奥多摩でも人気の高い山の一つである大岳山に、久しぶりに登る。この山の代表的なルートはもうかなり前に一通り歩いていたつもりだったが、千足からの登山道はまだだった。
この道はもともとつづら岩のクライマー向けにあった道のようで、現在は関東ふれあいの道として一般でも歩けるよう整備されている。
また、馬頭刈尾根の末端にある高明山からは軍道バス停への下山路以外にも、現在は荷田子方面に下る道が通ったようで、瀬音の湯が登山口とのことだ。この温泉もまだ入ったことがない。今回はこれらいくつかの初ものを交えて、このお馴染みの山に登ることとなる。
馬頭刈尾根から、重厚な山並みの先に富士山を望む
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行程が長いので、早起きして山手線の一番電車に乗る。まだ薄暗い武蔵五日市駅で藤倉行きのバスに乗り千足で下車。7時前から歩き始めることができた。
11月も下旬となりさすがに寒く、集落内の緩い坂を登る途中で一枚着込む。細い車道を15分ほど、登山口に着いたところで再び脱いだ。
杉の植林を歩いていく。沢の流れが見られるようになると直径1m近い落葉樹の大木があった。羽状複葉の葉だがサワグルミではない。何だろう。程なく小天狗滝、さらに登っていくと小天狗滝をもう一回り大きくした天狗滝の前に出た。流れは細いが形のよい滝である。滝の近くにも大木が一本あり、さっき見たのと種類は同じだ。周囲は植林か細い木しかなく、この2本だけが切られずに長い時間を生き延びてきたようだ。
歩きにくい急坂を登って滝の上部の沢に達し、しばらくはその流れを見ながら歩く。カエデの紅葉が残っていた。
やがて次の滝、綾滝が現れる。20年前のアルペンガイドではこの滝を「泡滝」と紹介しているが、綾滝の名前が一般的のようだ。
こちらは天狗滝よりもさらに繊細なイメージで、ほぼ垂直に近い岩壁の表面を、水がまるで絹の上を滑っていくようにゆっくりと流れ落ちている。水の流れる様(さま)に時間を感じる滝というのは意外と珍しいかもしれない。流れていく時かすかに泡立っているようにも見えるので、泡滝と呼んだのも全くわからないでもない。
登山道が支尾根に取り付くと、一転してきつい急登となる。モミの大木が目立つ。色づいた木々も少し見られるが、全体で見れば紅葉のピークは先週だったようだ。奥多摩の山はむしろ、葉が落ちて雪が降り出す前の今の時期こそ魅力を増し、静かな尾根歩きが楽しめるようにもなる。
単調な登りは長く、いいかげん飽きてきた頃ようやく分岐を示す標識が見えてきた。その背後には巨大なつづら岩が覆いかぶさるようだ。登山道はつづら岩を手前から巻くようにつけられている。数分でようやく馬頭刈尾根の稜線に達した。
晩秋の奥多摩の尾根道をのんびり歩きたいものだが、この馬頭刈尾根は岩の突き出た部分がことのほか多く、足を使わせてくれる。が整備は行き届いており、いやらしいところには鉄梯子もかかっている。「この先道悪い」との注意書きがでてくるが、これは岩の上につけられた道であることを示しているだけで、道は決して悪くない。
カエデやツツジ、コナラ、アカマツに混じってアシビの木も現れてくる。しかし杉や檜の人工林が多く、この先どこまで行っても人工林は必ず視界に入る。
富士見台からは富士山がよく見えた。過去には木が伸びて富士山が見えない時期もあり、そのため富士見台ではなく本来の「大怒田山」の呼び名に戻った、とアルペンガイドには書かれている。今は富士山方向の樹林が伐採され、再び富士見台の名前になったということになる。
富士見台から少し下ると今度は、背丈まで伸びたスズタケの道となる。昨今笹枯れが進む奥多摩の山で、これほど威勢の良いスズタケはあまり見られなくなった。
千足からの登りはモミの大木が点在したが馬頭刈尾根には太い木はなく、おそらく100~数100年くらい前に全面伐採され、その後生育してきた樹林帯であろう。馬頭刈尾根が特別というわけではなく、南関東・甲信の1000m前後の山地帯のほとんどがそういう経緯をたどってきたのではないかと思われる。
今では想像がつかないが、昔は木材の需要がそれこそ山を軒並みハゲ山にしてしまうくらい旺盛だったということだ。今の化石燃料やコンクリート、プラスチック材の消費のされ方を木に置き換えてみれば良いだろう。昔はエネルギー源とか素材といったら「木」しかなかったのである。
かつて山は人々にとって生きていくための生産の現場であり、登りやすい山であれば尾根筋でもことごとく木は伐られ燃料や木材となった。また家畜の飼料、農地用の肥料調達の場として山地を草原化する需要も大きかった。
近代以降の木材の需要増大に伴い、下部の斜面は杉や檜の植林と伐採が繰り返されたが、少し高いところの尾根筋は、その後着生した樹木が成長し森になった。文献を目にしたわけではないが、奥多摩や中央線沿線の標高1000m前後の稜線のコナラ・アカマツ林はそういう過程ででき上がってきたものなのだろう。伐られる前は豊かな巨木の森が広がっていたかもしれない。
馬頭刈尾根は人工林が多いものの、尾根筋は地味ながらも広葉樹林帯が見られる。それに樹種が多いのが特徴だ。大岳鍾乳洞分岐から先は酒造会社による樹木名を記したプレートが多くの木にかけられ、木の種類を覚えることができる。アオハダ、ヤマハンノキ、イヌブナなどおなじみの木のほかにカマツカというちょっと聞き慣れないものもある。
白倉分岐から先、木々はすっかり冬木立となるが一部、紅葉の残ったものも見られた。大岳山荘跡に向かう分岐に入り、少し進むと山荘跡を経由しないで山頂に直接登る道が分かれていた。こんな道は今まで知らなかったが、最新のGPS登山地図には描かれていたので入ってみる。
途中から手を使う急登となったが、山荘跡経由にくらべおよそ半分の時間で大岳山山頂に着いた。
山頂からの眺めは素晴らしい。富士山が正面に鎮座し、左に丹沢、右に大菩薩や奥多摩の山塊が広々と横たわっている。自分もかつてそうだったが、奥多摩の山を歩き始めて間もない登山者にとってはこの眺めは感動的である。南関東、それも東京にはこんなにたくさん山があるのか、と気づかされる。
山頂は多くの登山者でにぎわっているが、青空の下、空気も澄んでいるせいかゴミゴミしたいづらい感じはまったくない。時間の許す限りゆっくりすることにした。
下山に入る。大岳山には、三頭山や御前山のようなブナなどの大木が見られない。しかしよく見てみると山頂直下に一本、スラっとしたブナが立っていた。
岩場を慎重に下り、杉林をくぐって大岳山荘跡の前に出る。もはや営業しておらず「山荘跡」と呼ばれているのだが、三角屋根の古びた建物の煙突からは煙が出ており、中に人もいるようだ。近づかなかったので詳しくはわからないが、登山者が休憩に使っているのか。
山荘跡から馬頭刈尾根に至る道でも、細身のブナが何本か見られた。
再び馬頭刈尾根を、今度は下山路として歩く。晩秋の控えめな陽光を浴びた雑木林はほのかに赤らんでいるように見える。
つづら岩まではのんびりした尾根道だが、そこから先は小さなアップダウンが連続する。前方の見通しが開けると、916m点をはじめ馬頭刈尾根のデコデコした突起があらわになった。標高は低いながらも骨の折れそうな道である。奥多摩や大菩薩の尾根はむしろ、標高の低いほうが尾根が褶曲していて歩くのに大変だったりする。
千足へのもう1本の下山路を過ぎ、長い登り返しとなる。鶴脚山も標高は916mと標識にある。さっきの916m点のほうが鶴脚山だとの説もあるが、登山地図ではこちらの標識のあるほうをやはり鶴脚山としているようだ。振り返ると葉の落ちた木を透かして大岳山の特徴ある姿がよく見える。
鶴脚山からは大きく下る。いったん落ち着いたと思ったらさらに長い下りである。泉沢への下山路を分けると再び登りとなる。かなりバテてきて、コースタイムからも遅れるようになる。
もう1本下山路を見送り馬頭刈山に立つ。鶴脚山と同じような眺めなので先に進んでもよかったが、疲れがピークに達したまらずベンチで休憩する。馬頭刈尾根を半往復するのはやはり体力的にきつい。分岐で下山する選択もあったが、まだ尾根縦走を続ける目的がある。次の高明山(光明山)にあるというブナを見るためだ。
馬頭刈山から下る道は眺めが開け、東京西部の街並みが広く見下ろせた。
しばしの登り返しで暗い杉林の中となる。ひときわ太い杉の巨木を見ると高明山の山頂である。高明神社は麓に遷座したとのことで、山頂から少し下ったところに社跡があった。
四方が杉林で登山としては魅力の薄い山ではあるが、今日の目的はむしろこの山に来ることにあった。この標高798mの高明山から参道を少し下ったところにブナが5本ある、という文献を見てきたからだ。GPSで標高を確かめながらゆっくり下っていくと、たしかに白い樹皮の高木が伸びていた。直径は30~40cm程度でスラリとしている。太くはないが、樹高が20mくらいはあるのでそれなりの樹齢を重ねていそうだ。
奥多摩の700mの山にブナがあるとはかなり珍しい、というか他に見たことがない。江戸時代にはあったのかもしれないが、その後の伐採で巨木の森は跡形もなくなったというのが、大岳山に限らず南関東の山々の実態と思われる。神社の建つ高明山は信仰の場だったこともあり、伐られることなく保護されていたのだろうか。
それにしても、薄黒い鬱蒼とした杉林の中に白いブナが突然変異的にスックと立っていている様は異様である。この山を取り囲む杉林には、昔からあったような巨樹も見られるのだが、ほとんどが人工林だ。高明山も馬頭刈尾根のほかの山と同じく伐採され植林される対象だった。ブナは、わずかに残る杉の巨樹とともに伐採をまぬかれたのだろう。このあたりはほかに広葉樹もほとんどなく、ブナだけが明るい黄葉を空に広げていた。
同じようなブナが登山道沿いに3本あり、他に倒木が1本、さらに道からかなり離れたところに枝分かれした比較的太いものが1本、文献通り5本のブナを確認することができた。
疲れた足を引きづってやってきたかいがあった。高尾山の標高400mのブナも貴重だが、高明山のブナも一見の価値がある。
あとは本日のゴール、瀬音の湯までひたすら下るのみである。鳥居のあるところで軍道への分岐を見送りさらに南下。時計は3時を過ぎている。今日は早発ちして大正解だった。もう1本バスを遅らせていたら日のあるうちに下山できなかったかもしれない。
いったん車道を橋で横断する、長岳へは登り返しとなるがたいしたことはなかった。車の音がどんどん大きくなり、県道が見えてくる。下り立ったところは瀬音の湯の駐車場だった。満車状態で順番待ちの車もある。
温泉が混んでいたらこのまま帰ることも考えていたが、運よく早めに入場できた。トロトロしたお湯は奥多摩の温泉の中でも最高ランクに近い。檜原、あきる野、武蔵五日市というと、温泉などとは縁遠そうな素朴な土地という印象があったのだが、こんないい温泉ができていたのである。喜ぶべきである反面、どこか寂しくもある。
温泉から出ると外はすっかり暗くなっていた。増発されたバスで武蔵五日市駅へ戻る。