朝4時前に起きる。空が白んでくると、赤岳は雲の中だった。天気予報を確認すると、今日の午後3時ごろから、長野県全域に雨が降る予報に変わっていた。
支度をして5時にテントを出る。樹林帯を抜け、階段の急登となる。上に見えている稜線は雲に覆われていたが、明るくなるにつれ雲が薄くなってきた。やがて赤岳、阿弥陀岳、横岳ほか硫黄岳、天狗岳や蓼科山まで雲の中から顔を出した。予報通り、晴れてくれそうだ。
未明は雲に覆われていても、朝日が当たる時間になるとどんどん雲が取れてくる。八ヶ岳では以前にも同じ現象を見ていたので、気象的な特徴なのかもしてない。
遠くには北アルプスや乗鞍、御嶽山も見えてきた。長野県の今日は全域的に晴れである。
赤岳山頂から、一面の雲海の先に富士山を望む [拡大 ]
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稜線に立つ。ミヤマダイコンソウが咲き、チシマギキョウは色が濃い。
赤岳への登りは次第に岩尾根となり、険しさが増す。1mほどの段差を前にする。空は快晴でほぼ無風、そんな条件の良さに気が緩んだのか、20㎝ほどの浮石をストックで突いてしまい、左足の甲を直撃した。激痛が走りしばらく動けなくなる。
骨が折れたかと思ったが、しばらくすると痛みも引き、歩けるようになった。左足は膝の痛みも少し残っていて、もう踏んだり蹴ったりである。油断禁物だった。
鉄梯子を登ると南面が一気に開け、権現岳や編笠山、その奥に南アルプスというおなじみのパノラマが広がった。分厚い雲海の上に、5合目より上の富士山が顔を覗かせている。雲海はあちこちで背が高くなっており、上昇気流が盛んなようだ。
頭上に岩場が見られなくなり、赤岳山頂に到着。四方どこを見ても大展望。北、中央、南アルプスや乗鞍、御嶽山、富士山、浅間山、奥秩父山塊。山梨側は一面の雲海、長野側に目を転じると、峰の松目のはるか下に町が見える。
やっぱりここは天気の相性がよく、これで通算7勝2敗である。つまり今回が9度目の登頂である。22年前の初訪以来、この山の魅力は全くあせることはなく、飽きることもない。
見慣れていた最高点の標柱が倒れてしまっているのは、ここのところの荒天の影響なのか。
地蔵の頭、横岳に向けて稜線を下る。今まで10回近く登り下りしていて、急な岩尾根でも自分にとっては快適なルートだ。しかし今日は何か勝手が違う。足の動きがぎこちない。
転ばないように慎重になり、後から来る人にもどんどん抜かれていく。この斜面にはけっこう高山植物が咲くのだが、見る余裕がなかった。登山初心者の頃、歩くのに精いっぱいで周りの景色が全然見えなかった。その時のことを思い出した。
赤岳天望荘を過ぎ、地蔵の頭に着く。無理しないでここで地蔵尾根を下ることも少し頭をよぎるが、横岳までは行きたい。険しい岩尾根にアタックする。山梨側にガスが高く舞い上がり始め、横岳方面を隠し始める。
岩棚にウサギギクが咲いていた。アルプスや北の山で見られる高山植物と思っていたが、八ヶ岳にあるとはびっくり。自分が今年ウサギギクを見れるのは、たぶんここだけだろう。砂礫の斜面にはコマクサも少し咲いていた。
日ノ岳、鉾岳を長野側から巻く道に入る。ハクサンイチゲを期待したが終わっていたようだ。ウルップソウは芯だけになってしまっているし、紫のミヤマオダマキも今回は見られなかった。10年以上前に比べ、高山植物の数はずいぶん減った感があるが、種類そのものも少なくなっているように思う。最近は気象の変化が激しく、開花してもすぐ枯れてしまうのか。
三叉峰に到着。ずいぶん雲が出てきた。去年登った杣添尾根に人が見える。横岳の最高点はまだ遠いが頑張って行く。タカネツメクサ、コバノコゴメグサ、イブキジャコウソウが多い。チシマギキョウは全域で見られる。
快適な岩の稜線を歩いて、横岳奥の院に登頂する。山頂は狭いが人が多く、座る場所探しにいつも苦労する。大同心の岩峰に、クライミングしている人がへばりついていた。ずっと動かないで、下からやってくる人を待っている。見ているこっちがムズムズしてくる。
横岳まで来れた。ここで引き返してもいいのだが、やはり硫黄岳を経由してことしも一周を果たしたい。高度感のある梯子を下ると、岩稜は終わりが近づき、台座の頭を正面にして穏やかな下りの斜面となった。
コマクサの自生地だが、ずいぶんと寂しい状態になっており、少ない花自体も、きれいに咲いているものが少ない。初めてここに来たときは8月上旬で、斜面がピンク色に染まっているようだった。
柵で保護しているから鹿の食害によるものなのか、また気候変動のせいなのか。4年前は7月上旬でたくさん咲いていたので、開花時期が少し前倒しになっているのかもしれない。とにかく今年の八ヶ岳は、全体的に花が少ない。
岩尾根が終わったので気がまた緩んだのか、浮石に足を取られ、尻もちをついてしまう。しかも突き指と、二の腕にかすり傷を負ってしまった。
下り勾配の道なので膝痛はそれほどないのだが、これほどの動きの悪さは、さっきの落石が影響しているのか?加齢のせいかもしれないが、今年はコロナ禍で夏山を歩く体が作れなかったことが大きい。
自分の場合は、4月から6月にかけては毎週のように山に通い、天気が悪く出かけられないときはジムで体を作る、というパターンでもう15年くらいやってきた。最近は仕事もテレワーク導入で通勤する日が半分になり、歩く距離が激減した。1日の通勤で7000歩くらい歩けていたので、これはけっこう大きい。
体力づくりがうまくいかないと、普段の生活面でも頑張りがきかなかったり、生活のリズムが乱れがちになる。健康のために感染リスクを避けて家にいることで、逆に不健康な体を作ってしまった気がする。
硫黄岳山荘の植物園に立ち寄り(ここも高山植物は少ない)、硫黄岳への登りに入る。登りになると膝の痛みが少し出る。それでも何とか、大勢の人が集う硫黄岳山頂へ。
広々とした岩礫の台地は気持ちがいい。赤岳ほか八ヶ岳主峰の姿は、たまにガスが切れた時だけ覗く程度になってしまったが、ここは体力の回復に努め、白い眺めを見ながらゆっくり休憩する。
ここから先もまだ長い。横岳から引き返していれば今頃テントをたたんで下山の準備をしているかもしれない。でもまあ、一周することを選んだのは自分だから、頑張るしかないだろう。もうこれから険しい道はないはずだ。
硫黄岳からの下り、最初は落石の多い岩ザクで慎重に下る。
赤岩ノ頭基部で展望に別れを告げ、ひたすら樹林帯の急降下となる。ぐんぐん高度を落とすが意外と歩きやすい。下るにつれ気温が上がっていくのを感じる。50分かけて赤岳鉱泉まで下る。
ここでテントをたたんで下山したいのだが、残念ながらテントは行者小屋にある。しかも行者小屋へは、中山乗越を経て標高差100mの登りとなる。行者小屋に幕営して南八ヶ岳を一周する場合、この登り返しが難点となる。赤岩ノ頭からは赤岳鉱泉まで下らず、行者小屋へ直接下れる巻き道のようなものがあってくれればいいのにと思う。
その中山乗越への急登で最後の雑巾絞り。乗越には、これから天望荘へ宿泊に行くという人がいた。3mくらい離れて言葉を交わす。今回、まともに会話したのはこの人だけだった。
行者小屋に戻る。テントは8割がたなくなっており、日帰りと思われる登山者が休憩していた。テントを撤収し下山に入る。
この下山がまた大変だった。変化のない、暗い樹林帯の道を黙々と下っていく。おさまっていた膝痛がぶり返してきただけでなく、赤岳の登りで落石を受けた左足の甲が、今になって痛み出してきた。
今思えば、腫れてきて靴を圧迫していたので、靴紐をゆるめれば少しはよかったかもしれない。最後はびっこを引くように堰堤を越える。樹林を割って美濃戸山荘の赤い屋根が見えた時は本当にホッとした。
山荘でペットボトルを買う。マスクをして建物内に入ったが、従業員の人はマスクもせず普通に応対してくる。消毒やらマスクやらと、都市圏の人は極度に神経質になって緊張して生活しているが、郊外や山村に住む人々はどうなのか。帰省で都会から地元に戻ってほしくないと言う人もいる一方、自分たちには関係のない世界、と思っている人も意外と多いかもしれない。
山小屋や宿泊施設のホームページは感染防止策満載状態で、トイレには確かに消毒液なども置かれていた割には、現場のスタッフの方の様子に、それほど緊張感は感じられなかったのが正直な感想だ。
美濃戸口に向けて、1時間の林道歩きを残すのみとなった。ゴールは4時くらいになりそう。空が暗くなり、ついに雨が降ってきてしまった。今日の雨予報は、降り出す時間までぴったりと当たった。
それでも大降りにはならず、傘をさして歩き続けて美濃戸口の駐車場にたどり着く。車の中で涼んでいると雨脚が強まった。梅雨が明けたと言ってもまだ少しは不安定な空模様が、今年は続きそうだ。
傷だらけの2日間になってしまったがとにかく、今年も夏山に登れてホッとした。しかしこれが今年最初で最後のの夏山になりそうだ。さらに、テント装備での南八ヶ岳計画も、これからは少し行程を見直さないといけないかもしれない。
風呂には入らず、中央自動車道で帰路につく。