8月15日(4日目)大日小屋~大日岳~大日平~称名滝 |
夜は人のいびき交じりの寝息かと思っていたのが、風のヒューヒューする音だった。稜線上は夜半からすごい風が吹いているようだ。外に出ると濃密なガス。少し雨も降っていたらしい。
大日岳には昨日のうちに登っておけばよかったか。昨年のトムラウシで、登頂を翌朝に延ばしたら悪天で登れなかったことが頭をよぎる。しかしそれよりも、この天気で無事に下山できるかの不安も大きい。称名滝へ下りはかなりの難路と聞く。
称名滝目指し、大日小屋から下山する |
それでもしばらくして風は弱まり、雲が多いながらも遠くの眺めが見えた。朝食後に大日岳を往復することにする。
下山路を分けて登っていくと、始めに岩を乗り越える箇所はあるものの、それ以降は穏やかな登山道となる。回りはガスでほとんど見えないが、風はすっかり収まり雨も落ちてこない。
チングルマの咲く斜面にまだ残雪も見る中、大日岳山頂に着く。昨日登った人は山頂に雷鳥が二羽、砂浴びをしていたと言っていたが、今朝は残念ながらどこかへお出かけ中のようだ。大日三山は雷鳥のいる山として知られている。
三角点のある山頂はガスで眺めもないので早々に下ることにする。
歩いていると左の斜面に雷鳥がいた。体毛が隣りの岩と同じ色なので、このガスの中では見つけにくい。さらに歩くと親子の雷鳥もいた。大日三山はガスで展望に恵まれない山行になったが、最後に雷鳥を見られたのでよかった。
大日小屋に戻ってくると北側のガスが晴れてきて、短い時間だが真正面に剱岳が望めた。これで、今回の4日間毎日、剱岳が拝めたことになる。来る前には、やる気をそぐような天気予報を見せ続けられていた身には、これは奇跡である。
もっとも、今回ほど予報と実際の天気が違っていたことはあまりなかった。天気予報はもちろん麓の予報であるし、今回は山の上のほうが天気がよかったのだ。地を覆う雲の高度が低く、北アルプスのような高山は雲の上の別天地になっていたようだ。
剱岳に別れを告げ、称名滝への下山となる。眺めは意外と利き、弥陀ヶ原や大日平の広大な緑の大地が横たわっている。ホテルや高原道路もよく見える。
しばらく下ると、大日平山荘の赤い屋根もその平原の中に見えた。ここから見下ろすとすぐに着きそうにも思えてしまうのだが、この登山道は曲者でなかなか大変な道が続いている。
昨日に引き続き大きな岩を乗り越えていきながら高度を落とす。荷物の重さに耐えながら急斜面を下っていくと樹林帯に入り、沢に出会う。ホッと一息のところだが、その沢を何度も渡り返しながら下っていくところは岩の上が滑りやすく、転んだら怪我をしそうな緊張する場面が続いた。
時折り垣間見る大日平山荘や大日平の平原は、思ったより近づいていない。
それでも我慢しながら岩ゴロゴロの道を下っていくと木道となった。すぐに土の道に戻るも再び木道。上から見ていた広い湿原に下り立ったようだ。
開放的な台地を歩いていくと、トレランの人や登山者が何人もやってきた。大日岳を往復する人が多いようだ。この登りを往復するとはかなりの健脚である。
大日岳コースを下っていて、同じく岩ゴロゴロで難儀した読売新道(赤牛岳~黒部湖)を連想した。富山県の登山道は、標高が低い部分はこういう自然のままのコースが多いように思う。
木道を歩いていくが、さっきまで見えていた大日平山荘がどこかにいってしまった。穏やかな平原に見えていたが実際は意外と起伏がありそうである。沢を渡り少し登り返していくと、ようやく大日平山荘に着いた。
小屋の壁にアラビア語か何かで屋号のようなもの書かれている。そもそも大日とは仏教用語で「偉大なもの」、大日如来は宇宙の根源的な真理を表す言葉だそうだ。チベットや古代インドを源とした信仰宗教に何かゆかりのある山なのかもしれない。
案内板にしたがい、小屋の裏手の不動滝を見にいったが乳白色の眺めで何も見えなかった。
再び深いガスい包まれる中、腰を上げる。大日平につけられた木道は続く。案内板があり、弥陀ヶ原と大日平はラムサール条約に登録された湿地帯ということだ。
この2つの湿原帯は南北で隣り合っているのに、間は称名川で仕切られ深い渓谷となっているため、簡単に行き来できない。このあたりを等高線の描かれた地形図で眺めるととても複雑で、特異な地形をしていることがわかる。
また、この称名渓谷は落差350mという巨大な称名滝を起こした。今日の行程はその落差日本一の滝がゴールとなる。
少しずつ標高を落しながら湿原歩きは続く。環境省の職員さんが2人、何か調査をしていた。やはり条約で保護された場所になったからだろうか。
その後、道はにわかに険しくなり、突然長い鉄梯子が現れた。それを慎重に下ると岩場につけられた鎖、また梯子が連続する。
牛ノ首というところで、ここから急降下の難路が始まった。牛ノ首上部が標高1500m、登山口が1000m。この高度差500mを直線距離800mほどの間で一気に下るのである。大日岳登山コースは最後の最後になって緊張の下りが待っていた。
幸い岩場には人が掘り窪めた足跡がついていて、濡れているところに気をつけさえすれば大丈夫そうだ。だがスリップは絶対に禁物である。
左手に称名滝だろうか、巨大な岩壁からいくつもの水の筋が流れ落ちている。この牛ノ首からの急降下は、ちょうど称名滝の高度差を下っていくようなものだ。
やがてはるか下にその称名滝の展望台のようなものも見えてきた。ゴールが見えてきたこともあり、よりいっそう確実に下ることに努める。
猿ヶ馬場の小広場で一休み。ちょうどいい所にベンチがあるものだ。気温もずいぶん上がってきた。今回の北アルプスの山行で、初めてタオルで汗をふいた気がする。暑いのは仕方がない。雨が降っていないことを感謝せねばならない。
ベンチから先は、ようやく穏やかな下りとなった。さっき会ったトレランの人がもう後ろからやって来て追い抜いていった。まさか大日岳まで往復してきたのだろうか。ものすごいスピードである。
下の方に半舗装の車道が見えた。大日岳登山口、ついにゴールである。無事に下山できたことをうれしく思う。大変な道だったが、大日三山はいずれもガスの中だったこともあり、再訪してもいい山かなと頭をよぎる。
ここから歩いて10分あまり、多くの観光客に混じって称名滝を見学しにいく。さっき見えていた展望台が階段を上がった所にあり、そこまで登る元気はない。滝手前の橋からの見物にとどめるが、水量が半端でなく、ここからでもすごい迫力である。
50mくらいは離れているのに滝壺からの水しぶきが雨のように降ってきて、カメラが濡れてしまった。自然の造りなすもののすさまじいパワーを見せつけられた感じだ。
登山口まで戻り、さらに車道を歩いて称名平バス停まで行く。バス停と駐車場のある場所から滝までは一般車の乗り入れは禁止されており、観光客もこの1km近い道を歩いていくことになる。1ヶ月ほど前はこの車道が崖崩れで通行禁止になっていたようで、落石防止用の砂袋がたくさん置かれていた。
称名平のレストハウスで食事をし、バスを待つ。盛りだくさんだった剱・大日山行もフィナーレである。
バスで立山駅に下り、近くのグランビュー立山(ホテル)で入浴する。温泉だった。立山駅から地鉄で富山駅に戻ることになるが、お盆の最後とあって車内はかなり混雑し、立ち客も出た。
まだ心配事がひとつある。このUターン時期ピークに、果たして帰りの新幹線に席は空いているだろうか。実は指定席はいっぱいで事前に切符が買えなかったのだ。はくたか号の自由席を狙うしかない。
富山駅ではおみやげも買わずに早めにホームに上がり、金沢駅発の新幹線がやって来るのを待った。案の定自由席は9割以上埋まっていたが、何とか並びの座席を確保することができた。
ただ、その後上越妙高や長野駅で降りる人もかなりいた。北陸新幹線は最初は座れなくても、辛抱強く待っていたほうがいいと思われる。それでも高崎駅を過ぎると車内は満員になった。
関東地方は強い雨が降っていた。ニュースを聞くともう1週間以上降り続いているそうである。雨の心配をしながら北アルプスに向かったのが遠い昔のように思えてきた。