2週間以上空けて、久々の山となった。8月下旬から関東地方はお日様と縁遠くなり、このところ青空を全く見ていない。
平日休みのこの日も天気予報は雨だが、それほど降らないとの予想もある。今度の土日、さらに次の土日も仕事で山へ行けないので、午後からの天候回復を期待して、雨の中家を出た。
日ノ出山山頂から青梅市方面の展望。一面の雲海の下に市街地が覗き始めた
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電車が青梅駅に着くと、外を歩く人は相変わらず傘をさしているが、山の方は青空が見えている。
古里駅から歩き出す。雨は上がったばかりのようで、走るダンプカーの車輪が巻き上げる水をよけながら丹三郎登山口に着く。登山口周辺の民家の庭は、秋の花で賑やかだった。
杉林の山中は湿気がすごく、蜘蛛の巣も繁茂している。快適ではないが、久々に吸う山の空気に体が満たされていくのを感じる。しかし20日ぶりの歩きで、ペースはなかなか上がらない。尾根に上がるとようやくムシムシ感も緩和され、初秋を迎えた低山の静けさが感じられた。
登山道には、まだ緑濃い木の葉がたくさん落ちている。見たときは、ここのところの長雨で落ちてしまったのかと思ったが、どうもこれは餌あさりの熊のしわざらしい。木の実をつけた葉がたくさん落ちていたのはそのせいのようだ。
今日は平日で人が少ないこともあり、登山口から鳴り物をザックにつけているおかげか遭遇はなかったが、意外と至近距離だったのかもしれない。9月の山はスズメバチの他、熊にも春夏以上の注意が必要である。葉の茂った樹林帯は見通しが利かず、近くにいても気づきにくいからだ。
御岳ケーブル駅からの道を合わせ、ちょっとした急登で大塚山山頂に着く。展望はないが、木の枝の間に奥多摩の山の稜線、そして大きく面積を広げた青空が覗いていた。よく来る3月か4月は芽吹きで瑞々しいこの山も、今日は深い緑に覆われた静寂の地である。
富士峰園地まで尾根道を行く。途中で尾根の背に上がると小さな墓地になっていて、頭上が開けた。天気はどんどん良くなり、御岳の山上集落や奥の院のピークが青空の下いっぱいに日差しを浴びていた。
その富士峰園地に入ると、さすがにレンゲショウマは花期のピークは過ぎていた。それでもまだ群生して咲いている部分もあり、綺麗な花が見られた。平日ではあるが、カメラを抱えた見学者もそこそこいて、日本一と言われるレンゲショウマ自生地の人気の高さを示していた。ヤマジノホトトギスもかなり咲いており、なかなかの花園である。
御岳ケーブル駅に寄っていく。展望台に立つと、はるか下に一面の雲海が広がっていた。ここの標高はせいぜい850mなので、雲海の高度は300mくらいだろうか、相当低い。下降気流が強い証拠で、天候は劇的に回復している。
今日は久しぶりに、日ノ出山まで行く。御岳の宿場街を通過し、再び林の中へ。御岳山から日ノ出山への尾根道は、北斜面の薄暗い植林の中につけられている。なだらかで整備された歩きやすい道が続くが、登山道としては単調である。
上養沢からの道が合流し、青梅市と日の出町との境を過ぎると緩やかだが長い登りになる。植林の中にも強い日差しが届き、汗が噴き出す。東雲山荘を見て、三ツ沢への下山路を分けた後ひと登りで日ノ出山山頂に到着する。
朝方の天気からは信じられないほどすっきりと晴れ上がり、爽やかな秋空が目の前いっぱいに広がっていた。埼玉から都心にかけての大パノラマを前に、あずまやのベンチを独占する。雲海は次第に薄くなって、西武ドーム球場の白い屋根や狭山湖がはっきり見えてきた。さらに都心の高層ビル群、そしてスカイツリーの細長い姿が雲の中からだんだんとにじみ出す。
振り向けば、大岳山をはじめとした奥多摩や中央線沿線の山も長い稜線を形作っていた。
やがて、女性の二人連れがやってきた。すぐ近くに住んでいて、山の方が青空なのを確認して出かけてきたそうだ。東京都心から来たというと、朝早いうちは雨だったのによく来ましたね、と言われた。
今日はまさに晴れの山を勝ち取った気分である。
山頂でゆっくりくつろぎ、三ツ沢への下山路に入る。途中のクロモ上展望台からは、スカイツリーがいくぶんはっきりと見えていた。
登山道はジグザグの単調な下りが続き、あまり登りには取りたくない道ではある。沢の音が大きくなって、ほどなく登山口に下り立つ。細い林道を歩きつるつる温泉に着いた。
日ノ出山も久しぶりだったがこの温泉はもう、14年ぶりである。前回来た2001年前後はまだ、奥多摩の日帰り温泉も数えるほどしかなかったように思う。もえぎの湯、瀬音の湯はなく、多摩源流小菅の湯は開業していたが丹波山温泉は掘削直後でプレハブ仮施設での運営だった。1994年に湧出したつるつる温泉は、今では老舗のうちである。
平日のためか中はガラガラで、のんびりとお湯に浸かった。しかしこんなにつるつるしたお湯だったとは。前回の記憶があまりない。
武蔵五日市駅に向かうシャトルバス「青春号」は、機関車の形をしている。これはかつて、五日市線の支線として運行されていた機関車をイメージしたものだと言う。昔の五日市線は、ここつるつる温泉まで通っていたのである。
1971年、国鉄の運営合理化の一環でこのスイッチバック方式の支線は廃線となり、五日市線は武蔵五日市駅が終点の駅となった。