガマ
ニッコウキスゲ
ニッコウキスゲ

長大な山の壁を見ながらその場所に下りて行く。ニッコウキスゲもきれいだがピンクの色濃いハクサンフウロ、ヨツバシオガマも色鮮やかだ。ヨツバシオガマは白花のものを初めて見た。

振り返ると駒形山の後ろに朝日を浴びた飯豊本山が鎮座している。ここから見る本山はたおやかな三角錐をしている。

以降、御西岳付近まではまさに雲上の散歩道で、残雪と草色、青空と雲の間を歩いていく。ニッコウキスゲやタカネマツムシソウの群落が随所に現れ、ミヤマコゴメグサやカラマツソウ、ハクサンシャジンなどやはり飯豊の稜線は花道といっていいほどだ。
ミヤマコゴメグサ
ミヤマコゴメグサ
ミヤマリンドウ
ミヤマリンドウ
ニッコウキスゲとハクサンフウロ
ニッコウキスゲ、ハクサンフウロ
イワイチョウ
イワイチョウ

御西(おにし)岳(2103m)を目指すうちに、再びガスに包まれてきた。平坦な道を進むと飯豊鉱泉のご主人と再会した。お母さん(と思われる人)の道案内をしているようだ。
大日岳を往復するつもりと話したら、ガスならまだしも雲が出ているから行ってもどうかと言われた。普段、ガスと雲を同じようなものと捉えて考えがちだったので、なるほどと思った。

なお三国岳以降、飯豊本山を経てここ御西岳までは、周囲を山形県と新潟県の山に囲まれているが、歩いている主稜線の部分だけは依然として福島県なのである。稜線伝いに福島県の土地が細く長く続いていることになる。

これは明治時代の領地決定の際に、話し合いの末飯豊山地が会津の山として認知されたことを物語るものとされている。

御西小屋付近は濃密なガスの中であった。雪田の中を5分ほど下り水場に行く。途中でミヤマキンポウゲ、ハクサンイチゲ、イワイチョウなどの群落が見られる。今回ハクサンイチゲの見られた場所はここだけであった。6月末~7月に盛りとなるようだ。

小屋前に戻りパンをかじる。大日岳への道はガスで閉ざされているよう。またの機会として今回は縦走路をそのまま進むことにした。

御西岳から天狗岳、天狗の庭を過ぎるあたりから、周囲の様相は一変する。標高は2000mを切るものの、緩やかなお花畑から高度感ある稜線歩きとなり、右側の斜面ははるか下の桧山沢に向かって落ちている。

御手洗(みたらし)池付近の小斜面で足を踏み外し、滑り落ちてしまった。すり傷と軽い打ち身だけで行動には問題なかったが、絆創膏を数枚しか持っていなかったことを悔やんだ。
また、これが下の見えない長い斜面だったらどうなっていたかとゾッとする。


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