8月1日(5日目)奥黒部ヒュッテ~平ノ渡し~黒部ダム |
2日前、三俣山荘のフロントに「奥黒部ヒュッテから平ノ小屋の間は地震の影響で7月31日まで通行不可」と書かれていた。山荘の人に聞くと、今は修復されたとのことだった。
だが奥黒部ヒュッテの管理人さんは、通れるようになっているがまだ修復作業の途中なので、かなり危険なところがある、と言っていた。山深く資材搬入が大変なので、まだ作業中なのかなと思った。
平ノ渡しで船を下りる
|
清々しい朝、朝食の後奥黒部ヒュッテを出発する。黒部ダムまでの5時間あまりの登山道は、標高1500mあたりを行き来する道が最後まで続く。大きく登ったり下ったりすることはないいわゆる「水平道」である。
それでもこの道は難路と言われる。話によれば、ヒュッテまで下山してきた人が黒部ダムまでの水平道が体力的・技術的に歩けなさそうな場合、ヒュッテの人は赤牛・水晶岳まで登り返すことを薦めることもあるそうだ。
まず丸木橋を渡り、最初のうちは河原に開かれた林道を何の不安もなく歩く。やがて川から距離が離れ、山腹を登っていくと次第に道は険しくなる。高さ30mほどありそうなへつり道で、左は垂直に切れ落ちた状態が続く。ザレ場の急斜面に足を置く場所が見出せない。一歩一歩慎重に、バランス感覚を失ったら危ない。そんな崖のような場所で木の梯子を登って下りる。よくこんなところに梯子が架けられたなあと思う。
荷物が重いので動きが鈍い。下りで、足を置いた梯子段の木が腐っていたようで、メキメキッと音を立てて折れたのには肝を冷やした。落ちてしまうかと思った。
そんなガレ場、ザレ場、それにかかる垂直に近い梯子が無数に出てくる。梯子は全て丸木を組んだもので、アルミや鉄製のものはない。
よく見ると、梯子の横に真新しい木材が置かれていたりする。古くなった梯子の取替え用、または桟道を作るためのものだろう。
ヒュッテの従業員が追い抜いていった。この恐怖の登山道にもかかわらずスタスタと走るように行ってしまった。左下に見える川が次第に太くなってきて、湖と呼べるくらいになった。
常に左側が谷、右側が山になっているので右腕が木の枝やヤブにこすれて引っかき傷がついてしまう。長袖にすればよかったが、標高が高くなく汗をかくのがいやなので、Tシャツ姿で歩くことにした。実際まだ日が差してこないので、汗はかいていない(冷や汗、脂汗はかいている)。
昨日は同じ右腕がずっと日の差している側だったので、ヒリヒリするほどの日焼け状態になっている。
ヒュッテの管理人さんが話していた「危険なところ」はおそらく通過したらしい。梯子はまだ出てくるが、ガレやザレ場はなくなり歩きやすくなった。回りを見渡すと豊かな広葉樹林が広がっていた。
道中、標識は全くないので、対岸の地形や入り江の形状と、地図とを照らし合わせて現在位置を確かめる。歩き始めて1時間半ほど。湖のほうから、ダダダダ・・・と船の渡る音が聞こえてきた。そろそろ針の木渡し場に着くころか。
木材を担いだ作業服姿の人が数人、上がってきた。ここが針の木の船着場ですか?と聞いたらまだまだ先だと言う。仕事の人は針の木渡し場ではなくもっと他の場所を船着場として、黒部湖を渡っているようだ。
それからが長かった。なかなか渡し場らしきものが見えてこない。さらに30分以上歩いていくと、昨日のテントの人が階段を上がってきた。標識があり、ここから湖岸に下る階段がついている。針ノ木渡船場に到着した。
渡船場といっても、木の階段が湖面に向かって下りているだけで、ちゃんとした乗り場があるわけでもない。ここに船が着いて、かなりワイルドな乗り方になりそうだ。
ここから対岸の平ノ小屋側渡船場に船で行くわけだが、この船は黒部ダムの所有者である関西電力の委託で運行されており、操船しているのは平ノ小屋の管理人さんだそうだ。1日に5往復ほど運行される。
管理人さんが平ノ小屋側から双眼鏡でこちらのほうを見て、人影があったときのみ船を出すそうである。だから、予定の時間が来たら湖岸に下りて、存在を気づいてもらわなければならない。5分ほど前に下りてしばらくすると、船がやってきた。なかなかユニークな運営方法である。
この時間の乗船者は結局、単独の人と自分の2人だけだった。10分程度の快適な船の旅を満喫した。
平ノ小屋船渡場(平ノ渡し)に着く。もう一人の方は平ノ小屋へ寄るようだが、自分は先を急ぐ。対岸に渡ってから、なおも3時間の歩きが残っている。
こちら側は東側、つまり右手が湖側となる。朝のようなガレ場の梯子の登り下りはさすがにないが、急斜面の白ザレが随所に現れる。登山道は白ザレを避け、上部の樹林帯に通じているので、何しろアップダウンが多い。
大きな入り江を回り込み、沢を丸木の橋で渡る。日差しが強く、水の消費が増える。今自分がどのあたりを歩いているのか、わからなくなりがちなので、黒部湖の地形や登山道の高さで推測する。
アップダウンを繰り返しているうちにすこしずつ高度を上げているようだ。ブナ林の緩やかな道に出会うとホッとする。小さな沢で喉を潤す。とにかくここまで来れば、あとは気力との勝負である。
樹林の間から見えているのは針ノ木岳、スバリ岳あたりと思われる。黒部湖には時たま、船が行き来している。おそらく黒部ダムからの遊覧船が運航されているのだろう。途中で引き返してダムに戻っていく。
もし奥黒部辺りに船着場があれば、この長い登山道を歩くことなく、船で黒部ダムまで行ってくれる、という虫のいい話はないだろうか。奥黒部でなくても、さっきの平ノ渡しからでもいいから、黒部ダム行きの直行便を運行してくれないかと思った。まあ登山者向けのものになってしまうので、採算が合わないから無理なのだろう。
奥黒部は日本有数の豊かな自然郷ではあるが、地形も複雑で一般の人が楽しめるような観光資源をここに求めるのは現実的でないかもしれない。ただし時代の流れはわからないので、今は登山者や遡行者のみ世界の奥黒部も、いずれは開けて、大きなホテルや観光施設が建つ日がないとは言えない。
そうなればこの6時間もの水平道も誰も歩くことなく、歩いた人にとっては過去のいい思い出話となるだろう。
かなりお年を召した、3名の人がやってきた。奥黒部ヒュッテまでですか?と聞くとそうだと言う。ヒュッテまではまだかなりある。関係者の人だろうか。ただ一応ハイキング姿なのだが、あまり歩き慣れているような人とも思えない。
枝越しにようやく・・・!黒部ダムが見えてきた。しかしまだかなたにある。さらに入り江の向こう側にロッジくろよんが建っている。直線距離ではすぐそこにあるのだが、この入り江を回り込むとなるとまだかなり時間がかかりそう。
昨日の赤牛岳からの下山路同様、今日も標準コースタイムをオーバーした歩きになっている。ここはやはりよほどの健脚の人でないと歩かないようなので、コースタイムもそのような値になっているのだろう。河原までいったん下って、またその分だけ登り返す。最後の力を振り絞って、ロッジくろよんの前に出た。自動販売機を久しぶりに見た。
ジュースを飲んでいると、平ノ小屋に寄っていた人が追いついてきた。
登山道の補修について、平ノ小屋の管理人さんから、興味深い話を聞かせてもらったとのこと。つまり、この水平道の維持管理は関西電力によって行われているのだが、大飯原発の再稼動問題で風当たりが強く、なかなか今回は登山道補修の予算が下りないのだという。資材は運ばれるが整備されない、そのような中途半端な状態が続いているとのこと。
震災や原発の問題は、別の側面で山にも影響を及ぼしている。尾瀬では東京電力による所有地売却や、環境整備費用の削減の話が持ち上がっているが、こちらは地元自治体の要請もあるから、年間30万人が訪れる尾瀬の登山道は、今後もある程度維持管理されていくだろう。黒部は名こそ知られてはいるものの、登山対象としては全国区ではないし人も多く入らない。尾瀬のようにはいかないようだ。
新穂高温泉から黒部ダム、いよいよクライマックスとなった。ロッジから先は、今までの道が嘘のような穏やかな林道。ダムの手前にかかったカンパ吊り橋を渡れば、そこはもう観光の世界となる。人も増え、巨大な黒部ダムの堰堤に立つ。放水口を覗き込んだら虹が出ていた。
来し方を振り返ると、昨日登ったばかりの赤牛岳がよく見え、何故か懐かしく感じられた。冷え冷えしたトンネルに入り、黒部ダム駅に到着する。
トロリーバスで扇沢に下り、さらに路線バスに乗って大町温泉郷で下りる。真夏の大気の中に北アルプスの峰々がゆらゆら揺れていた。