翌朝、朝焼けに輝く剱に向け剱沢を出発する。空は青い。
早い人は夜中のうちから出発しており、夜明け前の別山尾根にはいくつものヘッドランプが山頂を目指しているのが見えた。
ヘルメットは始めからかぶっていく。サブザックにはカラビナとスリング、軽食など。ストックは持っていかない。岩場で一眼レフカメラを首から下げていると岩に当たって危ないため、適当なところでザックにしまい、その後はスマホで撮影することにした。
カニのタテバイを登る |
昨日は雲で見えなかった剣山荘をまずは目指す。劔沢小屋の横を下り、雪渓をいくつか横断する。雪の消えたところにはチングルマの群落が見事だ。
例年だと今頃こんなに残雪があることはないようで、今年は雨が少なく雪がなかなか解けなかったようである。
剣山荘までは40分ほどかかった。ここからいよいよ登りである。クロユリのコルからの道を合わせ、一服劔までが第一の行程。
ややガレ場の多い登りであるが、浮石など注意を要する場所は少ない。最初の鎖場が現れる。この山の鎖場には全てプレートで通し番号が振られている。
ハクサンフウロやクルマユリなど高山植物を楽しみながら一服劔まで登る。展望はすばらしい。前方には剱岳の筋骨隆々とした姿が大きく立ちはだかり、息をのむ眺めである。空はすっかり晴れ渡り、天候不順な今夏にしては思いがけず爽やかな夏山が目の前にある。
やはり多くの登山者が前後を行き交う。劔沢のテント場には、前日登頂した人と今日登頂する人がいたと思うが、昨日の天候で登った登山者は多くないだろうから、7・8割は今日だと思われる。それに、3軒の山小屋を起点とする人ももちろん多い。
見ると小学生の子供がけっこういる。夏休みかつお盆という時期でもあり、家族ぐるみでの登山が多いのはわかるが、よりによって剱岳に来るというのも、ずいぶん腰がすわっている。
一服劔からは、これから向かう前劔への急峻な岩場が正面に見える。カメラのズームで覗くとすごい迫力である。
まず大きく下って、その前劔への登りに入る前に、一眼レフをザックにしまい、カラビナ・スリングを上半身に装着する。気を引き締めて行く。
ガレた急斜面が断続し、鎖場も回数を減るにつれ難しくなっていく。いくつかの鎖を登りきり前剱に到着。ここも展望は360度で、今まで登ってきた尾根や立山方面、そして雲海がものすごい。麓はこの雲海の下で曇っているだろう。
前剱からも大きく下る。この時間ですでに下って来る人もいるが、多くの箇所で登りと下りは別々になっており、鎖場はすべて登り専用、下り専用に分かれていた。
高度感のある鉄製の橋を渡った先に、垂直な壁面を10mほど鎖でトラバースする。一瞬カニのヨコバイかと思ったがそれは下りルートなのでもちろん違う。それでもスリル満点だ。
登山道に雪はないが、右手の斜面は広大な雪渓になっている。この雪渓を登ってくるのはバリエーションの源次郎尾根に取り付く人たちで、こちらもけっこうな数がいた。時々大きな声を掛け合っているのは、その源次郎尾根をロープで登っている登山者たちだ。切迫した声を張り上げているので、知らない人が聞いたら何事かとびっくりする。
別山尾根の岩場もさらに難度を増す。こうして見ると、前剱までの鎖場もそれなりに大変だったが、それ以降の行程に比べればほんの小手調べだった感が強い。
一旦下りに転じた後は、再び急激な登りに転じ、ついに「カニのタテバイ」の基部に着く。
子供を含めた家族連れや、ガイドを従えた登山者が前にいたため、ここで30分超の待ちを余儀なくされる。先行者が登るのを観察することで足場を確認できたのでよかったが、これほどの待ち時間が発生するとは想定外だった。
いよいよ自分の登る番がきた。が、いざ取り付いてみると足場は豊富で、進退に窮するところは全くなかった。カラビナを使用する機会もない。カニのタテバイは垂直な登りと聞かされていたが、実際は垂直というほどではなく、だいたい70度くらいの斜度である。
登りきったところは下りの「カニのヨコバイ」の取り付き点になっていた。ここはまた後でやってくる。
登りの難所をこなし、後は山頂までの短い距離を残すのみ。最後の鎖場を通過してついに剱岳山頂に到達する。
タテバイでの渋滞もあり、登頂は11時を過ぎてしまっ。雲が上どんどん上がってきて、先ほどまで見えていた鹿島槍、五竜岳など北アルプスの山々の眺めはすでになく、360度が雲海のみの眺めである。ガスってないだけいいが、少し残念ではある。
それでも懸案の山への登頂を果たせただけあって、同行者と喜びを分かち合った。
登山者が後から後から、どんどんやってくる。十分に休憩した後、下山に入る。
カニのタテバイ、ヨコバイの分岐点に着く。午後を過ぎていたので、登りのタテバイのほうはさすがに人影は少なくなっていた。今の時間はヨコバイのほうが渋滞となっている。
垂直の壁面を鎖でトラバースするカニのヨコバイは、その壁に取り付いたときの最初の一歩が大事ということだ。左方向へ進むため、心理的にはまず左足を置く場所を探してしまうのだが、目で確認することができず難儀する。ここはまず右足を下ろして足場を求めるのがいい、と前もって学習していた。
30分以上の渋滞待ちの後、自分の番になる。鎖につかまりながら恐る恐る右足を下ろしてみる。確かに岩の裂け目に足を置くところがあったが、ほんのつま先くらいのスペースしかないので、ズルッといきやしないか一瞬不安になる。
その後左足の場所も確保し、足を突っ込んでみると意外と奥行きがあった。ここまで行けばもう難しいことはない。そのまま平行移動しカニのヨコバイを通過しきった。
あらためて壁面を見ると、岩の裂け目にはに赤いペンキが塗られており、ここに足を置きなさいということになっていた。下から見れば何ということはないのだが、やはり最初の一歩は勇気がいる。
本日のコースで最大の難所はクリアした。あとは来た道を下るだけだが、思いのほか長い。急斜面のガレ場や鎖場は下りのほうが難しいし、登りの道とは別ルートになっていて、初めて歩く部分が多い。
ガレ場を下りきった後に見上げる前剱はえらく高く、体力も相当使う。登山道はいつしか雲の中に入り、乳白色の眺めとなった。
またこういう岩場の多い道は登山者によって歩く速度に大きな差ができるため、間隔が狭まって渋滞になりやすい。鎖場手前の小広い鞍部で、ガイドを連れた登山者グループに道を譲ってもらい、それからはある程度ペースが上がった。
前剱に登り返すところで同行の友人が足をつってしまう。難所を過ぎていたのが救いだ。前剱はピークを巻く道もあるが、登って少し休憩する。行き交う登山者もずいぶん減ってきた一方で、今の時間に登ってくる人も見かける。
一服剱までも下り登りが繰り返され、なかなかタフなルートである。難しいところはもうないが、疲労感もたまってきたこともあり、ガレたところは慎重に下る。
少しガスが薄くなってきて、一服剱に登り返すと剣山荘が下に見えた。もう近い。最後の「1番」鎖を下降し、緩く下っていき剣山荘にたどり着く。山登りの要素満載の、充実した行程だった。
しかし剱沢まではまだ40分も歩かねばならない。高山植物を見ながら雪渓を横断し、最後のテント場への急登。これはきつかったが15時台に剱沢に到着した。
夕刻を迎えるまで、剱岳は雲に隠れたり、姿を現したりを繰り返していた。今日はとにかく雨に降られず、山日和の日に剱岳登頂ができて満足の1日だった。日程をずらしたのが大正解だったようだ。ビールも食事もおいしい。今日はよく寝られそうである。