~奥秩父の孤峰は遥か~
2008年6月1日(日)~2日(月)
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●鬱蒼とした樹林の頂上 和名倉山への稜線ははっきりした尾根筋で、尾根上を歩いたり、あるいは東側・西側を巻いたりする。 奥秩父の縦走路というと鬱蒼とした原生林を想像するが、ここは意外と樹林の密度は高くなく、眺めのきく場所が多い。これは過去に伐採が入れられたり、また山火事が発生したことが原因のようだ。東仙波(2003m)は片側がカヤトの原になっており、飛竜山方面の眺めがいい。 このへんから雲が空を覆い始める。青空の下の歩きは長く続けられなかった。 東仙波から方向を北に変え、樹林帯を下っていく。このコースは1900m~2000mの標高の間で小さなアップダウンを繰り返していて、きつい登り下りはほとんどない。強いてあげればここの東仙波~焼小屋ノ頭間、それと最後の八百平~千代蔵の休場間の登りくらいだ。
行き交う登山者は意外と多い。この時間で和名倉山方面からやって来る人は、早朝に将監峠を出発して往復してきたのだろうか。秩父側の二瀬や川又からのコースを登って将監峠に泊り、翌日雲取なり、丹波に下るコース設定も充実したものになりそうだ。 焼小屋ノ頭からは岩がちの道となり、展望がよい。左手に奥秩父主脈の稜線が高く、進む方向に榛名山塊や妙義山、鼻曲山の特徴ある姿が遠望される。シャクナゲもこの付近が一番多いようだ。 岩尾根を過ぎると山は深さを増し、シラビソを中心とした静かな樹林帯へと移行する。ただ、カエデなどの広葉樹も時々見られる。 30cm位の高さで残された木の切り株が、苔でびっしり覆われている、かなり昔に伐採されたものだろう。 八百平は登山ガイドでは笹原と書かれていたが笹などは見当たらず、単に樹林帯の切り開きの様相だ。この付近は少しわかりにくく、テープを頼りにして西側の暗い樹林帯にルートを見出す。
やがて川又方面に下る道を分ける。その方向にはヒルメシ尾根と書かれている。 二瀬への道を含め、秩父に下るルートは一時廃道扱いされていたが、最近になって歩いた報告をよく目にするようになった。テープもついているのでよく歩かれている証拠だろう。 少し登ると二瀬への道が分岐していた。傍らに「家族に伝えたか?」なる注意書きが張られている。遭難救助隊によるもので、メモでもいいから行き先を家族に伝えて欲しいと訴えている。さらに、「今回はしょうがないので、次回から心がけて欲しい」と、かなり皮肉めいた張り紙だ。 やや下って、ダケカンバやカラマツの芽吹きが瑞々しい千代蔵の休場だ。東側が開け、仁田小屋尾根を隔て飛竜山の山稜の眺めがいい。 ただここも写真で見ていたイメージとかなり違う。意外に狭い場所で、笹がほとんどなく樹林の背が高くなっている。ただ休憩にいい場所ではある。 千代蔵の休場から、いよいよ和名倉山山頂への最後の歩程となる。薄暗い鬱蒼とした樹林帯に入る。ここへ来てようやく奥秩父の深い森林の雰囲気となった。 倒木を乗り越え、三角点と標識のある和名倉山山頂に立つ。山の神土から3時間弱、はるばるやって来た感じだ。 鬱蒼とした樹林の中にぽっかりと切り開かれた場所で、森閑とした山深さを味わう。 帰路は来た道を忠実に戻る。岩稜にイワカガミが貼りついているのを発見したが、ガレ場の急斜面で近づくことが出来ない。近くの岩棚に上がり展望を楽しむ。 奥秩父の稜線の先、南側には黒い雲がかぶさっていた。テントに戻るまでに一回くらいは降られるかな、と思う。沢の手前の眺めのいい場所に、テントを張っている人がいた。水場が近いので好都合だろう。 山の神土に戻ってきた。ここを起点として往路3時間、復路は2時間半だった。将監小屋のテントに下りたのは4時半になっていた。何とか降られずにすんだ。 なお、三ノ瀬に早い時間に着いていれば、日帰りで和名倉山の往復は出来そうである。ただし日の長い時間に限る。 和名倉山は、電車バスで来るのなら下手したら2泊を要しそうな山だけに、車の利用価値の大きさが際立つ。今は秩父側からの道も歩かれ始めているので、なおさら秘峰の印象は薄れている。 |