1月は職場が変わり、風邪がなかなか治らないなど、山から少し遠ざかっていた。半月以上空けての山となる。
奥多摩の笹尾根を歩く。雪の少ないことはわかっていたが、一応冬用の靴とアイゼンは持っていく。
薄く残った雪に樹影が映し出される。笹ヶ峠付近
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早起きして武蔵五日市駅前で、6時14分発のバスを待つ。寒いがじっとしていられないほどではない。あたりは地平線がようやく白み始めたばかりだ。
数馬行きのバスは、停留所案内の放送が観光案内になっていた。「次は、昔川海苔が取れたと言われる『上川乗』です」とか、「手を打って仲直りをしたという『手打前』です」など。奥多摩周辺の地名やバス停には奇名・珍名が多い。
乗客の登山者は10名ほど。臼杵山の元郷や、浅間尾根登山口で下車していった。
仲の平で下りる。秋川を渡って細い車道を登っていくと次第に眺めがよくなってくる。民家の脇から登山道に入るところで、上着を一枚脱ぎついでに息を整える。2週間以上の間隔があくと、登り始めはなかなか体がついていかない。
登山道は人工林から次第に明るい自然林へ。木の間越しに数馬の集落が見下ろせる。掘り窪められた道は急なところがなく、昔からの峠道であることがうかがえる。大平からの道を合わせた先に、かすれた字で「国定忠治が遠見した木」という標柱が立っていたが、どの木を指しているのかはっきりしない。
緩く登って支尾根に乗り、それを何度か繰り返す。やがて足元には雪が現れてきた。しかし一面に積もっているところはなく、まだらである。自然林の尾根道を巻きながら行く。凍結したところを避けながら高度を上げ、明るく日の差す西原峠に着いた。
尾根上には雪はなく、落ち葉の敷き詰められた冬木立の風景は物寂しくも、ぬくもりを感じさせる。
5分ほどの登りで、槙寄山に着く。木がいくらか伐採されたのか、一頃に比べて南西の眺めがよくなったようだ。ただ残念なことに富士山の姿はない。権現山稜や中央線の山、奥秩父山塊の後ろは濃密な靄に覆われていた。この早い時間で、青空なのに富士山が見えないのも珍しい。
西原峠に戻って、笹尾根を歩き始める。幅広い尾根道が続き、樹林越しに大岳山、御前山がよく見える。いずれもそれほど白くなってはいない。
快適な歩きだが、東側についた巻き道はガチガチに凍っていて、うっかりするとステンといってしまう。足の置き場を慎重に探しながら行くので時間がかかる。
ほどなく笹ヶ峠(田和峠)に着く。奥秩父の山はよく見えるが、富士山はやはり霞の中だ。笹ヶ峠からはしばらく稜線上に踏み跡がついているので、凍結した巻き道を避けてそちらに入ってみる。たしかに歩きやすいが人工林のすぐ脇なので暗い。すぐに巻き道に合流する。
大羽根山への分岐点には立派な指導標が立ち、大羽根山を示していた。以前は「山火事注意」のブリキ看板に、手書きの素朴な標識が引っ掛けられていただけだったが、最近になって大羽根山への道も一般の登山コースに昇格したようである。朝のバスが浅間尾根登山口付近を通過したとき、大羽根山への取り付きを示す指導標が立っているのを見ていた。
この先も東側につけられた登山道はずっと凍っている。アイゼンは最近、よほどのことがなければ付けないようにしているが、そんな状態の道がずっと続くので、やせ我慢は止めてアイゼンを使うことにした。
草地の広がる数馬峠も明るく開けている。笹尾根は全体的に少し伐採が入ったのか、前来たときよりも随所で眺めがよくなっている。藤尾への分岐を見ると道は左折し下りとなる。笛吹峠から秋川方面に下る道は、伐採作業に入っているとのことで、数年前から通行止めになっていた。やはりこのあたりは山に手が入っているようだ。
急坂ののち、右手の分岐に入り丸山に立ち寄る。展望がいいわけではないが、小広い台地で少し休憩する。丸山のすぐ先に、「長寿の里」として知られる棡原(ゆずりはら)集落へ下るはっきりした道が分岐していた。
林間を歩いて今度は小棡(こゆずり)峠。通行止めとなった笛吹峠からの道の代替として、ここから秋川側に下る道は以前よりはっきりした。
笹尾根コースはいくつもの峠を歩きつないでいくルートでもある。今日通る予定の峠を並べてみると、西原峠、笹ヶ峠(田和峠)、数馬峠、笛吹峠、小棡峠、日原(ひばら)峠、浅間峠と7つあった。藤尾分岐を藤尾峠と呼ぶこともあり、笹ヶ峠と田和峠は別の場所とする文献もあるのだが、一般的にはこの7つである。
峠があるということは、その両側に2つの集落、人の住む所があるということだ。山は自然の産物だが、峠は人がいないと成立しない。それまで全く他人だった人どうしが出会い交流を持つ場として、人間社会は峠を起点に発展してきたようなものである。
笹尾根の峠は、どれもそれなりに風情があり、奥多摩らしい雰囲気を醸し出している。
標高が1000mくらいになると雪はほとんど見られなくなった。土俵岳を越えたところでアイゼンを外す。日原峠は道の真ん中に柔和な表情のお地蔵さんがいる。
日原峠から先、しばらく伸びやかな森の道に入る。自然林がいっぱいで新緑の時に歩きたい所だ。この後、コブをいくつか越え高度を取り戻すが、これがけっこうきつい。
ひとしきりの下りで浅間峠。1日コースの山歩きとしては、ここで下山するのが距離的にはちょうどいいのでだが、今日は20日ぶりの山でもあるし、もう少し距離を伸ばしたい。前回田和から登ったときと同じく、今日は三国(さんごく)峠まで行くことにした。
さらに明るくなった尾根道を進む。このあたりまで高度を落とすと、もう雪はほとんどない。やがて栗坂峠。この先の三国峠を入れれば、越える峠の数は9つに増えることになる。熊倉山、軍刀利山と急登を交えたアップダウンが大変だ。あとひとつ峠はないものか、区切りよく10峠越えとしたい。
下山地のバスの時刻も気になる。よく計算してみたら時間的なゆとりがあまりなかった、少し急がねばならない。軍刀利神社へ下る分岐があったが見送り、頑張って三国峠に着いた。東京、山梨、神奈川の3都県の境である。
広い眺めを楽しんで、ここで下山とする。
甘草水を過ぎて樹林帯を下って行くと、うれしいことに10個めの峠があった。佐野川峠である。神奈川県の鎌沢、山梨県上野原の上岩をつなげている峠だ。バスの時間は大丈夫そうなので、山梨県のほうに下る。
林道を横断して上岩集落の外れに下り立つ。5分ほどで石楯尾神社バス停に到着した。道路の反対側に無人の野菜販売所でりんごを買う。水がなくなっていたのでちょうどよかった。ちなみにりんごは長野県産だった。
もう午後3時を過ぎてはいるが、南西面に開けた住宅地に届く日差しは、1月のときのそれよりも心なしか明るく、暖かい。光の春が山里に下りてきた。