完全な雪渓となり傾斜も増してきた。北アルプスの針ノ木雪渓以上の斜度はある。
キックステップはつらいので狭い平坦な場所を見つけてアイゼンを付ける。それ以後は快調に登れるようになったが、他にアイゼン装備の人は登りも下りもあまり見かけない。
同行の友人はアイゼン装着後も苦労しており、キックステップを続けている。見たらアイゼンが爪先の方に足半分くらいずれてしまっていた。これでは傾斜の緩いところもフラットフッティングがやりづらい。
岩木山山頂
|
雪の消えた部分に逃げられる場所があり、そこで待望のミチノクコザクラを見ることができた。それもかなりの群落だ。オオバキスミレや濃紫のスミレ(オオタチツボか?)も鮮やかである。ノウゴウイチゴの白花も見かける。
それにしてもこの長い雪渓をツボ足で歩く人(そちらの方が多数なのだが)は、自分には信じられない。特に下りは自分だったら無理だろう。
長い雪渓が終わり、ミチノクコザクラを見ながら石のガラガラした登山道をなおも行く。
錫杖清水という湧き水が見つからないまま、着いたところが種蒔苗代だった。焼止りからかなり長い時間を費やしてしまった。久々の休憩をとる。この付近にもミチノクコザクラがあった。
雪田の先の尾根に鳳鳴ヒュッテが建っており、そこから伸びる稜線が岩木山への最後の登りだろう。
登山道の雰囲気はここから再び様変わりである。八合目からリフトで上がってきた登山客が長い列をなし、山頂へ通じる尾根を登り降りしていた。軽装の観光客風の人や子供連れも多い。岩木山はここからいっぺんにハイキングの山になった。
その登山者の列に自分たちも入る。登るにつれ背後の展望がどんどん広がり、気分が高揚する。リフトの山頂駅や、その下の八合目の駐車場も見えてきた。また、西側に見える壁のような山稜は白神山地だろうか。
鳳鳴ヒュッテから山頂までの間は、登りと下りとでルートが分かれている。岩ガラガラの急坂だが落石の心配もほとんどない整備された登りやすい道である。信仰の対象として古くから歩き継がれてきた登山道なのだろう。険しい岩尾根であっても道はしっかりしている。
岩木山の山頂を目前に、「夢のカプセル」と書かれた標柱が立っていた。地元の学校の学生か何かが、思い出の品を埋めているのだろうか。
反対側の空も大きく望めるようになり、岩木山山頂に到着する。雪渓で難儀したこともあり、岩木山神社から何と6時間もかかってしまった。でも苦労して登った人だからこそ拝める、360度のすばらしい展望がそこにはあった。
気温が高いので下の方はややもやっているが、岩木山神社方面の麓も見下ろせる。山頂の北半分は、標高おそらく1000m前後あたりで一面の雲海となっていた。岩木山は、青森県の広い平地にひとり聳え立つ独立峰であり、昔風に言えば死火山である。周囲に高さを競うような山稜がないので、標高以上に高度感のある地だ。
「右降り」の表示に従い、右手に伸びる登山道で鳳鳴ヒュッテまで下りる。リフトの山頂駅までは、左に噴火口を見ながらの稜線歩きとなる。岩木山とその寄生火山である鳥海山との間にできたもので、鳥ノ海噴火口と呼ぶ。
岩木山も本来は火山だったのだ。富士山や八ヶ岳と同じく、麓に優美な稜線を引いている山の多い日本は、やはり火山の国であることを認識させられる。
リフト手前で再びハクサンチドリの群落、そしてベニバナイチヤクソウを見ることができた。東北の山にしてはあまり多くの花の種類を見ることがなかったのは、お花畑の発達しやすい鞍部や湿地帯が道中にあまりなかったから、そう感じられたのかもしれない。色濃いミチノクコザクラが見れれば十分である。
今回はここで歩き納めとなる。下に見えている八合目駐車場、さらには嶽温泉まで登山道があるが、標高差のある登りということもあって、最初からリフトとバスで下ることにしていた。体力的にもいっぱいだったので、結果的によかった。
登りで予想以上に時間がかかったため、バスは最終便となる。もし高速バスが時間通りの到着だったら、登山開始がさらに遅れて下りのバスに間に合わなかっただろう。リフト駅から見上げる岩木山は、山頂部が丸い端正ないでたちをしていた。
展望の良いリフトを下り、レストハウスのある八合目でバスを待つ。もう時間が遅いせいか、関東甲信の百名山に比べれば人出は少なく、ゆっくり楽しめる山である。
靴の洗い場からゲコゲコとカエルの鳴き声がする。レストハウスの人に聞いたらモリアオガエルがここに住み着いていると言う。洗い場の水だまりをよく見ると卵がたくさん産み落とされていた。
バスで「津軽岩木スカイライン」を下る。日光のいろは坂のようにジグザグが繰り返される道だが、こちらの方は69個ものジグザグがあり、標高差も麓の500mから八合目の1250mまで、700m以上ある。マイカーは運転が意外と大変だろう。
この有料道路が開通したのは昭和40年というから、歴史も深い。
下ったところにある嶽温泉は、6、7軒の旅館と数件の食料店があるのみ。素朴な温泉地だが、バスを降りた途端に豊かな硫黄の香りに迎えられ、みちのくの山のいで湯に来た実感が湧く。
小島旅館に今回は泊まった。白濁の温泉で1日の汗を流し、浴衣で缶ビール片手に近所を散歩する。旅館の前の店でりんごジュースを買い、家に宅配した。
楽しみの夕食は品数が多くどれも美味で大満足。リンゴや土地の新たな名産品であるホワイトコーンが出るかと思ったら大ハズレで、全く予想を裏切られた。これで一泊8800円はかなりリーズナブルだ。
朝食に貝味噌焼きという郷土料理が出た。ホタテ貝の殻に入った味噌だしに玉子と豆腐、ネギを混ぜて焼くという素朴なもので、味噌の甘みがしみ渡りとても美味しかった。
翌日、晴れてはいるが岩木山は上半分が雲の中。昨日登っておいて正解だった。
せっかくここまで来たので、近くに目ぼしい山があれば合わせて登っていきたかったのだが、絵に描いたような独立峰の岩木山には、近くに登山対象の山がない。白神山地も八甲田山も、岩木山とつなぐにはもう1日必要だ。今回の東北山行は岩木山ひとつだけである。
東北新幹線で帰るために、まず弘前駅で青森駅行きの奥羽本線に乗る。車窓からは堂々とした岩木山がずっと見え続けている。てっぺんに雲はかかったが、昨日バスに乗って見たときと同じだ。
やっぱり山はいつ見ても、変わらぬそのままの姿でいてくれるのが貴重である。岩木山の価値はそんなところにあると思う。