暖かくなるとの予報だったので、少し標高の高いところに登ることにした。
笹子駅から国道沿いに西へ。このあたりはすでに標高600mを超えているが、山の斜面には紅葉が残っていた。
木が伸びた笹子雁ヶ腹摺山の山頂
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国道が大きく右にカーブするところ、新中橋の先に笹子雁ヶ腹摺山の登山口がある。
15年前の同じ12月にここから登ったことがある。国道を西に進んで北側にある山に登るのに、どうして登山口が左側にあるのかと不思議に思ったら、当時の記録にも同じことが書かれていた。
人工林の急斜面を抜けて広葉樹林に差し掛かる。鉄塔基部を過ぎると眺めは少し良くなるものの、登山道は急登が続き、周りを見る余裕がない。少し緩やかになったと思ったらすぐに直線状の急な登りが再開する。
15年前の記録を読み返しても、山頂直下はきついが、登りがずっと苦しかったようなことは書かれていない。当時はずいぶん健脚だったようだ。
1188m点を越えるとすっかり冬木立となり、最後の登り。ここが一番の急傾斜だ。空がぐっと広くなり、反射板が見えてきた。15年前に比べるとかなり色が剥げている。
振り返ると富士山が大きい。そのまま登って笹子雁ヶ腹摺山に到着。
木の葉もすっかり落ち明るい山頂だが、意外と眺望はよくない。以前に比べてずいぶんと木が伸びている。南アルプスも富士山も、木の枝越しの眺めになった。
15年もすれば木が伸びるのは当たり前だが、枯れたり倒れたりもする。このあと15年、果たしてどうなるだろうか。
米沢山、お坊山に向けて縦走を始める。冬枯れの明るい雑木林が気持ちいい。日陰の薄暗い急降下の斜面に入ると、ブナの大木が2本あった。周囲の若い木々ばかりの中にあって、異彩を放っている。
とことんまで下ったあとはヤセ尾根状になって小さなアップダウンを繰り返す。岩場もあり、ロープ、鎖が連続する。
見上げる米沢山やお坊山の優しく丸っこい山体に似合わず、登山道はけっこうアルペン的である。こういうアンバランスなところがこのルートの面白いところだ。
振り返ると笹子雁ヶ腹摺山の後ろに南アルプスの稜線が見え隠れしている。以前はもっとよく見えたはずだが、やはり樹林の後ろの眺めになっていた。富士山はもっと見えにくい。
米沢山山頂も眺めはあまりない。今日は暖かいはずだったのにお日様が雲に隠れる時間も増えて、いつしか風が冷たく感じられるようになっていた。
米沢山からは大きく下ることなく、目の上のお坊山目指しての、それでも長い登りとなる。
そのお坊山の手前で、ひとつはっきりしたピークとなる1412m峰を越える。お坊山が遠目からは双耳峰のように見えるのは、西峰・東峰の2つが見えているわけではなく、この手前のピークがお坊山(西峰)と同じくらい大きいからだ。
標高も1400mを越えると気温がさらに下がるのを感じる。お坊山への最後は再びヤセ尾根の急登となる。背後の眺めがようやく開け、富士山や南アルプス、八ヶ岳が大きくせり上がってきた。南アは甲斐駒から白根三山、赤石・荒川、塩見岳まで見える。富士山もバックは雲で白いがよく見え、その手前の御坂山地の深く刻まれた山肌も印象的だ。
そのままの眺めを保ったまま、お坊山(西峰)に到達する。笹子雁や米沢山の眺望が悪くなってしまった反面、このお坊山がこんなに眺めがよかったとは、あまり記憶がなくうれしい誤算である。南アと八ヶ岳が見える場所で腰を下ろし、ゆっくり休憩した。
東峰に寄るのはやめて、大鹿峠に下る。ここは広葉樹が豊かで落ち葉が深い。ホオノキの葉がたくさん敷き詰められたところもある。
落ち葉で分かりにくくなっている中、尾根通しで下っていけばよかったのだが、はっきりした踏み跡を追っていくうちにうっかり尾根を外し、東側の斜面に下り過ぎてしまった。踏み跡はおそらく動物のつけたものだったのだろう。
大鹿峠へは短い距離ながら、道のない急斜面を登り返すことになってしまった。
今日はここから、天狗尾根で田野地区へ下ることにする。大鹿峠からさらに登り返して、鉄塔の手前で左に折れると天狗尾根の登山道となる。
緩やかで伸びやかな登山道は歩きやすく、足がはかどる。ブナやミズナラも多く見られ、登山道は落ち葉ラッセルである。足首まで潜ってしまう。
標高を落とすとアカマツ、クロマツが現れてコナラの黄葉の残りも見られるようになった。米沢山付近の丸みを帯びた稜線がシルエットとなり、初冬の山らしい風景である。
麓の車の音が聞こえてくると神社横を過ぎ、田野集落の全景が目の前に広がる。
登山道は民家の裏で終わる。こんな所を通っていいのかと思いながら庭先を抜けていく。振り返ると縁側におじいさんが座ってこちらを見ていた。
県道に出て、甲斐大和駅まで歩いて下る。
山にも山里にも、もうすぐ寒さの厳しい冬がやってくる。ほっとするような小春日和の暖かい日は、今日が最後かもしれない。