~初冬に登る大展望の高峰~
タイトル
2008年11月22日(土)~23日(日)
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●パノラマの頂から小屋へ
11/22(土)瑞牆山荘~富士見平~大日小屋~大日岩~砂払ノ頭~金峰山~金峯山小屋  快晴


瑞牆山を見ながら金峯山小屋(下方)に下りる

樹林の先に大きな高い岩峰が見えてくると、シャクナゲの中の急登となる。しかし苦しい登りはそう長くはなく、先ほど見えていた岩峰のてっぺん、砂払ノ頭(2317m)に着く。

森林限界を脱し展望はいうことなしだ。南アルプスは甲府盆地の後ろに壁のように屹立している。そしてその後ろに中央アルプスも白い姿を見せている。北西側には八ヶ岳、手前に瑞牆山、小川山。

さて、ここから先は金峰山頂上まで、岩稜の歩きとなる。しかし見えている五丈石(ごじょういわ)はまだまだ高く、計算上はここからまだ250m以上の高度差を登ることになる。

岩塔をひとつ越すと南方向に富士山が現れる。もちろん御坂や大菩薩の山稜も広く横たわっている。周囲はハイマツ帯、そして足元には次第に白いものが目立ち始める。

瑞牆山と八ヶ岳
岩稜を伝い金峰山へ
富士山の大観
五丈石と南アルプス

金峯山(きんぽうさん)小屋への巻き道を分け、千代ノ吹上直下に来るあたりでは登山道は岩だらけとなる。北側斜面であるせいか、岩の表面に薄く雪が溶けずに残っており滑りやすい。
行き交う登山者も多くなる。五丈石の横を通り、石の積みあがった高台に上がると、三角点がむき出しになった金峰山頂上(2599m)である。

今まで見えていた山々に加え、甲武信岳などの奥秩父主脈が望めるようになった。さらに小川山の背後には浅間山、その隣りには湯ノ丸山あたりの上信の山であろう、いずれも白くなっている。
金峰山の頂上は360度の大パノラマ。前回来た時は8月で、晴れてはいたが大きな展望は得られなかった。今の季節は半分以上冬であり、このような時期に標高2500mを越える高峰に登ると、やはり眺めは素晴らしい。
そしてそれと引き換えにこの寒さだ。雲ひとつ無い快晴であるにもかかわらず、風が少しでも吹くと、たちまち冷たさが体の芯にまでしみわたってくる。

それでも1時間近く眺めを楽しんだ後、金峯山小屋に下るとする。北斜面のガレ場の岩の表面には、ところどころ雪や氷が付き滑りやすいが、どうにか尻もちをつくことなく小屋に着く。

金峯山小屋は15年ほど前に急逝された先代のご主人に代わって、今はその娘さん夫婦が小屋番となっている。前回8年前の8月はガラガラだったが、今日は30名ほどの宿泊となった。富士見平で金峰山行きは自分一人になったのに、いつのまにか登山者が増えていた。やはり長野県側の廻目平から登ってくる人が多そうだ。
他に、20代くらいの若いグループが意外と多く、甲武信岳への縦走をするようだ。

大きな金峰山の北斜面に小屋は位置するせいか、夕方まだ青空のある時間ですでに、小屋の外の気温は氷点下12度だった。日中は1階の炬燵でうたた寝したり、酒を飲みながら過ごす。千曲錦の熱燗がうまい。

本棚に古い山岳雑誌が並んでいたので、1987年の岳人を手に取り、写真満載のアルプス夏山特集を読む。
1987年というと自分が社会人になってまだ3年目で、当時は山には全く興味が無かった。バブル時代の始まりであり、パソコンはまだ普及前。インターネットはおろか、初代ファミコンを電話回線につないで通信を楽しんでいる時代だったと思う。もっとも山岳雑誌に紹介されている登山コースは今とほとんど変わっていない。
しかし山を取り巻く人々は、今と全く別人だ。モデルになっている女性ハイカーのソバージュのヘアスタイルが時代を感じさせる。さらに各山小屋の小屋番さんが皆若いことに驚く。太郎平小屋の五十嶋さん、双六小屋の小池さんなどまだ若者の顔立ちである。

こうしてみると、最近の小屋番の方は随分高齢の人が多くなった気がする。高齢化は何も登山者に限ったことではなく、山小屋の経営者側も同じである。
跡を継ぐ若者を探すのはそう簡単なことではないみたいだ。奥秩父の他の小屋も然り。金峯山小屋はいい跡継ぎを得られてよかったと思う。

夕食は何とチキンステーキ、それとワインがサービスで好きなだけ(ある限りだが)飲める。
寝床は8年前と変わらないふかふかの羽毛ふとんで、寒さを感じずぐっすり眠れる。建物自体は大きな造りではないが、要所要所に心遣いが感じられる、印象のよい小屋である。


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