2012年も今日で終わり。今年の山を総括すると、自分の登った中ではやはり読売新道と荒沢岳、この2つが特に印象に残った。両方とも大変な山行だった分、やはり記憶に強く留まったということだろう。
今年1年トータルでは、45回の山行で歩いた沿面距離が586.7km、標高差の累計が34485m、歩行時間は307時間あまりとなった(山行の記録)。沿面距離を時間で割ると歩行スピードが求まる。今年はついに時速1.91kmとなった。これは自分が足掛け15年山を歩き続けて、最低の数字である。一番早かったのが2006年の時速2.24kmだった。(ちなみに普通の人が平地で歩く速度は平均4km、ジョギングは10kmくらいと言われる)
グループで歩く回数が増えたのも遅くなった理由のひとつかもしれないが、自分の体力曲線がついに右下がりになったのは明白である。または日頃の不摂生がたたっているのだろう。
登山はスピードを競うものではもちろんないが、気になる数字ではある。
すっかり冬木立となった尾根道。名坂峠付近
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軍畑駅から高水山に登るのは、1998年以来だ。
軍畑(いくさばた)という駅名は以前から気になっていた。住所は二俣尾であり、軍畑という名の集落があるわけでもない。名前からして戦国時代の何か謂れでもあるようだ。
調べてみると、高水山からさらに青梅寄りの低い尾根上に辛垣(からかい)城址というのがあり、これは鎌倉時代末期に今の青梅一帯に勢力を示していた豪族、三田氏の居城だった。この三田氏を攻め討ったのが多摩川南岸・八王子の北条氏であり、そのときの戦い(辛垣の合戦)での戦死者を葬った円墳「鎧塚」が軍畑駅近くにあるという。ここ軍畑駅付近は三田氏滅亡の地であり、多摩川を境にした戦いの場だったのである。
八王子やあきる野地区に比べて、青梅以西の御岳から氷川付近には城郭跡や戦国時代の史実はあまりないので、奥多摩の昔話としてはけっこう貴重なものかもしれない。
14年前に登ったときの様子はほとんど覚えていないが、沢沿いに登った記憶だけある。平溝の車道を道なりに歩き、大きな石碑のあるところから細道を上がる。立派な門構えの高源寺を過ぎ、さらに坂を上がっていくと登山口となる。14年前に荒れた感じの沢だったところは、堰堤になっていた。
山側の斜面に「三合目」との石標が立っている。高水山の表参道は上成木からの登山道がそれになっており、軍畑コースは裏参道ということになる。
堰堤を離れると、伐採跡の斜面をジグザグに行く急坂となる。支尾根に乗った後もほぼ直登のきつい道が続く。奥多摩初級者向きのコースは、えてして急登が多い。
振り返ると、都心方面が朝焼けで赤くなっていた。高層ビル群から離れて、スカイツリーがたかくそびえている。山でこれだけはっきりスカイツリーを見れたのは初めてだったのに、今日のカメラは一眼レフではないため、うまく撮れなかった。
植林帯に入って、いくぶん斜度が緩くなる。眺めがなくなってしまったが、奥多摩らしい落ち着いた佇まいの登山道である。本格的な冬を迎え、小鳥のさえずりももはや聞かれない。自分の足音だけが聞こえる時間がしばらく続く。
やがて自然林となる。常福院に向かう道を分けて高水山山頂へ直登する。アンテナなどが立っていて周囲の眺めも芳しくないが、そこは信仰の山らしく荘厳な雰囲気がある。樹間から見える山を見ながら少し休憩する。単独の人が4,5人いた。皆進む方向は同じようである。
急坂を下る。自然林の尾根歩きとなり、時々奥武蔵方面の眺めが開ける。遠く遥かに見える雪の山は奥日光か。次の山頂でも同じような眺めが得られると思い、立ち止まらず先へ行く。
岩茸石山の山頂直下は、岩や木の根の突き出した急な登りである。頭上が明るくなると、北面が開けた岩茸石山山頂である。先ほど見えた北の山のほか、川苔山、雲取山などが見えている。雪はあまり見えない。昨日の大雨は雲取山でも雪ではなく、雨だったようだ。
青空が気持ちよい山頂だったが、にわかに雲が出てきていた。南面を振り返ると空が一面真っ白になっている。開放的な山頂も、日差しが隠れ気味では風が冷たい。眺めをひと通り見たら出発する。
黒山を経て棒ノ折山への山道は、小さなアップダウンを交えながらの緩やかな登りとなる。名坂峠で上成木への道を分けて樹林の尾根を行く。空は雲の占める割合がどんどん多くなる。
ところどころで、オレンジ色の服を着たハンターの人に出会う。何人かがこの尾根上にいるらしく、トランシーバで登山者の通過をやり取りしているようだ。登山道を外さなければ大丈夫そうだが、ついこの間も中央線沿線の山で登山者がハンターの弾に当たったので気味が悪い。
ヤセ尾根状からアセビの茂る尾根を上がる。手すりのある展望地からも白い眺めのみ。雨沢山(逆川ノ丸)に登りついたあとも登り下りが続く。
自然林の尾根となって黒山の山頂に着いた。標高が少しでも上がったせいか、日差しが復活して暖かくなった。雲は低層雲で、標高の高いところは晴れているかもしれない。
いったん薄暗い樹林帯の鞍部に下り、急登ののちゴンジリ峠。登山者も多くなってきた。ぬかるみの尾根道は植生保護のためとのことで、途中で南側の樹林の中に迂回路がつけられていた。それでも山頂直下の泥道は避けることができず、足を取られながら棒ノ折山へ。だだっ広い山頂は以前から変わらない。
空模様は回復とはいかず、広く見下ろせる下界は太陽の下だが山は雲の中の1日だった。それでも雲を割って青空の中に武川岳など奥武蔵の山が見通せた。
棒ノ折山と言う名前だが、鎌倉時代の武将が山で突いていた杖が折れたことで、棒ノ折山との名前がついたと言われる。また、カヤトの山頂が遠目からは白っぽく見えることから、坊主の頭に例えて「坊の尾根」と呼んでいたのが山名の元になったという説もある。この山は棒ノ嶺(れい)との呼び方もあり、棒ノレイが転じてなまって棒ノオレになったとも考えられる。
この山に限らず、山の名前の由来には複数の説があるものが意外に多い。
滝ノ平尾根で下山する。ぬかるみを慎重に下って、ゴンジリ峠から北野斜面を急降下。出くわす岩茸石は、朝登った岩茸石山と関係があるのだろうか。それを越えて緩やかな下りの尾根道となる。3度の林道横断の途中で見晴しのよい場所があった。白地(しきち)平というところのようだ。木造りの展望台らしきものが設置されていたが、柵で仕切られており「関係者以外立ち入り禁止」との看板が掲げられていた。
山から離れるにつれて天気は回復し、青空の下暖かな日差しが注ぐ。ふたたびぬかるんだ植林帯の斜面を下って河又に下り立つ。
さわらびの湯は年末営業で16時に閉館とのことだが、時間はあるので入っていこう。
冬至を過ぎ、日足が少しだけ伸びたのを感じながら、バスで飯能駅へ戻る。