5月の権現堂山以来、久しぶりの新潟の山である。
この山域はおしなべて登山口の標高が低く、山自体も高くて2000mを少し越えたくらいの亜高山が多い。暑いので盛夏は避けたいのだが、今年は9月後半になってもなかなか涼しくなってくれない。なるだけ標高の高い未踏の峰ということで、荒沢岳に登ることにした。
越後駒や中ノ岳、未丈ヶ岳から望む荒沢岳は左右に優美なスロープを引き、まるで鳥が飛びたたんばかりの美しい姿をしている。この地に何度か足を運んでいると登りたくなる山である。
一方、「越後の穂高岳」の異名をとるように岩場が多く、きつい登高を強いられる。越後、特に中越の山は主なところでこの荒沢岳と八海山が未踏で、難しい山ばかり登り残してしまっていた。
3連休の中日、前日のうちに出発するゆとりある行程で行ったつもりだが、結果的に準備不足がたたり、反省点の多い登山となってしまった。
前ぐらの岩峰。ほぼ中央に岩場を斜上する道が見える。左後ろは荒沢岳
|
前夜、関越トンネルをくぐり抜けると、新潟県側はバケツをひっくり返したような雨。魚沼地区まで標高を下げると雨は弱まったが、明日の天気に一抹の不安を残す。
翌朝、すっきりと晴れた。小出インターを下り国道352号を行く。奥只見シルバーラインの長いトンネルを抜け、銀山平に出る。前年からの大雨の影響で、ここから尾瀬へ至る道はいまだに通行止めとなっている。また、越後駒ヶ岳の登山口である枝折峠へも、大湯からの道は通れず、こちら銀山平から登って行くしかないとのこと。トンネルで前後を走っていた車は、その枝折峠へ登って行ったようだ。
荒沢岳登山口は、伝之助小屋から銀山平側に50mほど戻ったところにあった。きれいなトイレの併設された駐車スペースには、すでに10台ほどの車が停まっている。百名山ではないがやはりけっこう人気の山である。6時45分出発する。念のためクマ鈴を鳴らしていく。
|
ブナ林から |
前山を過ぎると高みに上がるたびに前ぐら、荒沢岳のピークが近づいてくる
|
近づく岩峰 |
前ぐら基部には岩場注意のプレートがある。ここから鎖、梯子、ロープの設置された急登となる
|
岩場注意 |
前ぐらの岩場を斜上する。鎖が設置され、急傾斜で最大の難路
|
一番の難路 |
前ぐらを登り切ると、あとは眺めのよい尾根上の道となる。左奥:守門岳、右奥:浅草岳、中央:未丈ヶ岳
|
眺望の尾根道 |
|
奥只見湖 |
主稜線へもう一息の登り。登山道は開けているが、両側に背の低い針葉樹が多い
|
稜線への登り |
|
日差しすでに強く、暑いくらいになった。もう少し早く行動開始したかった。歩き始めてすぐのところに蛇口付きの給水施設があり、その横を登っていく。ブナ林の急な登りに取り付く。目線の位置に低く雲海が横たわっていて、少し高度を上げるとすぐにその上に抜け出た。
日差しの強さに体力を奪われないために、あまり早足にならないよう注意しながら登る。三角点のある前山に到達。遠く、荒沢岳と思われる端正な山頂部がもう見える。前山には男性一人が休憩していたが、かなり疲労気味の表情だ。自分も日差しを避け、日陰の場所を探して小休止する。
再び荒沢岳を目指す。前山を下るとすぐに、伝之助小屋からの登山道と合流する。前ぐら(「ぐら」は山かんむりに品)の基部までは穏やかなブナ林が続く。ほどよい起伏が繰り返され、少しずつ高度を稼いでいく。高みに上がるたびに展望が開け、前方に屹立する前ぐらの岩峰が近づく。
先ほど休んでいた男性の連れと思われる女性が、男性が来るのを待っていた。駐車場で車が多く停まっていたわりには、それほどたくさんの人に出会わない。すでに上のほうに行ってしまっているのか。
「この先岩場注意」の標識に来た。前ぐら基部であろう、さあいよいよ。けれど進む先はまだ草深い樹林帯の道だ。すぐに鎖やロープの張られた細い道となり、ほぼ垂直の岩場に出くわす。鎖を頼りに体を引きづり上げるが、一箇所だけ足場が見つからずに登るのに苦労した。日頃の不摂生がたたってか、垂直状の鎖場は体が重くきつい。
鉄製の梯子と鎖が交互に出る。梯子は全部で4本。登りきるとあたりが開け、鋼のような前ぐらの岩峰が目の前に現れた。写真で見るより小ぶりな感じがしたが、近づいて見るとやはり、恐ろしいくらいのごつい岩塔である。
ここから30mくらい、一枚岩状の斜面を下る。その上にある長い鎖場は荒沢岳最大の難所で、最大70度の前ぐらの斜面を斜上している。上のほうで人の声がするが姿は見えない。
岩場にいざ取り付くが、斜めになっているのでバランス感覚を保つのが難しい。それに滑ったら怪我では済まない場所だ。鎖にしがみつき、夢中になって登りながら、これは果たして下れるのだろうかと、帰りのことが頭をよぎった。
大汗をかいて斜めの鎖場を終えると、今度は崖のような岩場を直登する。はるか上から一本、鎖が垂れ下がってきている。両側が草付だから高度感は半減されているが、ほぼ垂直に近いところもあり下を見ることができない。鎖は重く、それだけで腕力を使う。女性には大変だろう。
ホールドは多く足場には困らないが、鎖は何本も継続していた。登っても登っても鎖場で、いったいいつ終わるのかと思う。おそらく全長50mほどはあろうかという、この直登の岩場のほうが、さっきの斜め登りよりきつかった。しかも、日は差してこない斜面とはいえ、蒸すような暑さである。
前ぐらの頂上に出た。今までの急斜面とは世界が違うような、穏やかで平坦な休憩適地である。先ほど聞いた声の主であろうグループが休息していた。眼前に荒沢岳の頂稜部がでかく、高い。そして太陽ギラギラ、前ぐら頂上は木のないむきだしの稜線である。日陰がないのだが、それでも少しでも日を遮られそうなところに腰を下ろす。
荒沢岳方面から一人下ってきた。あまりの暑さで山頂は諦めたと言う。また、休んでいたグループの何人かも、これから先に進まずに下りるらしい。せっかく最大の難所を越えてきたのに、暑さで撤退するのは残念だ。しかし、体力のあるうちにその難所を下っておこうと考えるのも一理ある。
自分もかなり参っているが、この先に木陰があって休憩できそうだと言うので、とりあえずそこまで行って休むことにした。しかし、再び歩こうと立ったら、目が回っていた。フラフラになりながら木陰の場所にたどり着く。暑さにやられたかな、熱中症の一歩手前かも・・・そう感じる。
15分ほど休んでいたか。再び立ち上がると、何とか歩けそうな感じになった。起伏の少ない道が続きそうなので先に進むことにする。しかし、標高1600m程度のむき出しの稜線はうだるような暑さである。
3名ほど下ってきた。よく見るとさっき前ぐらで休憩していた人たちだ。この暑さに加え、この先の登りが長そうなので、諦めて引き返すそうだ。自分も何だかこのまま進むのが恐くなってきた。無理して登っても、下りの鎖場で疲労がたまっての怪我が恐い。これだけ、下山のことを案じながら登る山というのも珍しい。
高みに上がると木が数本立っていて、かろうじて日よけになる。振り返ると眼下に広がるブナ林、奥只見湖の青い湖面の奥に会津の山々が見渡せる。眺めはいいのだがヤセ尾根はだんだんと傾斜を増し、手を使う場所も出てきた。先ほどのような鎖場ではないのが救いである。
途中で自分の意思が萎えてしまうのがいやだったが、どうにか主稜線が近づき、登れるメドがついた。しかし疲労はもう極限である。
しゃにむに登ると、ひょいと稜線に出た。初めて風が通り、涼しさを感じてホッとする。左の小さなピークの花降岳、そして遠くに燧ヶ岳の双耳峰が最初に目に飛び込んできた。
荒沢岳は反対の右の稜線を進む。いくつかの岩峰のピークを越えたり巻いたりしていく。うちひとつは左側が切れ落ちた急斜面を慎重にトラバースする。4つ目のピークが荒沢岳頂上であった。いやはや何と登山口から5時間以上かかってしまった。
石造りの山名標が真ん中にある頂上はそう広くないが、360度の展望は見ごたえがある。初めのうちは疲れて展望を楽しむどころではなかったが、ゆっくり休憩しているうちに少し余裕が出てきた。
西面に越後駒ヶ岳~中ノ岳~兎岳~丹後山の稜線が懐かしい。兎岳からここ荒沢岳間は尾根続きとなっていて、それほど一般的ではないが登山ルートとなっている。これらと巻機山、平ヶ岳と合わせ一大山塊を形成している。翻って北東側は、守門岳の存在感がある。続いて浅草岳、未丈ヶ岳、奥只見湖を前に会津朝日岳の岩壁がよく見える。一番遠くに見えるのは飯豊連峰であろう。また越後駒と中ノ岳の間には、ギザギザの八海山が頭を覗かせている。
山頂からの眺めはただ単に山や谷が眺められればいいのではなく、それらがバランスよくつながりを持っているのが、展望のいい山と言える。また、見える山並みは遠くなく、ある程度近くあったほうがいい。荒沢岳からの越後三山は眺めるのにちょうどいい距離にあり、奥多摩・石尾根からの南面の山並み、北アルプス・弓折稜線からの槍・穂高、白毛門からの谷川岳の眺めなどに匹敵するダイナミックさがある。
頂上に長居してしまい、もう1時近くになった。登山者もあと2名を残して皆下っていった。今日は下山に不安があるので、最終下山者にはなるのは避けたい。
稜線のピークを巻き下って長い下りの尾根に入る。日が少し翳ったが、無風状態なのでまだ暑い。やはり足が遅く、すぐに後ろの2人に抜かれてしまう。気になるのが飲み水の残量だ。もうすでにペットボトルの半分くらいしかない。
急坂を何とか踏ん張って下る。体力は持続せず、日陰があったらつい足を止めてしまう。途中で1人、さらにまた一人を追い抜く。先ほど抜かれた人とは別の人だ。
前ぐらの下降点に来た。体力が回復したと自覚できるまで休憩する。ふんどしを締め直して、急斜面にかかった鎖をつかむ。やはり下りは、登りのときより体力も腕力もよけいに必要だ。それに時間もかかる。鎖から手を離したら転落なので、意識を集中して一歩一歩下る。
とりあえず立ち止まれる場所に来た。緩く下った後、問題の斜め斜面の岩場となる。後ろ向きで行くしかない。鎖にしがみつき、同じように一歩一歩下るが、ルートが曲がっているため方向感がつかみにくい。間違った方向に下りてしまわないように、地形に注意していく。体が重いのがつらい。
それでもどうにか下りきった。前ぐらの岩峰を見上げられる場所まで歩き、ホッと腰を下ろす。水をがぶ飲みし、あと数口分しか残っていない。時間も気になる。日没の17時50分まではさすがに下山できるとは思うが、それでもこのペースだと17時はまたぐだろう。今回の山行の行動時間は10時間を越えそうだ。
さっき抜いた人が追いついてきた。自分以上に疲労している様子。最大の難所は過ぎたが、まだここからもきつい鎖場がある。登りのときに足場が見つけにくかった箇所は下りでも苦労する。どうにか前ぐら基部まで下り着いた。「この先岩場注意」の標識を見て、いままでの緊張感が一気に解き放たれた感じだ。
放心状態で休憩する。おにぎりの残りを喉奥に押し込む。水がないのでものを食べるのも一苦労だ。
しかし、休憩すると冷えてしまうのか、行動再開したときに体が思うように動いてくれない。極度の疲労とバテからくるものだろう。こういう感覚は山では初めてである。前ぐら基部から前山までは2km足らずの緩やかな稜線なのだが、何度も休憩を入れた結果、1時間20分もかかってしまった。
前山で荒沢岳の最後の姿を写真に収める。さあ、あとは一気に下るだけだ。水はついに一滴もなくなった。ブナ林の急坂を下る。木の枝越しには、北ノ又川の流れがはるか下に覗いたが、ここからだとまだ300m以上の高度差がある。しかし一歩一歩下るしかない。ヘッドランプのお世話にはならずに済みそうだ。
そろそろ車のエンジン音も聞こえるようになったころ、下から一人登ってきた。よく見ると、さっき下り道で前後して歩いていた人だった。一足先に下山したが、まだ下山中の人のために、何とペットボトルに水を満たして登り返してきてくれたのである。自分が水を飲み切らしていたことは薄々気がついていたようだ。親切な心に感激し、ありがたく飲ませてもらった。本当にうれしいこともあるものだ。その人は、もう一人の下山者にも水を渡そうと、さらに登っていった。
元気が湧き、15分ほどの下りを一気に歩いた。給水施設を過ぎ、すぐに登山口の駐車場に下り立った。17時25分。駐車場の車は3台だけになり、日は傾きかけていた。これが10月くらいのもっと日の短い時期だったらえらいことだった。荒沢岳という山を紅葉目当てで登るなら、下山時に日が暮れることもあることを一応想定しておいたほうがいいだろう。車にザックを放り込み、水をがぶ飲みし、靴を履き替えカーエアコンをつけた。生き返る心地がした。
今回はとにかく、バテというものを体験し、いい勉強になった。暑さに負けたというのもあるが、もっと体を鍛えてシェイプアップしておかないと、同じことを繰り返しそうである。
このまま運転して無事に帰る自信がない。今日のところは近くに泊まって明朝に帰京することに決めた。伝之助小屋に行ってみたが予約でいっぱい。少し先の銀山平の民宿もあたってみたがだめだった。三連休の中日なのでしょうがないだろう。小出駅近くのビジネスホテルに電話し予約を入れる。
銀山平の日帰り温泉施設「白銀の湯」で汗を流し、小出駅まで車で下った。
翌朝、湯之谷地区まで行ってみる。田圃は稲穂が垂れ、収穫の時期を迎えていた。道の駅ではすでにコシヒカリの新米が売られていたので買って帰る。