6時過ぎに起床。日の出は6時40分くらいである。
早く起きた人によると、5時半ごろの1階の休憩室は大勢の女性の化粧ルームになっていたそうだ。山小屋の新たな点景であろう。
ご来光を見に、意を決して外に出る。富士山が赤くなっていた。気温はついに氷点下10度を下回っていた。室内との気温差は30度である。今年1月の雲取山では朝の気温が氷点下14度、また2年前の天狗岳(八ヶ岳)のときも、数字的にはもっと低温だったはずなのだが、風が強い今回のほうが体感温度は低い。
小丸付近で鹿の群れを見る
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メンバーの体力を考え、丹沢山往復はやめて鍋割山稜を経由して下山することにした。
さて、朝食を取って出発するか考えものだ。と言うのも、鍋割山荘で名物の鍋焼きうどんを食すのも今回のイベントのひとつだからだ。
今から行くと8時ごろには着いてしまう。それなら朝食を鍋焼きうどんにしてもいい。しかしそんな早くから鍋焼きうどんを作ってくれるのか、わからなかった。結局、朝食をとってから出発した。
7時半に小屋を出る。少し下ると風が弱まったせいか、刺すような寒さはなくなった。地面はカチンカチンに凍結しているところもあるが、歩きにくくはない。気分のよい尾根道を行く。
金冷シノ頭で鍋割山稜に入る。塔ノ岳から鍋割山まで200mほど高度を下げるが、その間には比較的大きなアップダウンがある。大丸への登り返しは朝からきつい。鍋割山稜は闊達な明るい尾根道だ。訓練所尾根を分け、ブナの間から蛭ヶ岳や臼ヶ岳が覗く。丹沢の最高峰にも、雪はほとんどついていないようだ。某大手旅行会社のグループとすれ違う。
やがて正面のピークに建つ鍋割山荘の赤い屋根が見えてくる。バックの富士山には大きな雲がまとわりついている。今回はどうやら両日とも、きれいな富士山を拝むことは出来ないようだ。
見通しのよい尾根を歩いて鍋割山に到着する。9時前の到着。山荘に入って聞いてみたら、鍋焼きうどんはもうやっていたので、さっそく注文する。食べるのは今回が2回目だが、下界の専門店と変わらない、立派なうどんである。それにしても、こんな朝から鍋焼きうどんを食べられるなんて、この山荘のうどんへの力の入れ様がうかがえる。
鍋割山からは相模湾が一望でき、真鶴半島や箱根の山、富士の裾野の愛鷹連峰などがよく見えた。斜面は草地になっていていい休憩地である。
二俣へ下山開始する。アシビの茂る尾根はしばらく見通しがいい。
登ってくる人とすれ違う。出発が早い人たちだなと思っていたら、後から後からどんどん登ってきた。こんにちは、おはようございますの連続である。後沢乗越までおそらく100人くらいと会ったのではないかと思う。もしかしたらこの時期の鍋割山は、塔ノ岳以上に人気があるのかもしれない。
皆鍋焼きうどんを注文するのだろうか。100名×1000円=10万円。うどんで1日10万円稼げるとは大したものである。
後から聞いたことだが、お昼近くの一番混む時間帯だと、鍋焼きうどんは数時間近く待たされることもあるらしい。自分たちは時間が早かったので、全く待たずに食べられた。山はやはり早発ち早着が原則である。
後沢乗越に着き、尾根を外れて下ろうとするが、狭い道をなおも登山者がどんどん登ってくるので、なかなか出発できない。人の流れが切れるのを見計らって歩き出す。
登ってくる人の何人かは、水を汲んだペットボトルを片手に持っている。最初は単なる飲料水かと思ったら違った。答えは河原に下りてから判明する。
そこには沢の水を山荘まで担ぎ上げてほしい、と張り紙がしてあった。要するに皆、鍋割山荘のために水汲みボランティアをしていたのだ。そこに用意されていたペットボトルに沢の水を入れて登っていた、ということ。
水を運んだからといって、別にうどんやコーヒーのサービスがあるわけでもないのに、皆優しい心の持ち主だ。山に登る人に悪者はいない、という謂れを地でいっている。
二俣からは長い林道歩きが待っていた。いつしか日はかげり、山の上のほうには雲が被さっている。仲間としゃべりながらてくてくと歩く。
里道に出ると無人野菜販売所がいくつかあった。ネギなどとても安いので、こちらを登りにとって、鍋用の野菜を現地調達しても面白かった。
表尾根のゴツゴツを見上げながら、大倉バス停に到着した。