朝、テント場から南の眺めは昨日と違っていた。槍・穂高など北アの峰々。遠く富士山も雲海の上に。
縦走は好天の下で実現できそうである。6時過ぎに針ノ木峠を出発する。
針ノ木岳への登路にて、鹿島槍から白馬岳へ続く後立山連峰を望む
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針ノ木岳へは標高差もあるので、腰の状態も気がかりであり努めてゆっくり登る。前方20mほど前に歩いている空身の女性をペースメーカーにさせてもらう。
一面の雲海が目を奪う。その上に浮かぶ種池~爺ヶ岳の稜線に滝雲が覆いかぶさる。鹿島槍の双耳峰や非対象山稜の白馬岳も望め、どこまでも見えそうな眺めだ。やがて頭上に針ノ木岳やスバリ岳が見えてくる。その上空は澄み渡った青空。
急な登りが続くが、チングルマやアオノツガザクラなど高山植物に慰められながら一歩一歩上を目指す。針ノ木岳とスバリ岳間の鞍部に見えてきた、特徴ある岩峰は剱岳だ。
南面が切り開かれた場所からは雲海の上に左から八ヶ岳、富士山南アルプスの順。常念山脈や槍・穂高もくっきりと見える。振り返ると蓮華岳の横に浅間山も雲海から顔を出していた。
ヤセ尾根を最後のひと登りで待望の針ノ木岳頂上へ。まさに360度の大展望。反対側の立山・剱岳があまりにも近く圧倒される。そして眼下の黒部湖は少しにごっている。昨年船で平の渡しまで横断したが、そのときはきれいなコバルトブルーだった。ここ数日の悪天候による雨が流入したのか。
それにしても、白馬まで見える後立山連峰の峰々はダイナミックだ。そのうち、これから歩くスバリ~赤沢岳あたりまでの稜線は起伏が多く、ガレて荒々しい様相を呈している。
今日は北アルプスで久しぶりの晴れの天気のようだ。登ってきた人たちも大きな歓声を上げている。このような天気なら、縦走せず蓮華・針ノ木岳をピストンする一泊行程でも十分楽しめそうだ。
名残惜しいが腰を上げる。北の稜線に向かって落ち込むようにガレ場を急降下。前方に女性が一人、進路に迷っていた。右手に踏み跡らしきものも見えるが、左のほう、道でないところへのガレ場を下降しようとしていた。やがて大きな落石音があたりに響いた。
その人に声をかけ、しばらく様子を見守る。やがてもう一人の女性が降りてきて右手の踏み跡を進んだ。先行の女性もそれを見て登り返してきた。
下を覗き込むと、たしかに左手の方向にも赤ペンキがあるので、ひとたび迷い始めると、そちらの方向に進路をとりたくなってしまうのはわかる。ともあれ大事に至らなくてよかった。
その後、スバリ岳との鞍部に下りるまで、気の抜けないヤセ尾根が続く。雲海が少し上がってきた。左側には相変わらず剱・立山の雄姿、黒部湖が見え続けている。五色ヶ原付近の緩やかな斜面も印象的だ。数年前あのテン場から針ノ木岳を見上げていた。
立山~薬師の縦走もアップダウンが大きかったが、平行するこちらの稜線はまた一味違ったタフな尾根で、北アルプスらしくもある。
鞍部に下ると同じくらいの高度に針ノ木峠の小屋が見えた。ヤセ尾根を登り下りしてスバリ岳へ。ここも展望がすばらしい。下ってコマクサの咲く砂礫の鞍部から振り返り見ると、スバリ岳がかっこいい姿を見せていた。
岩尾根はまだまだ続き、アップダウンも激しい。青空の下は清々しいが、日差しは強く、場所によってはギラギラと直射日光を浴びる。雲海がガスとなって赤沢岳の東斜面を舐めるように上がっていく。
スバリ岳の後ろに針ノ木岳も見えてきた。ガレ場なりに距離を稼いだということだろう。
赤沢岳を越えてもなおも難路が続き、行程的には次の新越山荘で泊まってもいい。翌日扇沢に下山するだけならなおのこと。しかし新越はテントが張れないため、種池まで頑張る。
さらに岩稜を伝っていくが、腰を下ろして眺めを楽しめる場所も増える。ガスが上がって、鳴沢岳に着く頃は展望半分になっていた。さらに残り半分も次第に真っ白に。梅雨明け直後の好天気はまだ安定度が低い。
鳴沢岳からは30分で新越山荘とのことだが、歩きにくい部分もありもう少し時間を見積もってもいい。
岩場が少なくなり、お花畑が目につくようになる。クルマユリやハクサンフウロが多い。そして今年の夏山の主役、コバイケイソウも。
雲間から薄日指す中を新越山荘に下り立つ。ここで昼食とした。ここらあたりから若い登山者が目立ちはじめる。針ノ木峠は不思議と、若い登山者がいなくて、ちょっと昔の夏山の風景だった。こちら新越山荘前のベンチで女性がスマホを打ち込んでいるのを見て、何だか日常に引き戻されてしまった気がした。
種池山荘がこの日満員のため、針ノ木からの縦走者でここで宿泊する人もいるようだ。
この先、道は尾根を乗っ越して黒部側に出たり、信州側に戻ったりを繰り返す。例によって信州側は無風で日差し強く、日本海からの風が涼しい黒部側に来るとほっとする。
ガレ場はなくなって、緊張感から解放されて花を見ながらのゆとりある歩きがようやくできるようになった。
岩小屋沢岳を越えていくと、信州側の斜面にお花畑が広がる。ミヤマキンバイ、シナノキンバイ、ミヤマキンポウゲのアルプスを代表する黄花3種が群れて咲いている。名前は混同しやすいが見分けは容易なので、高山植物を覚えたい人には入門編である。
蓮華やスバリ岳付近は砂礫地が多く、コマクサとタカネスミレをよく見たものの他の花はそれほど多くない印象だった。
コマクサの先祖は、他の植物と共存しない道を選んで種を増やしていった。新越より種池側は、北アルプスらしい多種多様の花々が咲き競っており、植物のそうした棲み分けがこの縦走路を歩いているとよくわかる。
標高をやや下げ、ダケカンバなど低潅木も見られるようになる。棒小屋乗越で道はいったん黒部側へ。左手遠くに、斜面一面が白く敷き詰められているのが見えた。登山道が通じてないので近づけないがおそらくコバイケイソウだろう。ここ数年の不作を払拭して今年はどの山でもコバイケイソウの当たり年である。北アルプスはさすが、斜面を埋め尽くすほどの群落であった。
広々とした台地に出る。コバイケイソウがここにも群落。見えている種池山荘は少し高いところにある。思えば長い道のりだった。もともと歩行時間が7時間を越える行程とはわかっていたが、朝6時に針ノ木峠を出て、種池到着が15時半とはずいぶん歩かされた印象である。何とか無事にたどり着けそうで安堵する。
小屋の手前に残雪があったため、水を取っていく。きれいな水が取れた。
種池への登り坂は樹林帯となり、キヌガサソウがたくさん咲いていた。明るい場所に出たところがテント場で、種池山荘はそのすぐ先だった。
好天の土曜日ともあって老若男女、人がいっぱいだ。受付も混雑しテントの申込みで20分も並ぶはめに。思った以上に遅い到着でテント場が満員ではないのか心配だったが、まだ余裕があったのは幸いした。
そして、種池山荘の前はコバイケイソウで埋め尽くされていた。今年この山荘を行程を組み込んで正解だったようだ。
テント場は背の低い樹林で囲まれている。5時になっても暑いので、木陰で涼みながら時を過ごす。ラジオで山の天気をやっていた。明日の白馬岳は晴れのち曇りだ。
夜、テントから外を覗くとまたも星空。明日は爺ヶ岳を往復後下山するだけだが、好天の下の歩きが約束されたも同然だ。この夜は前日に比べさほど冷えなかった。
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3日目の朝、空は曇っていた。外に出てみると生ぬるい風が吹いている。小屋の前では、みな空模様を気にしながらご来光を待っていた。東の空は少し明るく、いっとき赤らんだものの太陽は出ず。
西からは雲がどんどん流れてきた。天候は悪化の方向だ。そうこうしているうちに雨が降ってきてしまった。
爺ヶ岳の往復は諦めて、今日はこのまま下ることにした。テントを片付けているうち、運の悪いことに本降りになってしまい、フライもテントもずぶぬれ状態でしまうことになった。
雨具を着込んで種池山荘の前に立つ。ガスでボウッとした風景の中、沈痛な表情で鹿島槍方面へ縦走する大人、小屋のお兄さんとじゃれあう雨がっぱのちびっ子たち、悲喜こもごもの図があった。
コバイケイソウのお花畑の間を通って柏原新道を下る。針ノ木雪渓が雨とガスに霞む。雨が止んで空が明るくなると、とたんに暑くなったので雨具はすぐ脱いだ。残雪を横断して淡々と下る。どんどん人が登ってくる。
木の間から見られる針ノ木雪渓はかなりの急傾斜に見え、一昨日本当にあんなところを登ったのだろうかと思う。
柏原新道は随所に「包優岬」「水平岬」(岬は「さき」と読ませる)といった場所名がつけられている。「駅見岬」からは駐車場に車がたくさん停まっている扇沢駅が見下ろせた。
再び雨降りとなって、雨具を着る。柏原新道は一部急なところもあるが、北アルプスの稜線に早く立てるコースであり、整備も行き届いている。雨は最後まで止まないまま、柏原新道登山口に下り立った。
路線バスの発車する扇沢駅へは、ここからまだ少し登らなければならない。バスがここの登山口に停車してくれればいいのに、とも思うが。
ようやく雨は止み、バスで大町温泉郷に立ち寄り後、信濃大町駅に戻った。
短い北アルプスでしかも晴れは半日だけという不運はあったが、今年のような天候不順な夏は、縦走の時だけ晴れてくれればそれで御の字だ。晴れの北アルプスを勝ち取ったような今年であった。