ブナ林を抜け、小白森山の頂稜部が見えてくる。紅葉した潅木が斜面を彩り、登る気にさせてくれる図だ。
空模様はと言うと、西側は曇り、東側は青空と、見事に分かれている。南会津の東側、ここ天栄村は日本海と太平洋の両気候の分水嶺であるのがよくわかる。
小白森山、二岐山とも時々頂稜部にガスがかかり、頭の上では風がゴーゴー、と音を立てて舞っている。
笹と低潅木帯に入ると道は再び急登に転じる。頂上目指してガンガン登っていく感じだ。紅葉の色づきも少しよくなる。振り返ると、天栄村の広い田園地帯が広がっていた。
シャクナゲも現れてくる。しかし頂上には着きそうでなかなか着かない。目の上に見えるピークに到達すると、さらにその上がある、これの繰り返しである。
登山口から1時間40分あまり、ようやく小白森山頂上に着く。意外にも登山者6名ほどが休憩していて満員。この先に三角点がある、と言うので行ってみる。周囲には潅木が茂っているが眺めはほぼ360度である。
大白森山の右は那須の旭岳であろうか。最奥の那須主峰は雲がかかり見えない。
天気がよければ甲子温泉からの縦走も楽しそうだ。コースタイムは8時間とけっこうかかるようだが、日の長い時期であれば明るいうちに二岐温泉に下山できそうだ。今日はここで引き返すことになる。
| 湯小屋旅館 |
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青空の面積が小さくなり、ついに天候回復には至らなかった。登山口に下りると青空が復活する。車道を歩いて二岐温泉に戻った。
湯本温泉に車で下る前に、二岐温泉に立ち寄り入浴していく。前回泊まった大和館の横に、今にも倒れそうな小屋があったのを覚えていた。「湯小屋旅館」である。
湯小屋旅館は、漫画家つげ義春が泊まったところで、「二岐渓谷」というタイトルの短編に綴られている。その漫画に出てくる老夫婦は今は引退され、若い人が経営している。
今にも外れそうな戸を開け、声をかけるとしばらくして、管理人さんがやってきた。500円を渡し、中を案内してもらう。暗い通路を通って、簡単な木の戸を開けると、石造りのむき出しの湯船が。文字通り「湯小屋」だ。
さらにトタンの戸から外に出たところには露天風呂がある。お湯は適温で入りやすかった。
二岐温泉の他の宿はいずれもこぎれいになり、「秘湯」とか「湯治」のイメージは薄いのだが、ここ湯小屋だけは、つげ氏が訪問した当時の、素朴な雰囲気をまだ持っていると感じた。
老夫婦が引退してから、日帰り入浴だけの受け入れになったとの話だったが、管理人さんに聞くと自炊で宿泊も出来ると言う(一泊4500円)。
温泉地付近が紅葉に包まれるのはおそらく2週間ほど先であろう。他の旅館は混むがここはきっと泊まれそうだ。
いい温泉に入って、満足して湯本温泉に下る。車は問題なく動いた。
天栄村から見上げる二岐山の双耳峰
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岩瀬湯本温泉も、つげ氏お気に入りの温泉である。二岐温泉のような山間の温泉地とはまた違い、街道(国道118号)沿いの小さな湯宿だが歴史は古く、もう1000年以上前からあるそうだ。
民家の中に紛れ込むように数軒の温泉旅館が建っている。今日はそのうち、源泉亭湯口屋に泊まる。茅葺屋根が印象的な、昔ながらの純和風の造りだ。
「電話二番」と書かれた戸を開けると、もうそこは昭和時代いや大正時代にスリップしたような雰囲気である。
漆色の階段、大きな柱時計、時代を感じさせる掛け軸、壁に掛かった木簡の小倉百人一首、干支の置物。夕食は囲炉裏で焼く岩魚や土瓶蒸し、山の幸が並ぶ。いろいろなものに目が行き、そしてどれもが懐かしい。
もちろん温泉も、源泉かけ流しで最高によい。でもお湯の質をうんぬんするようなことはあまり似合わない。都会の喧騒を離れ、何もかも忘れて過ごせる場所、それだけで十分である。
温泉宿というと、山の中の一軒宿もいいのだが、最近は所によっては、山奥であることが強調され過ぎて、(悪気はないのだろうが)何となくわざとらしさが鼻をつき意外と落ち着けないこともある。かえって街道沿いの目立たない、地味なこういう場所が今の時代は温泉地として貴重なのではないか。
会津柳津の西山温泉、群馬県三国街道沿いの湯宿温泉、そして今話題の「八ッ場ダム」建設で沈むとされている川原湯温泉。こういう小さな温泉地が今はいい。
湯口屋の前にある共同浴場は、近所の住人のためにあるもので一般の人は入れない。お湯は湯口屋のものと同じだそうだ。
温泉は本来、古くから住んでいた地元の人のものなのであって、旅行者はちょっとおじゃまさせて入らせてもらう、そういうものであってほしい。旅行ガイドで頻繁に紹介されている、外部の者向けに開かれた温泉というのも、今の時代にはかえって味気なく感じてしまうのは自分だけであろうか。
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