~近くてはるかなる上武国境の山~ 民宿ときわ荘にて |
●楢原の民宿にて
ときわ荘に入るなり、おば(あ)ちゃんに「ちょっとあっちの部屋からストーブ持ってきてくれんか?」と言われた。この民宿は客にそういうことさせるのかと思った。 同宿していた人の話によると、この宿は最近ご主人が他界されてから、このおばちゃんひとりで何とか切り盛りしているという。時々子供達が手伝いに来るようだが、この日はひとりだけだった。 なのであまり一度に大勢泊めないようにしている。予約の電話を入れたとき、何となく歯切れが悪かったのはそのせいかもしれない。この日の宿泊者は全部で9人だった。 でもおばちゃんひとりでは忙しい。見てて気の毒に思える。 電子レンジの使い方、電気炊飯器のセットのしかたなど慣れていないようで、泊まり客が厨房に入って機器のセットをしてあげる。 明るく気丈なおばちゃんだけれど、言葉の節々にふと寂しさのようなものを感じる。
口のなかでとろけるようなこんにゃく(上野村の名産)、じゃがいもの煮付け、うどん、朝食の味噌汁はみんな濃い口の田舎の味。 味噌汁は、味噌の味がするから味噌汁なのだ。子供の頃を思い出した。自分は小さい頃、こういう味付けのものを食べて育ってきたのだと、体が覚えていた。 煮付けおいしいね、とでも言うと「おいしいでしょ」とどんどん追加で出して来る。魚も2匹食べてしまった。 お腹がふくれて苦しいので、窓を明け外の空気を吸う。外はさすがに冷える。秋の虫の声は聞かれず、神流川の静かなせせらぎだけが耳に入る。谷深い奥多野の山村は、いつの間にか冬に入ってしまったようだ。 明日は長丁場の諏訪山。同じく諏訪山に登る2人組に合わせて、6時に朝食とさせてもらった。おばちゃんは「早く起きるから大丈夫だよ」と言ってくれるが、何か悪い気がした。早起き早出の登山者は何と迷惑な存在だろうか。 上野村の民宿はときわ荘以外にも10軒ほどあるのだが、今回予約の電話をした際何軒か断られた。ときわ荘もそうなのだが、もともと老夫婦の経営で、ご主人か奥さんのどちらかが亡くなり、閉めてしまった宿が何軒かある。 諏訪山のもうひとつの登山口、浜平にある鉱泉宿も今は廃業している。跡を継ぐ世代がいないのである。 ●御巣鷹の尾根 これらのことの多くは、入浴していたときにたまたま居合せた宿泊客から聞いたことだ。 「この上野村って、ちょっと変なことで有名でしょ?」その人の言わんとすることはすぐにわかる。昭和60年8月、日航ジャンボ機が墜落した御巣鷹山(おすたかやま)があるところなのだ。
その50歳くらいの人は、大阪からやって来た遺族の方であった。 5月に御巣鷹山の山開き、そしてこの11月3日が閉山祭だそうで、他の遺族の方2人で登りに来ているそうだ。山開きの時期は残雪も多く、今の時期に来ることが多いという。 テレビなどで、墜落の日(8月12日)に慰霊登山をする映像を見ることがあるが、家族の方たちはそれだけでなく、山開きや閉山の時期にもこうして登りに来ているのである。 昨日バスで見かけた喪服姿の人も、おそらくこのことと関係があるのだろう。 事件からすでに20年以上経ち、家族の方も高齢化しているという。上野村の今後と重なって見えてしまう部分が多い。 あの事件当時は、この静かな山村も救出隊や遺体の搬出、取材の車などでごった返し、それが起因となって車道やスーパー林道が何本も引かれるなど、交通インフラ整備の面ではいくらかの発展を見たという経緯がある。しかし今はまた静かな村に戻り、人車の往来も思った以上に少ない。 上野村は東京から直線距離ではそう離れていないのに、今でもなお、交通不便な陸の孤島なのだ。 この暖かい雰囲気を残してもらいたい思いもある反面、このままでいることがこの村にとっていい選択なのか、ちょっと複雑な気分になる。 |