船形山は宮城・山形県境に位置し、山形県では御所山と呼ばれている。標高1500mでありながらいくつもの支脈や山、谷を抱え懐は深く、船形「連峰」と呼ばれるに相応しいスケールを持つ山である。
山中にはブナの原生林が広がっているが、過去に大規模な伐採が行われた現場という側面もある。
登山コースは宮城県側からの他、山形側の尾花沢や東根からアプローチするルートなどたくさんある。それだけに、遠路から行くとなるとコース選択に迷う。今回は旗坂キャンプ場からブナの豊かな升沢コースを登り、山頂の避難小屋泊、翌日縦走路を北泉ヶ岳まで歩くという計画にした。
なお、船形山のブナについては日本ブナ百名山のページに掲載している。
ブナ林が見ごたえある升沢登山道 |
この山は東北の山でありながら、東京発でもうまくすれば電車バス利用で登ることができる。しかしブナの山ということにこだわり升沢コースを歩くとなると、タクシーなど車が必要になる。また、下山口の泉ヶ岳山麓のバス便があまりいい時間にない。
考えたあげく、仙台駅からレンタカーで旗坂キャンプ場にアプローチし、2日目は林道を歩いて旗坂に戻る周回ルートとした。
また、今日は一眼レフカメラを買い換えてから初の山行である。ミラーレスも考えたが、画像サイズがまだ小さく、簡易カメラの域を出ていないと考え、今までのもの(Pentax K20D)とほぼ同じクラスのカメラ(同 K-3Ⅱ)にした。
仙台駅近くでレンタカーを借りる。手続きや車の操作に手間取り、出発は9時近くになった。仙台市や泉地区は何本もの幹線道路が縦横に交わっており、混雑はしていないのに信号待ちがやけに多く、山間地に入るまで時間を要した。
旗坂キャンプ場には10時過ぎに着く。もう日も高く、気温も上がった。ハルゼミの鳴き声がワンワンと響いている。林道を数分歩いたところの登山口から入山する。最初から緑濃い、鬱蒼とした樹林帯だ。
そう急なところもなく順調に高度を稼ぐ。ブナはすぐに現れた。葉を見ると側脈が12本も走っていた。ブナはだいたい10本までで、それを超えるようならイヌブナかもしれない。白っぽい樹皮に地衣類がついた様子はブナのほうで間違いないとは思うが、船形山にはイヌブナも生育しているのだろうか。
ブナとともにミズナラが林冠を構成しており、他にもハリギリ、ミネカエデ、ホオノキ、ヤマザクラなどさまざまな広葉樹が見られる。船形山は以前、2万haのブナ原生林帯のうち半分が伐採され、スギが植林されたという。しかしそうした形跡はここにはない。ただ、登山道の右手にやや広い低木地が見られるところがあり、このあたりがそうなのかと見えなくもない。
植えられたスギは標高が合わず生育できなかったと聞く。いずれにしても、この升沢登山道周辺ではっきりとした伐採跡が見られるようなところは皆無だった。
高度をゆっくり上げていくとブナが増え、見応えのあるブナ純林となる。幹回り3mを超えそうな巨樹は見当たらず、樹齢だいたい200年くらいのものが揃っているようだ。更新樹もあり、さらに成長した種子もたくさん見られた。
枝についたたくさんの種子を見ていると、すでに殻が半分開いているものがある。今の時期に熟しているのはおかしいので、おそらくこれは虫に食われたものだろう。あたりを見渡すと、地面にも実がかなりの数落ちていた。
ブナの種子は6月から7月にかけて蛾の幼虫などの食害にあって、秋の充実期を待たずに落下してしまうものも多いと聞く。
目線の位置にはオオカメノキやナナカマドの白花、そしてサラサドウダンが多く見られるようになる。ベニサラサドウダンやウラジロヨウラクと合わせ、この釣鐘状のツツジ類は2日間の山行を通してものすごくたくさん咲いていた。
左手に三光の宮への登り口があったので寄っていく。岩の積み重なった上は本日最初の展望地となっていたが、飛び交う虫が煩わしく、早々に退散する。
この時期の東北の山行は虫との闘いである。今日のように晴れとも曇りともつかない中途半端な天気で、湿度が高いとこうなる。
さらに進むと真新しい鳥居が立っており、その先にヒノキと思われる樹木が密集していた。オオシラビソと思われる黒木も先程から見られるようになっていた。この山域は狭いながらも針葉樹の生育するエリアが存在している。
沢をいくつかまたいで行くうち、足元にはさまざまな花が出始める。マイヅルソウを皮切りにイワカガミ、ミツバオウレン、ツマトリソウと続く。
ブナの森は途切れることはないがだんだんと低木化し、このあたりになると根元が曲がったものが目立ち始めた。雪の重みで谷側にたわむもので、多雪地域ではおなじみの姿である。この曲がりは木が成長していくと次第に解消していくらしい。不思議なことだが、時間の経過とともに土の下の根の部分が谷側に伸びていき、結果としてまっすぐ立っているように見えてくるとのことである。根曲りブナは木が若い証拠だ。
同じ木を長期間観察すれば目の当たりにできるだろうが、少なくとも50年は見続けることが必要か。人間よりはるかに長い時間を生きる樹木という植物、その生活の仕組みはわかっているようでまだまだ謎の部分が多い。
日帰りの登山者が続々と降りてくる。緩やかな下降ののち、升沢小屋に着く。
ネマガリダケの中の切り開きは明るい雰囲気で、すぐ先に沢があるので、ここに泊まるのなら水には不自由しない。心が動いたが、やはり予定通り山頂の小屋まで行くことにした。
ここから山頂までは、底の浅い沢を登っていくことになる。沢沿いの道ではなく、沢の中を歩く。山頂の小屋には水場がないので、沢が枯れるまでには調達しなければならない。それでもなるだけ高度を上げたところで水汲みしたい。
沢は飛び石伝いに歩くところもあるが、多くは靴底を濡らす程度だ。ただし雨の後だと大変なところも出てきそうなので、その時は少し戻って蛇ヶ岳経由のルートを選んだほうがよさそうだ。
沢沿いにはオオバキスミレ、ショウジョウバカマほか、サンカヨウ、シラネアオイも見ることができた。それに、この辺りでもブナは樹高を低くして生育している。水の流れが細くなったところで水を3リットルほど汲む。5名ほどのグループを追い越す。
きつい登りをこなすと沢は枯れ、いよいよ山頂下の稜線に出た。ハイマツが少し茂るほか、低潅木が両側に伸びているが、さらに登っていくと周りの景色が一気に広がる。明日歩く蛇ヶ岳から三峰山への稜線がよく見える。右手にはたおやかなスロープの船形山山頂と、最高点に建つ避難小屋がようやく見えてくる。登山道が分岐するあたりが千畳敷というところだろう。
この辺りは高山帯の花も多く、シャクナゲやゴゼンタチハナ、アカモノが見られる。サラサドウダンも鈴なりである。雲が多いのが残念だが、出発時と比べると薄い雲間から青空も覗くようになった。しかし体の周りを飛び交う虫の多さは相変わらずである。
こんな高山の趣のある稜線でさえも、ハイマツやシャクナゲの木に混じってブナの潅木がある。船形山は本当に上から下までブナの衣をまとっている山だ。
ブナの葉には赤やオレンジ色のいぼのようなものがたくさんついている。これは虫が葉に卵を生みつけたもので一般的に「虫こぶ」とか「虫えい」と呼ばれている。ブナの場合は主にタマバエという昆虫の卵らしい。ブナの葉の一部が丸くくり抜かれているのを見ることがあるが、これは虫こぶの跡であることが多い。
小屋が見えてから山頂へは、思ったより時間がかかった。三角点のある船形山山頂からは360度の眺望である。それまで見えなかった山形県側の山々が一望だ。地図を見ると「○○カゴ」と言う名前の山がいくつかあるが、たしかにどれも籠のような四角い形をしている。山形県側からのルートもいずれ歩いてみたいものだ。また、蛇ヶ岳方面に大きく見える櫛形のピークは北泉ヶ岳だろうか。
栗駒山や蔵王連峰は残念ながら霞みの中のようである。山頂にはミヤマキンバイ、タカネスミレ、そしてちょっと意外な形のウスユキソウがたくさん咲いていた。
山頂の避難小屋に入ろうとするが、最初どこが入口かわからなかった。裏に回ると高床式になっており、立てかけられた梯子を数段上って戸を開けるようになっている。
中には誰もおらず、自分が最初の宿泊者だった。ストーブが備え付けられ、しっかりした造りできれいな小屋である。1階は5,6名ほど、2階は広く10名ほど泊まれそうだ。
先ほどのグループが登ってきた。同じく避難小屋に泊まるようである。聞くと、山形駅近くの山ショップで企画された少人数のツアー登山だった。初めて(自炊の)山小屋に泊まるためのツアーということである。
リーダーの人は山ショップの店長で、男性・女性2人ずつのメンバーの方は皆仲良さそうに会話していたのでてっきり知り合い同士と思っていたが、全員初対面だったようだ。山形や宮城の人ばかりで、県内の有名な山のことで話に花が咲いた。
自分が初めて避難小屋に泊まったのはもう19年前、静かなる興奮を覚えながら一晩を過ごした記憶がある。この人たちにとって今宵はどんな夜になるのだろうか。