-雲取の10月は鍋の季節- くもとりやま(2017m) 2009年10月17日(土)曇り~18日(日)晴れ
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通算22回目の雲取山。季節を通じて登っているが、10月は意外にも今回が初めてである。 山頂付近は針葉樹の森なので、紅葉は少し高度を下げた石尾根や長沢背稜で見られる。カラマツの黄葉はまだ少し早い。シュラフが初めての友人とともに、いつもの山頂避難小屋で一泊した。
奥多摩駅から鴨沢までのバスは増発便が出た。寒さはないが青空もない。時々日が差すことがあるものの、今日土曜日は天気予報通りに、雲の多い1日になりそうだ。 今日は、夜に鍋をするつもりなので、いつもより大きめのコッヘルと野菜、肉を持ってきた。それでもテント泊のときよりはずっと荷物が軽い。 自分たちが行く前後にも、大きいザックの人が何人もいる。紅葉見頃の土日、避難小屋はどれくらい混むだろうか。 小袖乗越でいったん車道に出て、再び山道へ。緑がまだまだ濃い。樹林が切れた場所から見上げる石尾根稜線も、深緑の色が目立つ。もう1ヶ月したら茶色から灰色、そして雪が降れば白い稜線となるはずだ。 それにしても、ここは歩くたびに、右手の樹林の背が伸びている気がする。赤指尾根の稜線が、かろうじて木の枝から覗く。水場で水を補給し、さらに歩いて堂所に着く。カエデなど色づいた木が目につき始める。そして、葉がまだ緑なのに真っ赤な実をつけた木はズミだろうか。
登りがやや急になる、尾根を乗っ越し、左手に片倉谷を見下ろしながらさらに登る。七ツ石小屋への道を分けてブナ坂への巻き道を行く。 周囲はかなり色づいてはきたが、上のほうはガスが巻いている。雨が落ちてきそうな空模様だ。今年は、雨が降りはしないかと気にしながらの歩きがずいぶんあった。いやまだ今年を振り返るような時期ではない。 ブナ坂に着く。ガスが上がってきて七ツ石山を隠す。残念ながら今日のところは、石尾根自慢の展望はお預けである。 ブナ坂から先は広葉樹が意外と少なく、カラマツの紅葉もまだ。淡々と広い尾根道を登る。ヘリポートからも雲取山の姿は望めず。 奥多摩小屋の水場に着く。山頂の避難小屋近くには水がないので、ここから担ぎ上げる。 鍋用、ウィスキー水割り用と合わせて、水をかなりたくさんもっていかねばならない。2.5リットル収容のプラティバス(ビニール製の水容器)を満タンにし、ペットボトルも水を満たす。同行者の分と合わせ、4リットルくらいか。人間は一晩でずいぶん水を消費するものである。 ヨモギの頭には登らず、巻き道を行く。紅葉はこちらのほうがいい。 尾根に出て再び巻き道。富田新道との合流点から急登し、小雲取山の肩に出る。かなり冷えてきた。やはり標高2000mの地である。 ガスが濃くなり、正面に見えるはずの雲取山と避難小屋は全く見えない。こうなると、普段は気分のよい伸びやかな稜線も長く感じるものだ。小雲取山から雲取山まで、標高差80mの登りになっていることは、こういう天気でなければ、なかなか気がつかない。 突然ガスが切れ、目の前に雲取山と避難小屋が現れた。斜面にはミイラ化したマルバダケブキの群落。 最後の登りを経て、ようやく雲取山避難小屋の軒下に到着する。同行者も最後はバテたようだ。
室内にはすでに、10名くらいが到着していた。団体の学生さんもいる。この時間でこれだと、今日はかなり混雑しそうである。夏場なら、暗くなった夜8時頃でもやって来る人がいるくらいだ。 日が短い今の季節でも、5時を過ぎないと今夜の避難小屋の住人はおそらく確定しない。 しかし今の時間なら、まだスペースに余裕がある。壁際のゆったりとした場所に寝床を確保し、しばらく休息をする。 鍋は鶏肉、ホタテ、野菜一式。そして同行者の持ってきたキムチで完璧である。重たい思いをして運び上げた甲斐があった。 たらふく食べて飲んで、6時過ぎにはもう暗くなったので寝ることにする。 宿泊予定者はどんどん到着し、結局30名を越えた。今まで自分が泊まった中では最多記録である。 外はガスが充満し、トイレに行くのも恐いくらいだ。明日は天気予報通り、朝から晴れてくれるのか。 夜中11時頃、ガスの火をつけ、食事を作り出した人がいた。どうも朝だと勘違いしたらしい。 その時は起こされてしまい、迷惑を感じたのだが、避難小屋ならではのエピソードで何となく微笑ましくもある。 |