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朝はそれほど気温が下がらず、天気がやや下り坂であることを感じる。 今日は薬師岳を往復した後はテントを撤収し折立(おりたて)へ下るので、早めの行動開始とする。
沢沿いの樹林の登りを15分ほどで脱し、やがて石と砂礫の稜線に上がる。風が強く2日目の双六の時を思い出す。しかしあのテントを吹き飛ばさんほどの突風を体験してしまえば、これしきの風はなんのそのと思う。 案の定雲の湧き立つのが早く、槍、水晶岳方面の眺めがさえぎられて来る。しかし反対側の飛騨側は、はるか下に一面の雲海が広がっている。 薬師岳山荘、避難小屋跡と遭難碑のある東南稜分岐を越え、頂上までの最後の稜線に入る。 右手下に大きなカールが落ち込んでおり壮観な眺め。薬師岳はやはり、一山だけでスケールのでかい山だと体感する。 薬師如来の祭られた薬師岳頂上(2926m)に立つ。槍方面は雲の中だがそれでも素晴らしい展望。北薬師岳以降北に続く稜線が眺められ、遠くは剱岳まで望める。
本当はこの稜線を伝って立山まで歩きつなぎたかったが体力的に持たない。しかし薬師岳は片側だけを往復する山ではない。この長大な稜線を越えてこそ意義があるように思う。 今回は食糧も底をついたのでやはりここの縦走には別の機会を設けたい。 テント場まで戻る。コースタイム5時間弱のところを2時間45分で往復できてしまった。やはりここのコースタイムはかなり多めに取ってある。昭和38年に大量遭難があったせいもあるのだろうか、余裕のあるプランニングをこの山は登山者に求めている。 テントをたたみ太郎兵衛平へ戻る。さあ6日間の北アルプスの旅もフィナーレだ。 時間は9時半を過ぎた。折立12時20分発のバスに乗れるだろうか。小屋の奥さんに聞いたら、「ちょっと頑張れば間に合いますよ」と言ってくれた。意外とはっきりとした答えだったので返って安心、折立への下りに入る。 石畳と木道が続き歩きにくい。土の上を歩く部分はほとんどなく、ここはいずれは舗装されてしまうのではないかという疑念がわく。 しかし展望のいい登山路だ。薬師岳の頂上がしばらく見え続けている。 ベンチ、1871m三角点と標高を下げるとさすがに蒸し暑くなってくる。雲の平も薬師峠も暑い日があったが、総じてカラッとしていて、動き回りさえしなければ汗の出ない暑さだった。下界の暑さとは違う。 いつしか北アルプスの峰々の姿はなくなっていた。さあもう振り返るのはやめて、下ることに専念する。 折立まで20分の導標。体を前に推進していく力ももう限界近い。 あと20分でもう歩かなくていいと思うと嬉しさがこみ上げてくる。でも数日経つとまた山を歩きたくなってきてしまう。山の魅力とは不思議なものだ。 折立登山口にある遭難碑に、薬師峠で汲んできた水の残りをかけてあげる。 登山口には数名の登山者とバスが待っていた。5日ぶりに見る乗り物だ(ヘリは見ていたが)。さらにトイレの鏡で久々に自分の顔も見た。髭が伸び浮浪者のようだ。こんな顔の登山者に行きかう人々は皆、こんにちはと挨拶してくれたのか、と申し訳ない気持ちになる。 富山駅前で髭剃りと石鹸を買う。駅のトイレで髭を剃り、6日間の山の生活に別れを告げる。 北陸本線の車窓に広がる日本海の眺めに、山旅の回想を重ね合わせながら帰途につく。 |