山の写真集 > 奥多摩 > 今熊山から刈寄山
  • -照葉樹林を見る山-
  • 今熊神社-今熊山-刈寄山-鳥屋切場-関場
  • 奥多摩
  • 東京都
  • 今熊山(506m), 刈寄山(687m)
  • 2018年3月25日(日)
  • 10.3km
  • 6時間10分
  • 425m(今熊山登山口-刈寄山)
  • -
  • -
  • 中央線, 五日市線, バス, 京王線
天気1

 

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2018年3月25日(日)
新宿駅 5:18
  中央線
5:55 立川駅 6:14
  五日市線
拝島駅乗換え
6:44 武蔵五日市駅 6:45
  西東京バス
6:59   今熊山登山口 7:00
7:25   今熊神社(登山口)
9:20 今熊山 9:30
11:10 刈寄山 11:30
11:40 刈寄山分岐
12:10   鳥屋切場
12:40   関場登山口 12:50
13:40   関場バス停
13:55   宮尾神社(夕焼け小焼け歌碑)
14:20 夕焼小焼バス停 14:31
  西東京バス
15:00 高尾駅 15:12
  京王線
16:03 新宿駅

 

日に日に春めいてきて、都心のソメイヨシノもほぼ満開になった。これからも暖かい日が続くようで、今年の春は何やら駆け足気味である。
先日寄った埼玉県秩父・堂上の節分草園はもうほとんど花が終わっていた。受付の人の話では、今年は雪解けが遅かったら急に暖かくなって一気に開花し、花が終わるのも例年になく早かったとのこと。
どうも季節のサイクルが今年は初めからトップギアのようである。


照葉樹の同定は難しい。アラカシは関西に多いとされるが、卵形で葉の上半分が鋸歯である特徴からそのように判断した

登山口にある今熊神社下社

今熊神社

今熊神社にあったヤツデ。海岸近くや寺社の庭木に主に植えられ、山地ではあまり見ない

ヤツデ

アオキは冬に赤い実をつける。鋸歯は大ぶりで目立つ

アオキ

アオキの葉枝のつき方は対生(左右対称)。ブナやカシなど多くの樹木は互い違いにつく互性であるのに対し、対生は案外珍しい

葉つきは対生

今熊山への見通しのよい登路にて、直径1メートル近いモミの大木を見る

見事なモミ

全縁で葉脈のほとんど見えない常緑樹。社近くなのでサカキの植樹かモチノキか

サカキかモチノキ?

イヌシデと思われる(落葉樹)

イヌシデ

今熊山山頂立つ、直径70cmほどの巨樹、ウラジロガシ、アカガシかと思われるが不明

アカガシか

カントウカンアオイは今熊~刈寄山間でよく見る

カントウカンアオイ

刈寄山に向かう稜線は左手の植林を完伐せずに、見通しだけ実現している

枝打ちのみ?


今日は今熊山から、戸倉の山を歩いてみる。取り立ててこの時期、見頃となる花もないのだが、下部の照葉樹林を覚えるのを目的に出かけた。
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照葉樹は、温帯地域を中心に生育する常緑広葉樹の一部である。葉に光沢があるものが多いのでそういう呼ばれ方をしている。特徴として、寒さによって葉を落とす必要のないことから常緑性となって1年中光合成が行われる。
葉が厚く光沢があるために塩分に耐性がある。海沿いの森林に多い。スギ林等の針葉樹林よりも酸性雨に強いこと、林内の湿度が高く、落葉期が集中しないため山火事に耐性があるなどが上げられる。
一般に山地においては、照葉樹林は他の落葉広葉樹林や針葉樹林と標高や土壌条件により棲み分けを行っている。高尾山がよい例であろう。
一見安定性のありそうな照葉樹林であるが、人間が利用のために伐採など人為的撹乱をすると、再生せずに落葉広葉樹林に遷移してしまうと言われる。コナラやアカマツなどの落葉樹(陽樹)が日当たりのよい場所に着生する勢力のほうが強いとされているからである。
その一方で、昨今の温暖化の進行は温帯林である照葉樹の勢力が広がっていくとの見方もある。管理者の高齢化により維持が放棄された人工林や里山は、次第に照葉樹に覆い尽くされていく言われる。人間の行為や気象状況によって、日本の今後の森林の勢力分布は見方が大いに分かれている。
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以上が、自分の今持っている樹林の分類としての照葉樹の知識である。今まで山を歩いていたときは、新緑や紅葉など、どうしても落葉広葉樹ばかりに目がいってしまい、照葉樹の存在を軽視しがちだった。
五十の手習いではないが、ブナの勉強をするかたわら、日本の樹木全般の生態を覚えていく必要があると思った次第である。

今熊山の登山口の標高が低いので、はじめのうちは照葉樹の林の中を登ることになる。今熊山登山口バス停から、しずかな住宅街を通り山に近づく。土の斜面にはスミレやツクシがたくさん顔を出している。フキはもうトウが立ってしまっている。ウグイスの美声が青空に染み渡るように響いた。

登山口の鳥居をくぐり、今熊神社の下社を見ていく。傍らに大きな分裂葉をつけているのはヤツデである。歩きやすい登山道に入っていくと、斜面には赤い身をつけたアオキがたくさん茂っていた。葉は鋭い鋸歯で大きく、細い主幹が緑色なのでわかりやすい。

ブナの知識を得るために色々書物をあさっているうち、日本の黎明期には稲作の始まりに合わせて照葉樹文化という歴史を経てきたことを知った(ただしその文化自体を否定する意見もある)。
いずれにしても照葉樹、いわゆる常緑広葉樹も落葉樹や針葉樹とともに日本の山を古くから支えてきた「生き証人」である。日本の大昔からの気候変動により、照葉樹と落葉樹の植生遷移は南北方向にスケールの大きな移動を続けており、山でその痕跡を観察し紐解いていくのはなかなか奥が深いテーマとなる。
現在は西日本の山を中心に、関東から南東北の低いところで照葉樹林は見られる。また新潟県を中心とした日本海側の山だと、ブナ林を構成する低潅木層にあるユキツバキ、海岸沿いにタブノキなどが見られ、基本的には日本の至る所で見られる。
ただしこの照葉樹林も他の落葉樹林といっしょで、高度経済成長期の拡大造林が盛んだった頃にことごとく伐採の憂き目にあい、寺や神社の林を除けば、少し標高のある山の中の昔の照葉樹林はスギ、ヒノキの人工林に取って代わられてしまった。中央沿線の山に登ると、標高500mより下は本来なら照葉樹林帯のエリアなのだが、ほとんどがスギ、ヒノキになっている。

山頂には今熊神社があり信仰の山の名残もあるせいか、杉ヒノキの人工林もそう目立たない。高度を上げると細身の葉の常緑樹がたくさん見られてきた。まだよく判別する力がないが、緩めのギザギザをした、細身の葉の多くはシラカシ、丸い小ぶりの葉をたくさんつけたのはヤブツバキであろう。アラカシは卵型の葉で前半分が鋸歯、アカガシは全縁である。
カシとシイの区別は、葉裏が金色を帯びているのがマテバシイなどシイの特徴らしいが、薄緑にしか見えないのも多くわかりにくい。白い花をたわわにつけたアシビも今が盛りである。

左手の眺めが開け、登山道わきに直径1m近いモミの大木が鎮座していた。眺めのいいところに立っているので、麓からもよく見えるだろう。いったん小社の立つ平坦地に出てさらに石段をひと登り、大きな建物のある今熊山山頂である。ここは3回目だが、来るたびに景色が雄大になっている。スカイツリー方面が大きく開けているが、春霞でよく見えない。
傍らのベンチで休憩する。正面の照葉樹の大木が存在感あるが何だろうか。シラカシか、葉裏が白っぽいのでウラジロガシだろうか、全く自信がない。さらに植えられたものだがモチノキやアシビが社や祠のよこに祀られてていた。他にヒサカキやアオキが供物として置かれているのもよく目にする。
日本の神社に照葉樹の祀り木はなくてはならないものだ。神の国日本に照葉樹は太古の昔から根付いてきたものだろう。

刈寄山山頂」からはあずまや越しに富士山が見られる

富士山は見えた

刈寄山山頂

刈寄山山頂

鳥屋切り場の先で、尾根道と別れ関場へ下山

関場へ下山

枝と花との間に短い葉柄あり

山麓ではアブラチャン

タチツボスミレは盛り

タチツボスミレ

中村雨紅作の童謡「夕焼け小焼け」の歌碑が宮尾神社脇に立つ

久しぶりに夕焼けの碑


今熊山を下り、稜線歩きに入る。左下方で採石工事の音がやかましいが、この場所はどうしようもない。むしろ尾根道は落葉樹を中心とした明るい雑木林で、気分のいいところだ。
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なお今までこのサイトでは、落葉広葉樹林をしばしば「自然林」という言葉で呼んでいた。自然林とは厳密に言えば昔から人の手の入っていない手つかずの森林のことであり、原生林と同義と捉えることもある。今の日本の山は、特に都市近郊の低山のほぼ全てが過去に焼畑、伐採、植林が繰り返されてきた二次林、三次林である。また山火事や台風、洪水により破壊された森もある。有史以来人の手の入っていない本当の意味での自然林は「ほとんど残っていない」と言っていい。
現在見られる、針広混合林も含めた多種多様の樹木で構成されている森は「雑木林」という呼び名で統一したい。
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尾根上の登山道を彩るのは照葉樹から落葉樹に移り、アブラチャンや芽吹きの始まったツツジも見られる。足元の日当たりの良いところにはタチツボスミレが群落をなしており、アオイスミレ、エイザンスミレも見ることができた。道が上りに転じ日が差し込みにくくなるところにはカントウカンアオイの葉がたくさん出ている。枯葉を除けると小さい地味な花が隠れていた。

採石現場の音が次第に小さくなり、低山ながら山の深さを感じて来る。幾たびか方向を変え、市道山への分岐を何度か交差するが、刈寄山へはこまかな細かなアップダウンが続き、思った以上に時間がかかる。わ走っている若い人がやけに多いと思ったら、どうやら翌週が山岳耐久レースのようたった。

眺めの開けたピークに出る。斜面のスギ林が完全に枝打ち伐採されており、主幹だけ墓標のように何百本も立っていて異様な光景だ。戸倉三山はじめこの辺りの山は最近、どこも杉ヒノキの人工林が伐採されて視界が良くなっている。同じ伐採でも、幹ごと伐っててしまうと麓への運搬にコストがかかるから、枝だけ刈ってそのまま放置か、あるいは枝だけを下ろしているのか。伐採と簡単に言うが、麓への運搬コストが問題なのである。
何れにしても、これでも山肌は日が十分に差し込むようになって明るくなったため、植生を回復させるという目的は達せられるだろう。

刈寄山のあずまやに立つと、春霞みの中でも富士山が大きく望めた。東西に細長い山頂は意外と居心地がよい。刈寄林道のほうから登ってきた人がいた。自分も一度下山にとっているが、ここが一応準一般コース扱いされるようになってからは、刈寄山も少し登りやすくなったようだ。低山の割には縦走路から外れている関係で、以前は登るのに意外と骨が折れる山だった。
なお刈寄川沿いは今、ハナネコノメが見ごろだったという。季節の進むペースが早かったにしては、山野草の開花は例年とそう違いはないようだ。

山頂にある木がリョウブなのか、ナツツバキなのか、わからないまま山頂を後にする。市道山まで縦走も考えていたが、照葉樹の判別に時間を取られ、おまけに頭も疲れてしまった。今日は鳥屋切り場から関場バス停に下ることにする。最後は伐採地を急降下して舗装車道に下った。里道を歩いて県道に出る。

山麓はもう春の陽気である。関場バス停ではバス時間が合わず、次の夕焼小焼バス停まで歩く。そのついでに、20年ぶりに宮尾神社の夕焼け小焼けの歌碑を見てきた。
早春の林道歩きや里道歩きは道端のはスミレ、ニリンソウや民家の庭先の花を見ながら歩けて楽しいが、やはり硬い路面の歩きは疲れる。結局宮尾神社に来るのだったら、鳥屋切り場で下山せず、盆前山経由で尾根伝いに宮尾神社でもよかったかもしれない。
今回の山行は初めて照葉樹林をまともに同定する機会ということになり、久しぶりに山に図鑑を持ってきて知識を総動員させたので大変充実した1日となった。そういう意味で、今まで無意識に眺めていた山の眺めが、これからまた新鮮なものとして初心に帰った山行が新たに始まるかもしれない。