読売新道は、読売新聞社が事業として1961年に開削を行ったものである。登山道の完成は5年後の1966年となる。
かつては、北アルプスの高峰、水晶岳から先は登山道がなかったのが、読売新道の開通により一般の人でも北アルプスの稜線から黒部川の東沢出合へ下り、黒部ダムまで歩いていけるようになった。今回は、この道を歩く。
赤牛岳に続く明るい稜線
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新穂高温泉から入山するので、コース的には昨年の立山~薬師岳~新穂高温泉の続編という感じ。雲上の楽園、雲ノ平へは3度目の訪問となるが、今回のハイライトは後半、水晶岳を経て赤牛岳から黒部ダムまでの読売新道である。
水晶小屋を起点として黒部ダムまで、23kmの長い道のり。距離以上にタフで険しい、登山者で賑わう北アルプスとは思えない原始のままの山と道があった。
中央道渋滞で、新宿からの高速バスは1時間半遅れ。バスによるアプローチは、土日を出発日とすると渋滞に巻き込まれやすい。考えてみれば当然だった。
平湯から路線バスに乗り換える。登山口となる新穂高温泉は、バスの終点ではなくなっていた。今はロープウェイ口までバスは入ってくれる。以前のバスターミナルの建物は取り壊され、無料温泉もなくなっておりバス停付近は何となく殺風景な感じになった。
歩き始める。時間が遅いので下山者と多く会う。中間点くらいまで来た時、クマを目撃。林道を歩いている。目が合った。川べりに下りる隙に通過。振り向くとまた林道に上がっていた。
その後、小屋に着くまではクマ鈴とホイッスルを鳴らし続けながら歩く。小屋の人に告げると、ここまでは来ませんよ、自分も見てみたいなんてのんきなことを言われた。
わさび平小屋のテント場はブナ林の中。水が豊富でうまい。夕方小雨模様となり、距離は離れているが雷鳴も聞こえてきた。
やや霞んだ青空の中を出発する。小池新道は河原歩きからハンノキなどの背の低い樹林帯へ緩く高度を上げていく。日照りはないが何となくムシムシした陽気。
雪渓が例年になく多く、秩父沢の水量も豊かだ。イタドリヶ原あたりまで登ると背後に穂高の峰々。頂上部に黒っぽい雲がかかっている。水場のあるシシウドヶ原で右折気味に、石のゴロゴロした登山道を行く。木道のしつらえたところは熊の踊り場と標識に記されているがぶっそうな名前だ。
いつも見られた場所にクルマユリは咲いていなかった。
鏡平に着いたときは曇り。鏡池に槍の姿はない。穂高や西鎌尾根のピーク付近は雲が被っているが飛騨側はまだ少し天気はよい。日差しは弱いが、鏡平小屋のかき氷がよく売れていた。
双六を目指して急登を詰める。樹林の背が次第に低くなり、視界が広がる。ヨツバシオガマ、クルマユリ、ハクサンチドリ、テガタチドリを見る。弓折岳分岐から花見平へ。ハクサンイチゲ、シナノキンバイが至るところにが大群落を形成している。残雪も多く、やはり雪解けた今ぐらいの段階がこれらの高山植物が一番の盛りとなるようだ。
クロユリもかなりの数が開花している。ただコバイケイソウがまったく咲いていない。この白い花の群落がないと、夏の北アルプスの風景としてはいまひとつ物足りなさを感じる。開花時期のずれならば、少しは花咲いているものもあっていいのだが全くないので、裏年ということなのだろうか。
双六岳は雲が被っているが、その奥の黒部源流の山、鷲羽岳が日に当たって明るく見えた。天気は少しずつ回復しているようだ。
双六池、双六小屋に着く。小屋前の軽食コーナーで牛丼を注文する。ここには昨年テント泊したので、今日はこの先の三俣まで足を伸ばすことにする。
双六小屋からは、三俣への巻き道コース、中道コース、双六岳直登コースいずれも急登道にとりつき、途中で枝分かれしていく。ガレ場のある直登コースは、今年は残雪が多いため通行不可となっており、中道からさらに分岐する春道を通って双六山頂に向かうようになっている。今回は、双六岳の山頂は通らず中道をそのまま行く。
双六~三俣蓮華岳を結ぶ稜線に出る。黒部五郎方面はガスに隠されているが、三俣方面は明るい。
丸山への登りがかなりきつく、重荷が堪える。登りきってしまえば緩い稜線歩きで三俣蓮華岳頂上。青空の中、雲を割って鷲羽岳、祖父岳、そして水晶岳が見えてくる。
登山靴のソールが剥がれた登山者がいた。テーピングのテープを持っていたので差し出す。テープのほか細引きやカラビナなどで補強している。見ていて参考になった。
急なガレ場を下って巻き道へ。ハイマツの切り開きを下って三俣山荘のテント場に着く。正面の鷲羽岳が順光を浴び、花崗岩の明るさをいっそう際立たせている。いつのまにか槍ヶ岳も姿を現した。