~上武国境に聳える秘峰~ ちょうざわからててめーじやま(1047m) 2009年3月2日(月) 晴れ時々曇り
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ここまで随分時間を費やしてしまった。しかし入り口がわかれば、もうはっきりした登山道となる。10分と少しで祠のある坂丸峠に到着する。 群馬側の小平へ下りる道、父不見山への登路いずれもはっきりしているが、矢久峠方面は踏み跡がか細い。 とりあえず父不見山へ向かう。雪が薄く地面を覆う。背の高い樹林を透かして陽光が雪面を照らす。しかし父不見山への道は薄暗い植林の中を行く部分がほとんどだ。道そのものは変化があって楽しい。 自然林の明るい尾根に出るが、風が強く吹き、日がかげると寒さを感じる。木の向こうに両神山のゴツゴツした姿が大きい。雪を多くしたためているようだ。 植林の中に戻る。高度を上げるほどに、足元の雪は多くなっていく。しかし多くて数センチ程度だ。
登りついたところが長久保の頭(1065m)。標柱はここを「大塚」としている。両神山は残念ながら角度的に見れないが、奥武蔵・秩父の山並みが広がる。大持・小持、武甲山、丸山の盛り上がり、笠山、そしてその間によく目立って見えるのが双耳峰の二子山である。 父不見山の右奥には城峯山。頂上の電波塔、そして城峯神社の建物まで見える。県境から俯瞰する埼玉県の山々はどれもたおやかで優しい表情をしている。 父不見山へはいったん大きく下って登り返しとなる。雪がまだらについて危険な部分もある。鞍部から登りに転じると、空がどんどん大きくなる。風の舞うヤセ尾根を登って父不見山頂上へ。 北側(群馬側)は自然林を通して眺めがあるが、秩父側は植林のカーテンで展望なし。5年前に比べて、植林の背がだいぶ伸びたようだ。頂上から50mほど下れば少し眺めのいいところがあったはずなのだが、今やそこも展望の地ではなくなった。 ここまで歩き詰めだったので休憩したいが、ここで腰を下ろすのはためらわれたので、先ほどの長久保ノ頭に戻ってからにする。 長久保ノ頭に着くと、南側の尾根方向に「摩利支天」との標識が出ていたので、少し歩いてみた。かすかだが踏み跡もある。しかし植林の暗い道が続き、10分ほど歩いても展望が得られなかったので引き返す。 父不見山一帯は展望に恵まれない山である。それでも、父不見山から東側、杉ノ峠に向かう稜線を見るとは山火事の名残がまだあり、眺めのよい状態のままである、一方、長沢から往復する場合はこの長久保ノ頭以外、展望にありつけない。 休憩後坂丸峠へ下るが、途中でまたしても道を間違え、やはり一筋縄でいかない山であることを感じた。予定の時間をかなりオーバーしての坂丸峠到着。もはや矢久峠へ縦走してみる気分にはなれず、素直に長沢へ下りることにした。 しかし朝の登りの道の疑問は消えない。このまま往路を辿るのではなく、車道を横断したところのもう1本の道を下ってみた。はっきりした指導標も立っており、長沢に下山する人は迷わずここを下るだろう。 植林下のやや荒れた道を行き沢を渡る。すると朝見た廃車のところに出た。と言うことは、登りでは坂丸峠への指導標に従わず直進すべきだった、ということになる。やはり人があまり多く入らない山だから難しい。ますますもって謎の多い山、という印象を受けた。 風も弱まり、日だまりの温かみを感じながら長沢の集落に戻る。しかし花粉がものすごい。車に乗る前に、衣服とザックについた花粉を叩き落とすことを怠った為、運転中は鼻も目もひどい状態になってしまった。 堂上の節分草自生地へは、もう時間が遅くなってしまったので、もうひとつのとある自生地に寄っていくことにした。2月の暖冬の影響で、早春の花の開花が少し早まっている。節分草は2週間くらい早いそうだ。 この花を見ることは自分にとって、今年1年の山のシーズンが始まるということである。 |