5年ぶりの北海道山行。日本百名山を目指している友人と、今回も大雪山系の山を目指す。
トムラウシは前回、旭岳からの縦走を計画したが、初日の悪天候で予定が狂い、果たせなかった。今回は縦走せずに麓からの往復である。行程が長いので山上でテント泊する。
北海道の山で随一と言われる山上の楽園は、岳人のあこがれの的となっている。リベンジは果たせるであろうか。
十勝岳はトムラウシからの縦走ルートもあるが、今回はこれも麓から登る。
トムラウシ公園手前の小ピークから、トムラウシ山頂部を望む
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帯広空港で予約しておいたレンタカーに乗り込む。帯広ラーメンを食べたかったが、どの店も11時開店だったので、それまで少し時間を潰すことに。麺にスープの色が染みている、「巌窟王」のこってりチャーシューメンで英気を養う。
今日の宿泊地、トムラウシ温泉を目指す。とにかく大地が、空が広い。車道はどこまでも一直線だ。交差点には信号がたまにしかなく、右左折地点を見過ごしやすい。北海道の道路は、一時停止箇所には、高いところに標識があるのみで道路に白い大文字で止まれと書かれていない。レンタカー会社の人の話では、そのため道外からの旅行者の事故が多いとのことだ。
とにかくひたすら、まっすぐに進む。広大な大地はトウモロコシや麦畑が多い。これだけの広さを相手にするわけだから、刈り取りの脱穀機も北海道のものはサイズが違う。まるでミサイルかロケットかのようだ。
平原の先に見えてくる山々はどれも大きくゆったりとした稜線で形作られている。ダム湖である東大雪湖を渡り、さらに山奥深く入っていく。曙橋を渡ると、土砂崩れで通行止めになったヌプントムラウシ温泉への道を分ける。
標高を上げ未舗装の道を10分ほど、再び舗装路になるとトムラウシ温泉東大雪荘の建物が見えてきた。
東大雪荘は、こんな山奥に似つかわしくないほど大きな山荘で、中も明るく清潔感溢れている。下手な旅館よりずっといい。一般の部屋を予約していたが、都合がつかなかったということで、同じ料金で特別室に通された。二人なのに10畳ほどの和洋室が2室。もちろんトイレ、冷房、冷蔵庫完備である。
ほのかな香りのアルカリ硫黄泉もすばらしく、夕食は旅館クラスである。できたら3泊くらいしたくなった。ただし山荘なので、布団の上げ下ろしだけはセルフサービスだった。
早出の登山者の朝食はおにぎりと決まっている。山荘に泊まるトムラウシ登山者は、日帰りが圧倒的に多い。しかし往復10時間くらいかかるため、まだ暗い3時くらいから出発していく。自分たちは上で一泊するので少し余裕である。それでも5時には山荘を出た。
林道を車で8キロほど。デコボコが多く時速20キロが精一杯だったため、30分近くかかってしまった。途中、一人の登山者が下りてきたが、今朝下山してきたのだろうか。
短縮登山口の駐車場は40~50台ほど停められそうである。すでに30台くらいは入っている。トイレの前に携帯トイレ回収ボックスがある。今回初めて携帯トイレをザックに入れてきた。また、小屋のないテント場に宿泊するのも、テント泊歴75泊にして初である。
自然により近いテント泊、とは言っても実際は近くの山小屋が設営地を維持管理しており、水や飲み物も小屋から調達することがほとんどなので、結局は人間社会のお世話になっているのである。今回のトムラウシ山行はいい経験になりそうだ。
東大雪荘からの正規登山口ルートが合流するまでは、平坦もしくは緩やかな樹林帯の登り。合流地点からは北に進路を変えて、一部は傾斜がきつい登山道となった。ぬかるみが多く、スパッツは必須である。水の流れがあり、やがて両側が背の高い笹の道となる。
カムイ天上で方向は再び西に向く。ニペッソ山と思われるピークが大きいが、樹林の向こうのトムラウシは厚い雲に隠されている。
旧道入口と思われる切り開きを見て、頭上が開けた笹の稜線へ。雲が多いながらも遠望が効き、残雪を抱いた山の斜面が覗く。あれは大雪旭岳方面か。
ダケカンバの疎林を見ながらなおもぬかるんだ登山道を行くと右手が開け、今回最初のお花畑に出る。ヨツバシオガマ、ワタスゲ、タテヤマリンドウ、ウサギギク、ゴゼンタチバナ。のっけからたくさん見ることができた。チングルマもほぼ綿毛姿だが、残り花もある。
コマドリ沢まで、なかなかきつく長い下りとなる。沢沿いに少し歩くと指導標の立つコマドリ沢出合に着く。ここで大休止だ。
テント装備の下山者がいた。聞くと旭岳からの縦走だそうで、昨日は南沼に幕営したそうだ。夕方はひどいどしゃ降りだったらしい。水は雪渓がまだ大きく、問題ないとのことだ。
空を見ると、雲多い中にも青空の面積が時間を追って大きくなっている。天気は回復傾向だ。明日も朝から晴れ予報なので、今回のテント山行は、降られる心配はまずなさそうである。その時はそう確信した。
雪渓の残る谷筋を登る。シナノキンバイ、トカチフウロが群落で咲いており気分が高まる。初めて見る筒状の形はイワブクロ。これも非常に多い。上部に見える稜線の上には青空と、その中をすごい勢いで滑り流れる多量の雲。上は相当風が強そうだ。低潅木を抜けると枯れ沢から離れ、岩のガラガラした斜面を右にトラバースしていく。
ここから先は森林限界上、ハイマツの世界になる。頭上では吹きすさぶ風の音が絶え間ない。いったいどこから湧いてくるのだろうと不思議になるほど、後から後から雲の塊が、山のすぐ上を駆け抜けていく。
登り着いたところか前トム平。眺望は抜群である。進む先には、分厚い雲の間からトムラウシ山頂部がいよいよ見えてきた。
前トム平は意外と風が強くなく、ここで休憩する。
チッ、チッ、とかすかに鳴き声が聞こえる。ナキウサギだろうか。残念ながら姿は見えない。
さらに眺めのいい小ピークに立つと、風が強まった。下から見えていた、流れの早い雲の真下に入ったようだ。岩屑の登山道を行き、大岩の縁を斜上してトムラウシを真正面に見る台地に到達。山頂部を走り抜ける雲と同じく、この場所もものすごい風で顔が痛い。先に進むのがためらわれ、しばらくその場で様子を見る。
南沼テント場ももう少しのところまで来た。しかしこの暴風下、果たしてテント設営できるだろうか。
一瞬雲が切れ、残雪輝くトムラウシが全貌を現す。意を決して眼下のトムラウシ公園へ、大岩の急坂を下りていく。
トムラウシ公園の標柱の立つ鞍部にまで来ると、ほとんど風はなかった。ここからしばらくはさまざまな高山植物が彩る、楽園の中を歩く。上に出ればまた暴風の地となるだろうから、つかの間の安息の地である。
チングルマ、ハクサンイチゲ、ハクサンコザクラ、アオノツガザクラが斜面を埋め尽くす。これらの名前の多くには「エゾノ」の冠詞が正確にはつくのかもしれない。イワブクロやトカチフウロもここの高度まで咲き続いて、さらにはコマクサまで5年前の旭岳の時を思い起こさせる、いやそれ以上の花の園になっている。
登り返していくうち周囲はガスが濃くなった。トムラウシを左から回り込むようにして広々とした台地へ上がり、高度を復帰する。南沼キャンプ場へ到着である。
他にテントの人はいないようだ。ガスが濃いが、予想に反して風は強くない。雪渓から流れる沢の先を設営地と決める。二人だと作業がはかどる。
テント場には、携帯トイレのブース以外は何もない。しかしとにかく水さえあれば大丈夫だ。8月も後半を過ぎると、南沼付近は雪渓がなくなって水の確保が難しくなるらしい。その場合は比較的遅くまで雪の残っている北沼まで水調達の旅に出ることも考えていた。
今の南沼はまだ、一段高いところに雪渓が残り、雪解け水も豊富に流れていたので、今が一番水が取りやすい時期のようだ。
北海道の山の水は煮沸が必要で、さらにキタキツネによるエキノコックスへの対策もしたほうがよいといわれる。今回は浄水器も初めて持参した。折りたためるプラスチックの容器がついていて、これを通してろ過すれば泥水でも飲めるそうだ。
仰ぎ見るトムラウシは相変わらず強風下のようだが、青空も見える。テント装備の若いグループが山頂から下りてきた。また、十勝岳からの縦走者もやってきて、この日のテントはぜんぶで5張となる。
天気予報では、明日も風が強いながらも好天のようだ。自分たちはトムラウシ登頂は明朝と決める。何も急ぐことはない、今日は登りの疲れを癒すことだ。
ガスが出てきて日が遮られると、テント場はぐっと冷えてきた。持ってきたものを全部着込んで、鍋を作って食べる。沢で冷やしたビールも、もっと日差しさんさんの下で飲むことを想定して担ぎ上げたものだ。ちょっと想定が狂った。でもまあ、これくらいの見込み違いはまだかわいいものである。
夜半、テントのベンチレーターから星空を見た記憶はあるのだが、明け方になってテントを叩く雨の音で目が覚めた。