翌朝4時に起床。外に出ると、空は昨日同様もやっていて富士山は見えない。すでにテント場や山荘から多くの登山者が登って来ていた。ご来光が望めたのが救いである。
今日の行程は長い。5時になる前に出発する。水は昨晩ほとんど使い切っていたので、雲取山荘に下ってから朝食にする。雲取山行の2日目が長沢背稜の場合、適当なところに水場があるので、水にはあまり困らない。
桂谷ノ頭のアズマシャクナゲ
|
雲取山北面の針葉樹林帯はいつも静かで気持ちがいい。雲取山荘前の広場は朝からすごい人出で、外トイレも長蛇の列。切羽詰まっているわけではないので並ぶのはやめた。
食事をして、水を補給し再び歩き出すと、久しぶりに腰痛が再発してきた。昨日の行程に無理があったか、避難小屋の硬い板の間が腰に悪かったか解らない。
とりあえず普通に歩くことはできる。荷物の重さもあまり関係ないようだ。ただ道の傾斜が急に変わったりすると腰に負担がきてつらい。行けるところまで行きたいが、様子を見て場合によってはエスケープもやむをえない。
山荘下のテント場も大盛況だった。雲取ヒュッテ跡のあたりはもちろん、この先にある高台にまでテントが張られているのは初めて見た。
大ダワまで下ると静かな山道となる。このあたりは広葉樹が豊かでミツバツツジも咲き始めているが、道は一部路肩の崩れているところがある。この先整備が入るのだろうか。昨日避難小屋で一緒だった人がいた。同じく長沢背稜を縦走するとのこと。健脚そうなので先に行ってもらう。
三峰コースと分かれてその背稜の上となる。高度を上げ、空気が冷たくなっていくのがわかる。芋木ノドッケへは本日最初の、そして一番きつい急登となる。長くはないが息が切れる。
樹林に囲まれた芋木ノドッケ山頂は涼しい風が渡り、ホッとする場所だ。休憩していたらソロの女性が追いついてきた。ゆうべは山荘に泊まったそうで、押し入れまでが寝床になるような混雑ぶりだったそうだ。このところ週末は好天が続いているので、山荘経営者もホクホク顔だろう。
芋木ノドッケからはゆるやかに下っていく。広葉樹が再び増え始め、芽吹きの森が復活した。ハウチワカエデが赤い花をたわわにつけ、風に揺れている。南面の眺めが開け、雲取山ほか緑色鮮やかな石尾根が一直線に見えて新鮮な眺めである。
前回ここを歩いたのが11月で紅葉の時期、今回は芽吹きから新緑また違った素晴らしい景観が楽しめる。やはり長沢背稜は東京、さらには南関東の山でも屈指の美しい縦走路である。
さらに緩く下っていくと桂谷ノ頭の岩峰が眼前となった。いよいよアズマシャクナゲの群生地である。少し時期的に早い気もしていたが、きれいに花を咲かせていた。
奥秩父の甲武信岳などの群落に比べれば規模は小さいものの、ここは東京では唯一の、登山道から自生のシャクナゲを見ることのできる貴重な場所だ。タワ尾根にもシャクナゲがあるが、一般登山道としてはここ桂谷ノ頭から小屋背戸ノ頭あたりだけのはずである。雲取山に初めて登ってから17年になるが、今までは季節が合わず、ようやく今回お目にかかれた。
桂谷ノ頭周辺はヤセ尾根の岩場が続き、北面の見通しのいい岩角からは両神山が大きく眺められた。岩尾根が終わるとシャクナゲはプツッと姿を消し、それ以降1本も見なくなる。これも山に咲く花の不思議である。
長沢山までの一帯はミツバツツジが多く、トンネルのようになっているところもある。このあたりのミツバツツジはまだ葉が出ずに花が咲いているものが多く、普通のミツバツツジのようにも見えるが、おしべの数が多いのでやはりトウゴクミツバツツジだった。ミツバツツジのおしべは5本、トウゴクは10本である。
よく目にするツツジについて、おしべの数を整理すると以下のようになる。
おしべ5本・・・ミツバツツジ、ヤマツツジ、レンゲツツジ
おしべ10本・・・トウゴクミツバツツジ、ヤシオツツジ(アカ、シロ、ムラサキ)、ヒカゲツツジ、ユキグニミツバツツジ
とにかく今年のトウゴクミツバツツジは近年にない当たり年で、長沢背稜は至るところでピンクの並木道ができていた。
長沢山へは急ではないが長い登りになる。そろそろ背中の荷物が重く感じられてくる。縦走路の名前となっている
長沢山は東西に細長い山頂だが、眺めはよくない。
先行していた昨晩同宿の人と女性に追いついた。同宿の人は酉谷山避難小屋で二泊目を予定しているそうだ。これもうらやましい。
この先は高度をどんどん落とし、縦走路は尾根を少し外れて秩父側の広葉樹林の中に入る。
再び尾根筋に戻る。縦走路はその尾根を乗っ越して天祖山分岐に至るのだが、そちらには行かずに尾根伝いに踏み跡を拾っていく。
少しの登りで
水松山へ。これでアララギと読む。スギ科の高木に「水松」(スイショウ)というのがあるらしいが、これはイチイという木とよく似ていて、同種として扱われることもあるそうだ。イチイの木は別名オンコ、アララギと呼ぶ。宮内敏雄著「奥多摩」には、水松の大木を伐り出したことからこの名がついたとしている。
また、アララギにはノビル、ギョウジャニンニクなどの山菜となる植物の意味もあるらしい。今回は注意を怠って見逃したが、「雲取山の歩き方」(新井信太郎編)にこのあたりでギョウジャニンニクの群生があると書かれている。イチイとギョウジャニンニク、この2つの意味をかけて水松山という山名がついているのなら深い話である。
水松山で休んでいると、2名の登山者がやってきた。これから天祖山経由で下山すると言う。自分はそちらには向かわず、尾根通しに東へ進む。
やがて縦走路と合流しさらに歩く。ヘリポートからは採掘の進む天祖山があらわである。丸っこい山容が特徴だったが、採掘が進むにつれ、何だか武甲山のように角ばった山に変貌しつつある。
タワ尾根分岐に着く。この尾根で下山することも考えていたが、やはり先週の続きで一杯水までつなげたい。標高を1500m台まで落とすとスミレやクワガタソウが再び顔を出し始め、周囲は蒸せ返るような新緑の森となった。
酉谷山西の肩から縦走路を外れ、尾根通しに登る。緩やかだが長くつらく感じる。女性がトウゴクミツバツツジの写真を撮っていた。このあたりもあちこちにピンクのカーテンができていた。
酉谷山山頂に到着。久しぶりの登頂で感慨深い。小川谷林道が通行禁止になって足が遠のいてしまった山であるが、以前は奥多摩の山の中では比較的よく来ていた。眺めは広くないが、奥多摩の山域全体を見渡すような位置にある孤高の山である。同宿だった人や女性とみたび対面する。
尾根を下って酉谷山避難小屋に寄り、水を補給してから再出発。腰痛は小康状態だが体力的にはもうずいぶん、いいところまできている。心洗われるような新緑に元気づけられさらに東進。
この後、七跳山下までは緩やかとはいえない登りとなり、これが長い。長沢背稜の登山道はいくつかのピークを南面から巻くが、巻き道と言ってもどれもある程度のアップダウンがある。
しばらく行くと尾根の背となり、いよいよシロヤシオが見られるようになる。シロヤシオはここまでは全くなく、七跳山を過ぎると白花をつけた木が突然目に飛び込んでくる印象だ。三ツドッケ付近の花の多さには及ばないが、どれもが満開で壮観である。トウゴクミツバツツジも咲き続いており、紅白のカーテンをくぐるがごとくだ。
大きなザックを背負った4名のグループがやってきた。酉谷山避難小屋に泊まるという。昨日雲取山で同宿だった人を含めて、ここまで2人の宿泊予定者と会っている。4名の方にその人数を伝えると、少し安心していた。しかしこれで都合6人、小さな酉谷山避難小屋はこれでほぼ定員である。
緩やかに高度を落としていくが細かなアップダウンがあり、高度感のある桟道をちょっとヒヤヒヤしながら渡る。ハナド岩で今回最後の展望を楽しみ、ラストスパートである。三ツドッケ西の肩から先は、先週は満開だったシロヤシオの多くが散り花となっていた。季節の進行は思った以上に早い。
一杯水避難小屋からヨコスズ尾根を下る。先週はほとんど見られなかったヤマツツジが咲き始めていて、ツツジどうしで季節のバトンタッチを果たしている。
9時間を超えるロングラン縦走もあと少し。日光も斜めから差し込むようになっていた。腰痛にとっては逆療法となったのか、不思議と痛みもほとんどなく楽に歩けている。しかし体全体のパワーはもう限界。つまづかないように注意して下り、東日原の民家が見えてきたときは、やったと思った。
4時17分、増発された奥多摩駅行きバスに乗る。深い森、芽吹き、新緑、花、展望、奥多摩の魅力が凝縮された2日間の山行が終わった。