久しぶりに笹尾根を歩くことにする。武蔵五日市駅からバスに乗り山奥深く入っていく。周囲の山は思ったほど白くなってはいない。ここ数年の冬は、寒いけれども降水量は少なめで、乾燥している印象が強い。
明るい山梨県側の日原(ひばら)に下山する
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仲の平でバスを降り、数馬峠への道を分けて正面の細い車道に入る。橋で川を渡ったあとは里道を緩く上っていく。民家の庭先には福寿草が咲いていた。
集落最上段からは檜原浅間尾根など秋川を取り巻く山稜の眺めがいい。
登山道に入り、掘り窪められた植林下の道を登っていく。ほどなくコナラ、カエデ、アカマツ、モミが中心の明るい雑木林となる。奥多摩では一番よく見る林相と言っていいだろう。大平地区からの道と合流する頃には足元に積雪が目立ち始めてくる。足跡は人間と犬のものがひとつずつで、まだ綺麗な雪面である。
登っていくにつれ、今度はミズナラが多くなる。コナラとミズナラは一見よく似ているが、樹皮に触れるとすぐに違いがわかる。ボロボロと崩れるのがミズナラ、硬くて崩れないのがコナラだ。葉柄(葉と枝との間にある細い柄)があるかないかでも区別がつくが、完全に落葉している今の時期は木そのものが手がかりである。でもこれで両者の区別は完璧である。
日本ブナ百名山を考えるようになって、山の樹木全般に急に関心がいくようになった。ブナを知るにはブナだけでなく、他の木も覚えていかないと理解が深まらないことかわかってきた。
西原峠に出る。槇寄山への緩い登りは尾根の背であり、日当たりもいせいか雪はついていなかった。
槇寄山山頂は南西方面が開けているものの、今日は4月並みに気温が高く、空は春霞である。富士山も目を凝らさないとどこにあるのかわからない。
木のベンチに腰を下ろす。ここには南側に高さ10メートルくらいのヒノキの木が1本、独立木として立っている。枝葉はまるで剪定でもしたかのように綺麗な三角錐を形作っている。普段は植林で見ることがほとんどのヒノキも、こうして他の木が周りにない場所で一本だけ立っているとなかなか立派で、堂々とした姿が印象的である。
峠に戻って笹尾根の縦走に入る。尾根の背に雪はあまりないが、登山道のあるやや東側に下ったあたりは薄く積雪があった。しかも落ち葉の下が凍結していて、注意して歩かないとスリップしそうだ。
地面には卵型の落ち葉が出てきた。この笹尾根にブナはあるのか。標高1100メートルは南関東のブナ生育域としては下限ギリギリである。
注意していくと、明るい色の樹皮のブナっぽい木がある。もしやと思ったが、直径が50センチもない細身なのでおそらく樹齢は100年いってないだろう。となると明治以降に芽生えた木ということになる。
高尾山で見たブナのように樹齢300年を超えていそうな巨木であれば、寒冷多雪とされている江戸時代中期に発芽、生育したいうことでつじつまが合う。しかし明治以降の温暖な時期にはブナは芽生えることは出来なかったはずで、計算が合わないのだ。
三頭山など奥多摩で見られるブナは樹齢300年前後の巨樹が多く、樹高の低い細身の若木はほとんど見ない。近辺の山域でも同様だ。
ブナが受粉、発芽、実生できたのは近世で言えば江戸中期だけで、それより前はもう何万年も前ということになる。奥多摩はじめ南関東の山地のブナは、明治以降は温暖・乾燥化が進んだために世代更新が実現せず、若い木が育っていない。これが今の自分が導き出せる精一杯の結論である。
笹尾根で見たブナっぽい木は、明るめの樹皮ながらもやや黒ずみ、ブツブツがあった。ふとを見上げたら何と雄花と雌花らしいものがたくさん垂れ下がっていた。家に帰って調べたところ、ヤマハンノキの仲間だったようである。
笹尾根は鶴川沿い(山梨県側)と秋川沿い(東京都側)の集落を結ぶ峠道が何本も交差し、交易の場として栄えてきた歴史がある。加えて、尾根上はわらぶき屋根の原料である萱の取り場としてよく手入れされてきた。
昔から人の往来は活発で定期的に伐採もされていただろう。今の笹尾根に茂る落葉樹は皆スラッとした若い木ばかりの二次林である。
下り着いたところが、「大日」の石碑がある笛吹峠。その後は緩やかな登り返しで、登山道から少し離れた丸山に寄っていく。樹林の背が高くなって展望は悪くなった。
団体さんがいたが、みな明るい鶴川側ではなく、笹に埋もれるように秋川側の斜面で休憩している。この時間になって風が強まってきたためだ。
丸山からはなおも緩やかな尾根道を歩いたあと、ひとしきりの下りとなる。先を歩いていた団体さんが、落ち葉の下の凍結に苦戦している。へっぴり腰で恐る恐る歩いているダブルストックの人がいた。見るからに危なっかしそうだったが、やはり転んでしまった。
着いた土俵岳は大岳山、御前山方面が伐採で開け、明るい山頂に変わっていた。そういえばさっき、斜面の下の方で伐採作業をしていた人がいた。南郷地区で手がけられている笹尾根の伐採工事はもうずいぶんと長い期間続いている。
日原(ひばら)峠に着く。柔和な表情のお地蔵さんは健在だ。いつものように浅間峠から上川乗に下山とも思ったが、気が変わってここから山梨県側に下ってみようと思い立つ。下山地を通る路線バスもちょうどいい時刻に来そうである。
日原峠から緩やかに下っていく。再びコナラの森になり、明るい登山道が続いた。さらに高度を下げると、今日初めて照葉樹の林に入る。照葉樹も今、努めて覚えるようにしている。シラカシはわかるようになったが、紛れやすいものも多く落葉樹以上に難しい。街中によく植えられているので勉強になる。
照葉樹だけではなくモミ、ツガの大木も現れ、この道は文字通りの雑木林である。
森を出ると日原地区の舗装車道に出た。不意に前方が開け、鶴川沿いの集落の眺めがいっぱいに広がる。霞んだ大気の中、前方に見られるこんもりとした山は、昨年秋に登った聖武連山だ。
春を思わせる日差しを受けながら、明るい傾斜地を下っていく。梅や福寿草も咲いている。ここは長寿村で知られた棡原(ゆずりはら)地区である。無用になったスパッツを外し、棡原小学校の前を通ってバスの通る車道に出た。
新山王橋バス停が今日の終点である。寒い今年の冬の終点かもしれない。