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2006年10月15日(日)~16日(月)
天神平-谷川岳-大障子避難小屋-万太郎山-仙ノ倉山-平標山
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大障子避難小屋
大障子避難小屋

●強風とガスの中へ突入
風は朝5時を過ぎても止まなかった。むしろ強まっている。外はガスで何も見えず。
もう一人の人(ここではMさんと呼ぶ)は5時、自分は6時に出る予定だったが、少し様子を見ることにした。扉の縁を見ると雨も降っている模様。

ラジオをつけてみる。「今日は北日本・東日本・東海近畿と雲ひとつなくきれいな青空が広がっています。日本中いい天気ですねー」と言っている。新潟の上中越では時雨れているようだが、午前中に止むとのことだ。しかしそれまでは待てない。

そもそも今回は2日間晴れ・晴れの予報だったはず。どうやら荒れているのはここ、谷川国境稜線だけのようである。あまりのついてなさに、2人で笑ってしまう。

7時、8時・・・と時間だけが過ぎていく。この強い風では外に出るのもためらわれる。縦走は諦めて引き返すか。しかしMさんは、オジカ沢ノ頭の岩場は濡れていると危険だと言う。たしかにそうかもしれない。
明日は会社だがこのまま今日はここに停滞、ということも考えるようになってきた。むき出しの稜線上の小屋で、身動きが取れなくなってしまった。
縦走するには出発のタイムリミットは10時だ。Mさんはそれでも縦走するようだが自分は引き返すほうに心が傾いている。引き返すにしても、この天気では急峻な西黒尾根を下るわけにいかない。
それに土合側に下れたとしてもATMがなさそうで、電車に乗って帰るお金がない、という情けない現実もある。それなら頑張って縦走を果たし、元橋からバスで越後湯沢に戻るのなら銀行で下ろせるであろう。
いろんなことを考えているうちに10時になってしまった。もはやここにとどまるわけにいかない。しかしまだぐずっている自分を見て、Mさんが「ここにいれば安全だけどね」と言う。その言葉が縦走する決心を固めてくれた。

幸い、風は少し弱くなっている。雨も降っていない。カメラをしまい(それでこのページには写真がない)、雨具をしっかり着込んでガスが充満する外に出る。進む方向は西、越後側である。
Mさん先導で稜線を進む。すぐに風でよろめきそうになる。まずは大障子ノ頭(1800m)、岩場の下りを経てからそして万太郎山(1954m)への長い登り。この山へは天気のいい日に登りたかった。しかしそんなことは言ってられない。ハイマツと岩、笹の稜線で風と戦いながら、アップダウンをひとつひとつこなしていく。ガスで何も見えないが道そのものは歩きやすい。

笹の原をどんどん下る。周りは白一色なので単調である。やがて越路避難小屋に着く。昨日はここに2人が泊まっていたはずだが、もちろんもういない。どこまで進んだだろう。
ドラム缶を倒したような小さい小屋だが中はきれいで、3,4人は楽に寝られる。しかし気象条件の激しいこの縦走路では避難小屋は文字通り、避難小屋としての役割も十分に果たしていそうだ。

指導標のある毛渡乗越(1577m)に着く。ガスが途切れ、谷底に日が当たっているのが見える。やはり稜線を外れるか高度を下げると、そこには青空とお日様があるようだ。
乗越からは長い長い登りとなる。前方にグロテスクな岩峰が次々と現れる。右に回りこむように岩尾根を登っていく。登り着くと、すぐまたその先にピークが現れる。今度こそと思いながら踏ん張ると、さらにもうひとつ。エビス大黒ノ頭への登路は、次々とダマシのピークが出てくるので精神的にもきつい。

ようやく先に高い所がないピークに着く。標識が立っているが何と書かれているのか読めない。ここがエビス大黒ノ頭(1888m)なのだろうか。ここまで何度もニセピークにだまされているから疑いたくもなる。
過去に登ったことのあるというMさんも、少し自信なささげだ。しかし、このあと出てくる岩場の下りで、ここがエビス大黒ノ頭だったと確信が持てたようである。

エビス大黒避難小屋が見えてくる。進む先、ガスの中からボウッと人影が現れる。こんな天気に登ってくる人がいるとは信じられない。この先の越路避難小屋に泊まるそうである。
ここまで一人にしか会っていないそうだ。もう一人の女性はいったいどこへ行ってしまったのだろう。


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