2007年8月11日(土)~8月13日(月) |
夜が明けた。窓から差し込む光からは、今日もいい天気のようだ。腹痛が治まり、テントに戻ったとたん再び痛みがぶりかえす。 診療所のベッドへUターン。点滴を打ち直す。 「これで痛みが引かなかったら、ヘリで下山することも考えておいて下さい」と言われた。この痛さではそれもしょうがないと思った。何しろ歩けないのだから。 「ヘリは午後になると飛ばないので、午前中に決めましょう」「県のヘリだから費用もかかりませんよ」とまで言われてしまった。
そのうちやって来た三俣山荘の医者の先生のアドバイスに従って、浣腸をしてもらった。まだ違和感があるが、痛みが消え、何とか歩けそうな感じになった。 日が高くなってもう9時半。テント撤収の手間を考えると、双六岳往復はもう無理。下山するだけだ。 診療所の人に何度もお礼を言う。痛み止めをもらい、そしてこう言われた。「念のため鏡平とわさび平の小屋に連絡をしておくので、着いたら小屋の人に一言声をかけてください。もしいつまでたっても通過の連絡がなかったら捜索に行きます」 テントに戻り荷物を片付ける。何とかいけそうだ。前2日にもまして澄み切った青空の中、双六小屋を後にする。6時間近い小池新道の下り、何とか行くしかない。 ピークに上がると再び槍・穂高の姿。雪田の鞍部ではヒナを連れた雷鳥も見られた。しかしやはり、今日は心底から展望を楽しめる気分でないので、足早に鏡平に下る。 鏡平山荘の小屋主、大沢さんには暖かく声をかけてもらった。うどんを注文し、元気をつけてさらに下る。3日続いた槍との付き合いもここで終了だ。
ここから下は灼熱の山道である。煮えたぎるような地面の暑さが靴底を通して伝わってくる。やはり出発が遅い時間だったので、このあたりはつらい。 登ってくる人はさらにつらいだろう。日陰では登山者がぐったりして休んでいるのをしばしば目にする。自分のことをさし置いて、この人たちは果たして登りきれるのか心配になる。 自分も腹痛よりも暑さにグロッキー気味で何度か木陰で休む。
ようやく風の通るシシウドが原。しかしわさび平まではまだ1時間半もある。さっき休んだところで、どうも携帯を落としてしまったようだ。雲取山、西上州に続いて3度目。今さら登り返して探すわけにいかない。これはもう100%諦めるしかない。 秩父沢につく。雪解け水がまさにオアシスだ。すごくおいしい。元気をつけて最後のひと踏ん張りだ。石畳の道を延々と下り、ようやく林道に下り立つ。 わさび平小屋で連絡を入れ、ついでにトマトを買ってかじる。小池新道を登路にとる場合、この小屋に前泊すれば、翌朝まだ涼しい時間に稜線まで上がれそうだ。利用価値の高い小屋である。 新穂高温泉着は16時過ぎ。下山中、腹痛は起きなかった。 バス停前の無料日帰り温泉は終わってしまっていた。15時半までに下山していないと入れないようだ。 ある意味、後半はこの温泉に入ることを目標に歩いていたので大ショックである。しかも20分後に出るバスが松本方面の最終接続便なので、あまりゆっくりも出来ない。ウェットティッシュで体を拭き、下着を替えてバスに乗り込む。 松本発の特急電車まで、ほとんど接続待ち時間のないまま東京へ向けての帰路となる。それでも帰宅は10時過ぎになった。 最高の天気で天にも昇るような前半から一転してとんでもないアクシデント。北アルプス山中に携帯をなくし、汗ダラダラになりながらも何とか帰還を果たせたことが、今回一番の収穫かもしれない。 後日談: 携帯は富山の方に拾ってもらい、宅配便で送ってくださった。感謝にたえない。奇跡である。 腹痛の原因は尿路結石であった。家の近くの医者で、双六の診療所でもらったのと同じ薬を処方された。今は石も出たので痛みはない。 結果的には便秘ではなかったわけで、痛み止めを飲んでいたとはいえ、下山の途中で痛みがぶり返しても不思議ではなかった。そういう意味であのとき下山を決断したのはリスキーだったかもしれない。 それでも診療所の方の適切で献身的な応対はうれしかったし、頭の下がる思いだ。無事に下山できたことに感謝している。 槍ヶ岳スライドシアターへ |