今年はブナに明け暮れた1年だった。ブナだけではない、木や森林そのものに興味が涌いている。知識を得たいあまりに読書も精力的に行うようになった。ブナと名前のつく書物は今年前半にほぼ読み尽くし、今は山や森の歴史や文化、民俗、林業関係の書物に手が伸び始めている。
登山20年目にして目覚めたと言うか、初めて山をアカデミックな対象として捉えるようになった。一般登山者の立場としてこの心境の変化が果たしていいものなのかどうか、よくわからない。もしかしたら歩く対象としての登山からは興味が薄れていくかもしれない。まあそれならそれでもいいのだが、今までにないほど日本森や木について関心が強まっている。
ブナ探索行として登った山はどれも印象深いが、一つあげるとすれば武尊田代湿原(奥利根水源の森)だろうか。半ば遊歩道化された登山道ではあるが、ブナとの距離が近く、ブナの息づかいのようなものを肌で感じられた、非常に印象に残る山行だった。
倉岳山への主稜線。北側は人工林、南側は雑木林
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雨上がりの朝、相模湖付近は深い霧に包まれていたが、四方津~梁川駅と進むにつれ青空が覗いてきた。鳥沢駅で下車し、霧の上に浮かんだように見える倉岳山に今日は登る。
国道を右折し、民家の間の細道を歩いて小篠登山口。車両侵入防止用の鉄扉を開ける。沢沿いの小さな雑木林はもうすっかり冬木立である。しばらくはその沢に沿って檜の人工林の中を黙々と歩いていく。水の流れる音がするだけで、風もなく静かだ。今日の登りは日の差さない北斜面で、しかも強風の予報が出ていたので防寒対策をかなりしてきたのだが、思ったほどではないようだ。
登山道は何度も沢と離れそうになるが、しばらくするとまた近づいている。片側が何度か広葉樹林になる。ホオノキが多く、白い幹と特徴的な大きな葉が登山道を占めている。
高畑山への道を分けて、夫婦杉という2本の杉を見る。ようやく沢と離れ支尾根をジグザグに登るようになる。檜の人工林の道は薄暗く味気ないが、風にさえぎられているのがいい。ところどころで間伐されている。
このあたりから倒木が見られるようになってきた。横倒しになった檜の木は裁断されて登山道は通れるようになっているものの、幹は放置されている。
森林の維持管理の作業では、間伐された木はそれ自体が製材などされて利益を生み出す見込みのない場合は、運搬せず放置させておくらしい。原生林やそれに近い自然林の樹木が台風などの影響で倒れているのは、それも自然のサイクルの一環なので放置されていても不自然さはなく、むしろそのままであるべきなのだが、人工林の倒木はやはり早めに整理の上補植がなされるのが望ましいように思う。生産が目的の人工林でも、美観を大切にしてもらいたい。
その人工林から脱け出る手前でも大規模な倒木があった。それを避けて尾根を回り込み、この先の穴路峠への道に復帰しようとしたのだが結局登山道には戻れず、そのまま薄い踏み跡のついた尾根筋をたどることになってしまった。この支尾根は穴路峠を経由しないで、その少し上部の稜線につながっていた。アカマツが多い。
登りついたところは、穴路峠から少し上がった主稜線だった。朝の陽ざしをいっぱいに受け、風もほとんどなく思いがけず暖かさを感じる。
南側が檜林、北側がコナラ、アカマツ林となっている。中央線沿線の1000m前後の山稜ではおなじみの風景だが、この付近はどちらかというとコナラは少なくアカマツの割合が多い。
コナラ、アカマツともに、伐採され明るくなった山稜に根付く「陽樹」として分類されている。これより東、奥多摩の秋川周辺や上野原市の低山は、大正期から数十年前までは都市の住宅建設や燃料需要に応えるために、建材や薪材生産などでほとんどが伐採され、はげ山状態になっていたと聞く。
その後水源林としての森林の価値が見直され、天然更新や植林の結果、樹林豊かな山が取り戻されることになった。伐採以前はどのような樹種が茂っていたのかはわからない。
中央線沿線の山のコナラ・アカマツの若い林を見ると、どこも同じような歴史をたどってきたのだろうかと思われる。山中で見かける赤錆化した動力機(ウインチ)の残骸を見ると、当時の様子がうかがい知れる。
そのアカマツも高いところで太い幹が折れているものを見かけた。
倉岳山へはさらに登る。稜線に上がっても山頂との標高差はなお100m以上ある。倉岳山は遠くから見ると端正な三角形をしている。こういう山は見た通り山頂直下が急斜面になっていて、いくつかあるコースのどれを登っても最後はきつい登りを強いられる。
手を使うような急登をこなしていくと、背後に富士山が見られるようになっていた。そして遠くには純白の南アルプスも。
山頂西の肩のようなところに到達する。樹林のため富士山や南アルプスは見えない。平坦な気持ちのよい尾根道を数分歩き、倉岳山山頂に着いた。ここも樹林のため360度の展望というわけにはいかない。しかしところどころでいい眺めが得られる。北面は中央線や中央自動車道、桂川と大月の街並みを足元に、大菩薩や奥秩父山塊が広く見渡せ、南は富士山や道志、丹沢の山々が大きい。
東西に長い山頂のため、真西に見えるはずの南アルプスは尾根自体や樹林に隠されてしまっているのが惜しい。また、南面は雑木林の背が伸びてきていて、腰を下ろすと富士山の眺めも木が邪魔をするようになっていた。
今日は、賞味期限の迫った(一部切れているものも)フリーズドライの食材を在庫整理するため、久しぶりにガスコンロ持参だ。暖かい山頂で1時間、ゆっくりする。
今日は日のあるうちに帰りたいので、立野峠から梁川駅方面へ下山することにする。そちらから登ってきた人によると、やはり倒木がかなりあったようだ。
立野峠までは小さなアップダウンを交え、どんどん高度を下げていく。道志側の雑木林が眩しい。立野峠に立つ指導標には手書きで書き込みがしてあった。いたずら書きはよくないが言いたいことはよくわかる。単調な下りの道に入る。
「倉岳山水場」にはすぐ下り立つ。そこからは沢に沿った長いだらだらの下りとなる。
ここの樹林帯は激しく倒木し、何本もの檜の木が横倒しになり谷筋を塞いでいた。あの台風から3か月も経っているのにいまだこの状況である。登山道にも覆いかぶさっているが迂回路が踏み跡としてつけられていて、歩行は可能だった。
下っていくにつれ、西側の斜面に時々大木が何本も見られる。樹皮からはトチノキのようだ。大きな葉や2,3センチくらいの実も落ちている。直径1mを軽く超える巨樹もあった。養蜂や食用として伐られることなしに、昔から保存されてきた木なのだろう。ここでこんな巨樹を見られるとは思っていなかった。
長い下りを経て登山口へ、一気に明るくなる。立野峠の指導標に書かれていた時間では下山できなかった。
梁川駅からは倉岳山の黒い山体が、冬の山里を見下ろすようにそびえ立っていた。