8月ももう最終週、ようやく土日とも安定した晴れの天気が期待できそうだ。
やはりテントで山中ゆっくりした時間を過ごしたい。八ヶ岳にする。オーレン小屋はテントも予約制で、この土日は早くから要問合せとなっていた。電話で聞くのも面倒くさいし、いくらテントでも混雑は避けたい。
本沢温泉は14年前の2007年、同じ8月下旬にテント泊したことがある。その時はバス便のある稲子湯から歩いてきたが、今回は車で本沢温泉入口まで行く。
この登山口は主に冬期ルートになっているほか、以前は松原湖や小海線海尻駅からの「夏沢峠越え」の道として歩かれていた。登山道というより林道である。山登りの趣はないが、本沢温泉への最短路となる。
人の少ないルートかと思ったが、あにはからんやだった。
硫黄岳山頂 [拡大 ] |
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東京から中央道で行く。なお、今は中部横断自動車道が佐久から八千穂高原まで延伸されたため、群馬県側の上信越道経由でアプローチする方が若干早くなった。
八ヶ岳というと電車では中央線、車なら中央自動車道で山梨県側から行くのが当たり前だったのだが、いつの間にか高速道路が伸びていた。
中部横断自動車道は今後、中央道と接続する構想があるも、近隣住民の反対などで計画は難航しているようだ。ここがつながったら八ヶ岳は、完全に東京から日帰りの山になるだろう。
長坂ICで下り、国道141号を北上していく。途中で細い林道に入るがやたら長い。高度を上げていくうちに未舗装の砂利道になってしまう。山側から伸びる木枝が車にバシバシ当たるので、傷がつかないか心配になる。
駐車する車が見えてきたら、ようやく本沢温泉入口だ。道路沿いに20台弱停められる駐車スペースは、すでに満杯。この登山口は意外にも人気があるようだ。自分と同じテント装備の登山者もいれば、温泉目的と思われる家族連れもいる。あたりを探し草むらのスペースを見つけて、そこに停める。
なお、来た方向と反対側の車道は舗装されていた。八千穂高原から来ていれば、どうやら砂利道を走らなくて済んだようだ。
案内板を見て、本沢温泉に向けて出発する。この道は源吉新道と呼ぶようだ。
周囲は笹とカラマツの植林。路面はダートだが、たしかに登山道というよりも林道だ。頑張れば車でも行けそうな幅がある。この先のゲートまで行く四駆の自動車もいた。自分は車がまだ新しいので、下をこすりそうなでこぼこの道は遠慮する。
少し広い所に出る。車が数台停まっており、この先は4WDでないと難しい、と書かれた標識があった。もっとも、今までは少し傾斜のあるでこぼこ道だったのが、ここから先は平坦近い道になった。
やがてゲートの所に来た。ゲートと言っても丸太で通せんぼしているだけだった。ここで小休憩ののち再び歩く。右手の樹林の切れ間から、時折天狗岳と思われる岩山が覗く。
さらに進む。林道と言っても、本沢温泉までは標高差400mある。あまり飛ばさない方がいいだろう。
やがてシラビソなど亜高山性の針葉樹林に変わり、シャクナゲも目立ってくる。
変化のない単調な林道歩きではあるが、よく見ると木に「ハゲヤマ」とか「カンノ岩」といったプレートがかかっている。もっともどこがハゲヤマなのか、岩はどこにあるのかはわからない。草に埋もれた「富士見平」のプレートがあるところは、鬱蒼とした樹林で富士山も何も見えない。
左手の樹林の切れ間から、硫黄岳の支稜が見えてきた。本沢温泉に向かっていることが実感される。
崖状のガレ場を木橋で渡った先、道が崩落して通れず、山側に迂回路がつけられていた。迂回路は足場の悪い急登もあって、ここだけ登山道らしい。
その後少しのダウンアップを経て、右手にみどり池からの道が合流する。ここまで来れば本沢温泉は目と鼻の先かと思ったが、まだ意外とある。
沢の音が大きくなり、足元はクリンソウの茎と葉がたくさん残っている。かなりの群落なので、初夏に歩くと、珍しいクリンソウのお花畑が見られるかもしれない。
樹林の中、テントが見えてきた。本沢温泉キャンプ場に着く。歩き出しから2時間弱だった。
まだ時間が早いので設営地は空いている。テントを張ってから小屋(本沢温泉)へ申し込みに行くことにした。
以前ここでテントを張ったのはもう14年前で、キャンプ場の様子に関してははおぼろげな記憶しかない。キャンプ場から本沢温泉の建物までは意外と離れていて、さらに数分登る必要があった。また、日本最高所の本沢温泉野天風呂は建物からさらに5分弱登ったところにある。
どうもテントを張った場所の脇に本沢温泉があって、野天風呂もすぐ隣りにあったような気がしていたのだが、人の記憶は全くあてにならないものだ。
うかつにも、今日食べる昼食(軽食)を車の中に置いてきてしまった。1食分計画が狂ったので、小屋でカレーを注文して食べる。
今日のうちに硫黄岳に登っておこうと考えていた。昼食後、軽身で出発する。
シャクナゲの多い道を抜けて、硫黄臭盛んな沢沿いを登る。野天風呂の分岐があるが、立入禁止となっている。7月の大雨で壊れてしまったらしい。
本沢温泉から夏沢峠までの登路は、ずっと樹林帯の薄暗い中、標高差320mを登ることになる。地味にきつい行程である。まだ2時間くらいしか歩いていないのに、思いのほか疲労が蓄積していてなかなか足が進まない。
上の方では風がうなりを上げて吹いている。お天気ナビゲータの天気予報では、硫黄岳山頂で風速12mを予想している。
時折大きな雲が硫黄岳上空に現れるが、強風のせいか、次に頭を上げた時はどこかに消え去っている。午後になっても澄み切った青空で視界はよさそう。
ジグザグに登っていき、頭上に山小屋の建物が見えてきた。いっぺんに明るくなり夏沢峠に到着。2つの山小屋はすでに今年の夏の営業を終えている。上には硫黄岳の爆裂火口、東の谷間越しには長野県佐久方面の眺めが得られた。平頂の荒船山が見える。
吹きすさぶ風の中、硫黄岳を目指して歩き始める。短い樹林帯の道を抜けると急登に転じ、再び上部が開ける。高度を上げるのに比例して眺望が広くなり、風もさらに強くなる。硫黄岳から夏沢峠~根石岳間の稜線はもともとが風強い場所だが、今日はとりわけ厳しそうだ。
夏沢峠から硫黄岳まで、標高差およそ300m。本沢温泉からだと700mを超える。吹きさらしの中のこの登りは、数字上はなかなか難儀なコースに映る。
岩の積み重なった登山道に出ると、硫黄岳山頂付近が見えるようになった。台風並みの強い風に体がよろめく。風速12mどころではない。今の時間だと、降りてくる登山者がかなり多い。ガラガラと音を立てて走るように下っていく。
風に立ち向かうように登る。かたわらにトウヤクリンドウが涼しげな色で咲いていた。左手に赤茶色に黄色の混じった爆裂火口が大きな口を開けて恐ろしいほどだ。以前、ここに落ちた人がいるらしい。
道が斜度を失うと、硫黄岳山頂に到着する。主峰の赤岳や阿弥陀岳が眼前に現れ壮観だ。皆赤岳のほうに向いて腰を下ろしている。
横岳や権現岳、その後ろの南アルプス、山梨県側の奥秩父山塊もはっきり見えている。稜線上の硫黄岳山荘、行者小屋の建物も。長野県佐久地区のレタス畑もよく見える。
南八ツを縦走するとき、行者小屋から反時計回りで登ることが多い。硫黄岳は最後になるので、山頂に着く頃は曇りがちになってしまう。今日は時間が遅くても、風の強いおかげで雲が吹き飛び、今までで一番の絶景を拝むことができた。
山頂部は、今までの登りに比べて若干、風が弱く感じる。山頂天気予報の風速12mというのは当たっていた。
西には中央アルプス、御嶽山。北には明日の予定の天狗岳から北八ツの黒い森が大きく広がり、それに埋もれるように白駒池が見える。
それより先は雲が多く、北アルプスは望めなかった。明日は日本海側の天気も回復するので、全方位の展望が得られるだろう。
眺望を十分に楽しんで、来た道をテントまで戻ることにする。よく見るとトウヤクリンドウがあちこちに咲いている。こんな岩しかないようなところに、むしろ好んで花をつけるのが興味深い。
一方、トウヤクリンドウ以外の花はごくわずか。8月下旬ともなると、さすがの花の八ヶ岳でも、見る花は格段に少なくなる。今日は他にミヤマコゴメグサとイワツメクサの咲き残りを目にしただけだった。
夏沢峠に戻り、樹林帯のジグザグ道を下る。上部にはダケカンバが多く、黄色味を帯びた葉が地面に落ち始めていた。夏が駆け足で過ぎ去ろうとしているのを感じる。
本沢温泉のテン場に戻ると、テントの数が一気に増えていた。自分のテントの隣りにも、いく張りも張られてしまっている。密を避けてのテント場選択だったが、これではオーレン小屋とあまり変わらなさそうだ。
本沢温泉は野天風呂が入れないため、今回は内湯に入る。野天風呂と泉質が違い、こちらもおすすめの温泉である。ただし石鹸、シャンプーの使用は不可。
最初は2人だけでゆっくり入っていたが、あとからどんどん入ってきて、自分の出るころには順番待ちが出来ていた。17時以降は宿泊客が優先されるため、テントや日帰り者はその前までに入る。が、シーズンの土日なら、15時を過ぎるとある程度の混雑はやむを得ないだろう。
蓬峠や双六の、頭の上が空だけのテン場が続いたが、こういう針葉樹林の中でのテント泊もいいものである。自分にとって、テントは通算90泊を超え、今のテントにしてからも70泊くらいになった。色も褪せ、つなぎ目につけられたシームテープがあちこち剥がれてきたので、今回補修して持ってきた。
ビールを飲んだら、いっぺんに酔いが回ってきた。食事をして6時過ぎに寝る。眠りにつくまで鳥も虫の声も聞こえず、ただ沢音だけが耳に届いていた。