1999年10月、須川高原から栗駒山に登ったあと、湯浜温泉に下山して三浦旅館に泊まる予定だった(当時の宿泊予約は往復はがきで)が、登山口から雪と強風で無念の登頂断念。当然三浦旅館にも行けなくて、当日キャンセル料を振り込んだという痛い思い出がある。
今回、20年目にしてようやくの訪問となった。
旅館のご主人とは当時、電話で話した記憶がある。登山ガイドにも「若い夫婦が切り盛りしているランプの宿」と書かれていたが、さすがに20年も経っているのでもう(お互い)中年男である。
それでも宿の玄関に上って挨拶すると、不思議と懐かしい気がした。ご主人は登山姿で入ってきた自分を見て何故か「すばらしい」と言ってくれた。
この日の宿泊者は自分ひとりである。ご主人ほか、息子さんともいろいろ話をすることができた。息子さんは30歳(と言っていた)、自分が宿泊キャンセルしたときはまだ少年だったはずだ。
栗駒山の山頂部 [ 拡大 ]
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湯浜温泉はランプの宿で、発電機は回っているが部屋に電気は来ていない。テレビも冷蔵庫もなく、普通の山小屋と変わらない。当然携帯も圏外である。
ランプは夕方、ご主人がつけにくる。ランプだけしか灯っていない8畳の部屋は、ランプの場所以外は真っ暗である。テントならわかるが、下界でこういう生活を味わえる場所は最近めっきり少なくなった気がする。
この20年の間、栗駒山のイワカガミ平付近や須川温泉はリゾート地化が進み、同じランプの宿の湯ノ倉温泉が地震で廃館となっても、三浦旅館はこのスタイルでやってきたのだ。
湯浜温泉には泊まったのが20年前でも今日でも、実は大きな違いはなかったのかもしれない。
翌朝、朝食はおにぎりにしてもらい部屋で済ます。6時前に湯浜温泉を出発する。
最初の10分ほどは急な登りだが、その後は穏やかな道となる。早朝のブナ林は清々しい。エゾハルゼミの声もまだ遠慮がちだ。
沢を渡ってしばらくすると湯浜分岐。昨日歩いた羽後岐街道は、あのまま進むとここに行き着くことになっていた。しばらくは傾斜の緩い、周りを見ながらの歩きである。ボリュームのあるブナ林がどこまでも続き、奥深さを感じる東北らしい森である。緑濃くなりつつある初夏のブナ林は、やがてエゾハルゼミの大合唱が始まっていた。
ここまで花はズダヤクシュ、エンレイソウ、スミレ(ミヤマスミレ?)くらいしか見られなかったが、水芭蕉が出てきた。しかもぬかるんだ登山道の上に咲いている。花(苞)は少し小さめである。一つの群落を過ぎると、また出てくる。
水芭蕉の咲いている範囲はかなり広く、湯浜の登山道はさしずめ「水芭蕉通り」のような状態になっていた。尾瀬と違うところは、木道がなく足元で咲いていることだろう。
平坦な道はどこまで続くのかと思い始めたころ、水芭蕉が見られなくなると道は傾斜を増してきた。残雪も出てきて、ぬかるみと岩の突き出た登りが繰り返されるようになる。ブナが低木化してきて、頭上が少し広くなる。
気がつくとエゾハルゼミの大合唱が自分のいる位置より下に聞こえている。そしてそれもだんだん遠ざかっていき、代わりに野鳥のさえずりを耳にするようになる。季節が少し戻った感じだ。木の間から虚空蔵山と思われるドーム形が姿を現す。
残雪の上を歩く回数が増える。ブナは深緑から新緑、淡緑となり、そして芽吹いたばかりの低木も目線で見られる。頭上が開けるにつれ、野鳥の声さえも小さくなった。湯浜登山道は、1時間前の様子からは信じられないくらい、静寂の地に変わっていた。
道だか沢だかわからないようなぬかるみを歩いていくと、目の前に大きな雪渓の斜面が広がった。虚空蔵山が青空の下、ぐっと近い。
雪渓を横断する時、樹林から出たところに木の枝を置いておいた。下山のときどこを目指してよいかわからず、下に見える雪渓へ下ってしまう登山者がいる、と三浦旅館の息子さんから聞いていたからだ。たしかにここはわかりにくい。雪上に足跡もなくベンガラも引かれていないので方向がわからない。携帯のGPSを見つつ、時折り軌道修正しながら横断した。
潅木帯を過ぎると再び大きな雪渓。やはりベンガラはついていない。先ほどのが横に移動する雪渓だったのに対し、今度のは登っていくようだ。先に虚空蔵山がでんと控えている。栗駒山はまだ見えない。
高みに上っていくと、雪渓の切れたところから木道が伸びていた。虚空蔵十字路はもう目と鼻の先である。すっかり開けた稜線を歩いて十字路に着く。全方位開けたたおやかなスロープを前に、東北の山に来たという実感がわいた。
この先に残雪はない。灌木の斜面を登っていくと、右手にようやく栗駒山のピークが覗く。そして進む方向にはおそらく秣岳付近の平坦な台地が横たわっている。いかにも栗駒山らしい眺めで、記憶がよみがえってきた。16年ぶりの栗駒山の景色は、不思議と脳裏に焼き付いている。
高山植物のシーズンはまだもう少し先だが、ミツバオウレン、イワカガミ、キスミレ等が見られる。ちょっとした岩のガレ場を通過すると天狗平(須川分岐)。山頂はもう目と鼻の先だ。須川温泉からの道は火山ガス発生により通行禁止で、入れないようになっていた。
山頂への稜線にはミネザクラが多く、足元にはヒナザクラも顔を出していた。東北の山を代表する可憐な花である。そしてついに栗駒山山頂へ。東側に大きな雲が出ていて眺めは限られるが、この長い道のりをやってきたかいがあった。
紅葉時期の栗駒山しか知らなかったが、こういう初夏の雰囲気もいいものである。平日で人は少ないかと思ったら、イワカガミ平から木の階段で登ってくる人が何人も見えた。須川温泉ルートが使えないこともあり、こちらの登山者が多いのだろう。
そして栗駒山は、足元に広がるたおやかで広大な斜面の眺めが、独特ですばらしい。昨日歩いた羽後岐街道はこのどこかに見えているはずだがまったくわからない。
世界谷地から回りまわって車で1時間半かけて湯浜温泉に移動し、そこから4時間かけて登ってきた。栗駒山のふところの大きさ、広さを体感する山行となった。
さて下山となる。日がかげると肌寒ささえ感じる。空の雲は高度が増し、もしかしたら降られるかもしれない。
雪渓の横断は、木切れを置いておいたおかげで迷うことなく雪上をを歩くことができた。が、その後の小さな残雪でも方向がわからないところがあって、右往左往しながら進む方向を探す。
ぬかるみと岩場の急坂をなんとかこなし、木々の緑がどんどん濃くなり、ハルゼミの声が近づいてくる。まるで登りのときと、季節の時計を逆に回しているようだ。
と、背後から雷の音がし始めた。木の枝越しにその方向を見ると、一面が灰色の雲に覆われている。どうも栗駒山頂かその東側の山稜で時雨ているようである。早発ちで山頂往復して正解だった。
水芭蕉群落まで下りてきて一安心。しかし雷雲は遠ざかることなく、前方のほうも薄暗くなってきた。しかし今歩いている場所だけは上空が青空で日差したっぷり、鳥のさえずりもやまない。まるでこの湯浜道だけ別の世界のようだ。
標高を下げ、エゾハルゼミ大合唱の世界に戻ってきた。もうのんびりと傾斜のないブナの森を歩くのみで、緊張が解ける。ブナの子どもが足の踏み場がないほどに発芽している。
湯浜分岐から下りの道になり、14時に湯浜温泉に下り立つ。旅館の息子さんが建物の前にいた。雷雲は鬼首方面でまず発生し、その後地形と風の影響で栗駒山に向かったそうだ。昨日世界谷地を歩いていたら、雨に降られたかもしれないと言う。また、今日は栗駒山でなく鬼首の禿岳に登る計画も当初はあったので、今回は運よく晴天の下での2日を過ごすことができたようだ。
ちなみに湯浜道は今日のようにここだけ天気がいいときもあり、逆に、周りが天気のいい中でここだけ集中して大雨になることもあるとのことだ。
山に持って行かない着替えなどの荷物は旅館に預けてもらっていた。おまけに入浴もさせてくれた。家庭的な旅館はこういう心遣いがうれしい。
息子さんは学生時代、自分の今住んでいる地域(東京・五反田)の大学に在学していたらしい。丹沢に登山(沢)もしていたようだ。栗駒山のいいところのひとつにヒルがいないだと言う。確かにそうだ。秋田県の山はけっこうヒルがいる。栗駒山には鹿がやってきていないから、鹿を宿主とするヒルもいないのだろう。
しかしこうした豊かで優しい自然環境も、温暖化の進行でこの先どうなるかは、誰もわからない。ブナの森や千年クロベ、湯浜温泉含め、栗駒山がこのままずっとおおらかで奥深い、東北の名山でありつづけてほしいものだ。
名残惜しいが、湯浜温泉そして栗駒山を後にする。途中の道の駅で栗駒漬(きゅうりと大根)、旅館でおいしかったしそ巻きを買っていく。くりこま高原駅でレンタカーを返却し、新幹線で帰ることにする。
くりこま高原駅は新幹線専用の駅で、人がほとんどいないにもかかわらず建物だけが近代的で大きい。新幹線特有の、無機質な箱モノ駅である。
しかもこの駅では駅弁が売られていない。売店の人に聞いたら、駅を出て道路を挟んだところにある大型店で売っているかもしれないと言うが、もうそこまで戻る気はおきなかった。
レンタカーの従業員の人も親切だったし、おおらかな栗駒の地にあって、この新幹線駅だけが都会風を利かせたぎすぎすした場所だった。