夜行バスで仙台駅まで行き、新幹線に乗る。仙台駅始発なので、東京駅朝発したときよりも1時間ほど早くくりこま高原駅に着くことができる。仙台駅から都市間高速バスを使ってもくりこま高原駅まで行くことができるが、今回は少しでも早く現地に着きたいため、新幹線を奮発した。
くりこま高原駅は、新幹線駅と大型店舗があるだけで空が広く、殺風景な眺めだ。栗駒山が霞んで見える。レンタカーで西へ出発する。
今日は世界谷地湿原を見た後、千年クロベという大木を見に行く。その後湯浜温泉に泊まり、明日は栗駒山登山の予定だ。
千年クロベ [ 拡大 ] [縦のカット]
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2日とも往復コースとなったが、コース選びはいろいろ迷った。今回、千年クロベと湯浜温泉、湯浜のブナ林は外せないポイントである。
千年クロベは世界谷地からのほかに、湯浜温泉からも歩いて行けて、実際はそちらのほうが距離が短い。なので、千年クロベのあと世界谷地に戻らずにそのまま湯浜温泉に行ってしまい、翌朝栗駒山登頂後、大地森コースを下って世界谷地へ下山という三角形ルートも考えられた。
この場合問題は、栗駒山登頂後、御室から大地森へのコースへの下山が可能かということだった。残雪のの状況がわからず、もし歩行不能で引き返すことになったら、世界谷地に停めておいた車の回収にかなり苦労することになる。あまりなじみのない地でリスクは取りたくなく、今回は無難に往復コースをとることにした。
標高を上げて9時前に世界谷地の駐車場に着く。日曜日なのに車は少ない。花がまだ咲いていないので客も少なく、静かな1日になりそう。しかし車を出るとエゾハルゼミの大合唱。関東より一足早く、東北の山に夏が来たようだ。賑やかな森とはうらはらに、駐車している車はまばら。日曜にしてはそれほど人が入っていない。
支度をして出発。始めのうちは幅広い遊歩道を行く。世界谷地湿原は山の格好でなくても、観光の一環として気軽に歩くことができる。
遊歩道は広葉樹の森で清々しい。第一湿原の木道に入ると眺めが一気に開け、栗駒山と思われる残雪を抱いた山が見えた。湿原の花はこれからのようで、今はワタスゲ果穂と咲き始めのレンゲツツジが見られるくらい。
木道を歩く人もほとんどいないが、おそらくニッコウキスゲが咲く頃には地元の人を中心に賑わうのだろう。今日はただ、青空をバックにゆったりと横たわる栗駒山の姿を眺めながらの歩きである。第二湿原のほうも同じようだった。昨年は木道の整備で立ち入り禁止だったが、今は入れる。
花がないことはわかっていたので、今日のメインである千年クロベをひたすら目指すことにする。第二湿原を過ぎると観光客の姿も見なくなって、道がやや藪っぽくなってきた。ぬかるみもある。
それにしてもエゾハルゼミの声がそれこそ耳をつんざくようだ。今日は熊に会う確率がいつにも増して大きそうなので、ザックに鳴り物をぶら下げているのだが、このハルゼミの大合唱にかき消されてほとんど意味をなしていない。
ベンチのある「変則十字路」に着く。2000年ごろ栗駒山を知り、登山地図等を見て「変則十字路」って変わった呼び名だ、と思っていたがようやく現地に来れた。
大地森から御室への登路、千年クロベ方面は湯浜温泉への道が分かれているほか、湯ノ倉温泉から来る道が世界谷地コースと同じく南方向から合わさっている。湯ノ倉温泉は2008年の宮城内陸地震で水没し、閉鎖された。宮城内陸地震と言えば駒の湯温泉も大きな被害を受けご主人が亡くなるなど、テレビでも報道されたのだが、湯ノ倉温泉は地震でできたダム湖(堰止湖)に飲み込まれ、水没したということだ。
今は湯ノ倉温泉からの登山道も通れなくなっており、変則十字路は現在事実上三叉路である。そのため、「大地森分岐」という呼び名のほうが今は浸透しているようだ。
2003年以来、自分がこの地に足を運ばないうちに、現地はずいぶん変わってしまった。
変則十字路には4名のグループが先着していた。誰にも会わないと思っていたので意外。同じく千年クロベを見に行くとのことだ。先行してもらう。とりあえず、一人だけの山行で熊に遭遇する確率が少しだけ減って、ホッとする。
千年クロベへの道も山裾を行く、標高の上らない道である。羽後岐街道、また少し前の地図では湯浜道路と呼んでいる。その名前だけ聞くと登山道でないような印象があるが、れっきとした登山道だ。ブナが多くなり、ボリュームのある深い樹林帯となった。大木のほか、サルノコシカケをいっぱいつけたブナもある。
何度か小さな沢を渡る。ズダヤクシュが木漏れ日の光を受けて白く輝いている。どこででもありそうな目立たない花だが、北の山ほどよく見る気がする。
ひとしきりの下りとなり、比較的大きな沢である大地沢を2度渡る。ロープがかかっていた。登り返していくとタムシバ、ムサラキヤシオなどがよく咲いている。トチノキも木の上のほうに特徴ある花をたくさんつけていた。このあたりのブナの密集度は高い。
千年クロベ分岐の指導標に出会う。ここで登山道を離れ、南方向へ下る。ガードレールのついた橋を渡る。橋はコンクリートで舗装されており、何だか下山してしまったような変な気分である。千年クロベへは、この小桧沢林道をしばらく歩くことになる。
橋のガードレールには「平成元年11月完成」と書かれており、麓へ通じる林道がここに建設された。今は廃線となった「くりでん」こと栗原田園鉄道は現役で、細倉マインパークの開園もその頃だ。この林道もまた、宮城内陸地震で使用不能となり放置されてしまった。令和元年にこのガードレールを見て、時の流れを感じる。
橋から先は未舗装の林道となる。少し藪っぽいが今の季節なら問題なく歩ける。15分ほどで「門番クロベ」という大木が林道をさえぎるように立っている。その手前の踏み跡に入る。
数分進むとでっかいクロベ。こんなのは見た頃がない。これを千年クロベと勘違いしここで引き返す人もいるようだが、自分は写真を印刷してきたので、これではないとわかり、さらに数分進む。
千年クロベはすぐに現れた。見ればすぐにわかる。幹回りは15mあるらしい。木というのはこれだけ大きくなるのか。木というより壁といったほうがいいかもしれない。
クロベはヒノキ科クロベ属で、ヒノキの遠い親戚ということになろう。呼び名は黒っぽいヒノキ(黒檜)の意味からきているというのが有力だそうだ。別名はネズコ(鼠子)で、樹皮が灰褐色に近いのでねずみ色を連想させるからそういう名がついたといわれる。さっきの門番クロベ、五百年クロベは確かにそういう色合いだが、千年クロベはやや赤味がかっていて、印象ではヒノキに近い感じがする。歳をとるとそうなるのだろうか。成長が遅いが腐りにくく、寒さにもよく耐える、強い木だそうだ。
千年というのは本当かわからないが、だからそれほど長生きするのだろう。ブナがこれほどまでになるのはあまり考えられない。伊豆の手引頭のブナはこれの半分くらいか。
千年クロベの芯の部分には焼けて炭のようになった木切れが入っていた。落雷の跡と言う人もいるようだが、おそらく焚き火だろうと居合わせたグループの人は言っていた。
近くに「千年クロベが悲鳴を上げています。根の上に乗らないで」との張り紙がかかっている。見に来る人はそう多くもないとは思うのだが、丈夫なクロベでも、もうずいぶん弱ってきて
いるのだろう。今は巨樹の懐まで立ち入ることができるが、そのうちロープが張られてしまうのか。
来た道を引き返す。このまま湯浜温泉まで行ってしまおうかと思ったが、やはり明日の行程を考え世界谷地の駐車場に戻り、車で向かうことにする。予定より時間をオーバーし、変則十字路から大地森方面へ寄り道する時間がなくなってしまった。
きつい下りもなく安心である。世界谷地駐車場に戻ったのは15時を過ぎてしまった。ここから湯浜温泉へはいったん下まで下りてぐるっと回り込むので時間がかかる。
温湯温泉を過ぎて車道は登りとなり、湯浜峠できれいな栗駒山の姿を見ることができた。湯浜温泉の駐車場着は16時40分。日が長くてよかったが、紅葉の時期は時間配分に注意が必要だろう。何しろ駐車場から湯浜温泉までは、さらに5分ほど山道を下るのだ。
川を橋で渡って露天風呂入口を見て、ようやく湯浜温泉「三浦旅館」に到着する。