ゴールデンウィークが終わり山も少し空くと思って、1日休みを取って遠征を計画した。
当初考えていた北東北は、週間天気予報が芳しくないので早々に諦め、ゴールデンウィーク後半に行くつもりだった西日本の山を再計画した。ゴールデンウィークの時は平日挟みでも夜行バスや宿泊先を予約するのが難しかった。また伯耆大山の混雑ぶりも相当なものだそうである。一週遅らせただけで、米子行きバスは予約もすんなり取れ、当日はガラガラだった。
初日は中国地方の最高峰・鳥取の伯耆大山、2日めは広島県北部の比婆山とした。大山は長年課題の山で、初訪の中国山地の山としては外せない。
もう一つ選ぶなら、米子起点なら蒜山かもしれないが、国の天然記念物にも指定されている比婆山のブナ純林に惹かれた。米子からレンタカーで2時間、比婆山の登山口まで頑張ることにした。
なお、ブナ林の状況については日本ブナ百名山のページに掲載している。
ダイセンキャラボクに敷かれた木道を歩いて大山山頂へ
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夜行バス「キャメル号」で金曜早朝、米子駅前に着く。今年は「大山開山1300年」ということで、建物に横断幕が下がっている。
30分後に大山登山口までの路線バスがあるが、大山へもレンタカーで行くことにした。路線バス利用だと、帰りの便が18時台と遅いからである。シーズンの土日なら他にループバスも使えるようだ。
国立公園として整備が行き届いた森の中に、大山登山口への車道が一本、伸びている。夏山登山道入口の駐車場に着くと、緑の森を前景に、もう大山の山頂部が見えた。バックは青空澄み渡り初の中国地方の山として申し分ない。
朝方は放射冷却現象で米子でも気温は一桁台だったようだが、夏山登山道入口から歩き出す時間には気温も上がり、爽やかな出だしとなった。
時折石段の現れる緩やかな登山道を行く。登山道と言うよりは森の中の参道といった雰囲気だ。途中で阿弥陀堂という、杉林に囲まれた荘厳な建物が見えたので寄っていく。
1合目の標識を見ると、周りはもうブナが中心の森になっていた。大山のブナ林は西日本最大の面積を誇る。アルペンガイドでは、下部はミズナラが中心と書かれていたが、最初からブナ林である。
登るにつれ、登山道の傾斜はどんどんきつくなっていき、ブナも多くなる。多くの人が歩くからか、登山道は土が流出しやすいようで、ところどころに流れ止めの板が埋まっている。ブナの根が浮き出ているものも多く、45度くらいに傾き、根っこの裏まで見えてしまっているブナが若葉をつけたくましく生きていた。
3合目付近は少し傾斜が緩み、休憩適地だ。ブナは地衣類を身にまとい、いかにもブナらしいなりをしている。
急登が続き、行者谷分れで元谷コースと合流する。周囲の樹林の背が低くなり始め、頭上が明るくなってきた。
左でには木の枝を透かしてもう一本の尾根と顕著なピークが見えた。三鈷峰だろうか。大山はいろいろなルートがあって、2度目の山行の時はどこを歩こうか迷いそうだ。宝珠尾根を歩いて三鈷峰に向かうユートピアのルート、文殊越、烏ヶ山のルートなどがあり、少し離れているが船上山から勝田ヶ山、甲ヶ山のコースは、もう1日歩けるのならプランに組み入れたいところである。
ただ、現在登ることのできる大山山頂の弥山に登頂できるのは今歩いている夏山登山道と元谷ルートのみだ。他のルートから縦走路が伸びているが、山頂付近の崩壊が激しく通行禁止になっている。それぞれのルートは個別に歩くしかないのが惜しい。
稜線にはクロモジやウリハダカエデに混じって、ヤマヤナギという木が多い。関東でなあまり見ない木である。
黄色いスミレはおそらくダイセンキスミレだろう。ナエバキスミレとの違いはわからない。春の花はまだ多く残りミヤマカタバミ、ショウジョウバカマ、オオタチツボスミレを見る。イワカガミは葉だけだ。
石造りの避難小屋の建つ6合目に出る。大山の北壁がここで大きく望めるようになった。背後には島根半島と湾がよく見える。
周囲はもう灌木だけになり、ブナも矮小化さしたもののみになった。岩がちの急斜面を登っていく。いっぺんでアルプス気分になる。上の方で大勢の人の声がすると思っていたら、中学校の遠足だった。
総勢203名という大集団である。平日で空いているかと思いきや、7合目あたりからはまさかの渋滞登山となる。
道が狭く、鞍部もないのでへたに追い抜けない。中学生はあたりまえだが登山靴ではなく、みな運動靴でジャージ姿である。目の前に広がる眺めに驚き「やばい、やばい」と言いながら木道を上っていく様子は見ていて面白い。最初に登った山がこんないい天気で、しかも天下の大山ならば、忘れられないいい思い出になるだろう。
8~9合目で森林限界を超え、あとは草原歩きとなる。今歩いている木道がそのまま山頂まで続いているのが見えた。
周囲はダイセンキャラボクで敷き詰められている。北アルプスならハイマツの中を歩いていくところ、ここ大山ではハイマツの代わりにダイセンキャラボクが生えている。針葉樹のイチイの亜種だそうで、葉はコメツガにも似ている。
この一帯の「ダイセンキャラボクの純林」は国の特別天然記念物に指定されている。そしてダイセンキャラボクと同じように地を這っている、ツゲのような低木はなんだろうか。
大山は登山ブームだった1970~80年代にかけて、登山者の踏みつけにより山頂付近の草原が裸地化してしまったことがあるそうだ。その後植生を再生するために登山者に「一山一石運動」(登山前に麓の石をひとつ持って山頂に置いていく運動)の協力をお願いしたり、また植樹もされたようだ。この広大なダイセンキャラボクの原も、植栽の部分があるという。
大きな避難小屋の前に出た。木道はそれを取り囲むように円周状に付けられている。小屋の反対側が弥山山頂である。
山頂からは大展望、日本海や周囲の山々の眺めがパノラマで広がる。弥山の先には三角点と剣ヶ峰へのヤセ尾根が伸びているものの通行禁止である。
山頂北面は緑が戻っているが、周辺は思った以上に崩壊が進んでいるようだ。それでも中国山地一の標高を誇るこの山はいくつもの尾根と沢を従えスケールの大きさを感じさせてくれる。
中学生の集団が避難小屋から山頂に上がってくる。集合写真を撮るようなので他の人たちはその場を譲る。
下山は石室を見ていく。大正時代、この夏山登山道が作られたときに避難用として造られたとのことで、今でも十分使えそうに見えた。石室の付近はダイセンキャラボクの海のようになっており、正体不明のイヌツゲの葉をつけた灌木と生育域を分けあっていた。
どんどん下っていくと、今度は中国人と思われる大勢のツアー登山者がやってきた。みな軽装で元気よく登っている。しかしさすが百名山、ゴールデンウィーク明けの平日にもかかわらずこの人出である。
登山者以外にも、登山道整備のボランティアの方や、歩荷さんともすれ違う。避難小屋で売っている飲み物などを担ぎ上げているのだろう。ヘリに頼っていないのは、山頂部が崩れやすくヘリポートが作れないのか、敢えて昔ながらのスタイルを貫いているのだろうか。
頂上の避難小屋は鳥取県による運営によるものらしいが、この大山は地元のボランティアの方が支えている面が大きいように思う。平日に登山すると、山とその土地の人々との関わり様を目にする機会が多い。
6合目の下、行者谷分れで元谷ルートに入る。いきなりの急降下だがこちらもブナが多い。宝珠尾根から三鈷峰への稜線が再び正面に現れる。
足元には双葉のブナ(ブナの赤ちゃん)が芽を出していた。注意してみていると、そこらじゅうにたくさん出ている。ブナだけではなくミズナラ、ナナカマド、オオカメノキ、シデなど様々な樹木が深い森を形成している。
元谷入口で河原に出る。ここからは大山の北壁が圧巻のパノラマで眺められた。河原を渡った先は管理専用の林道が上がってきていて。車も停まっていた。
登山道は標高を落として、大山寺まで続く。宝珠尾根への分岐付近でブナが再び多くなる。双葉も多いが1年生ブナだけではない、樹高1m以下の、さまざまな背丈の子どもブナがたくさん育っていた。ここ一帯は毎年のようにブナが結実、実生し発芽を果たしているように思える。大山のブナは世代更新が盛んなのかもしれない。
森を抜けると大神山神社の境内の前に出た。ここで登山道は終わりのようである。観光客もちらほら見られるようになる。石畳の道を下って大山寺に着く。奈良時代に開山された歴史ある山陰の名刹とされている。平日の今日も多くの参拝客がやって来ていた。樹林の上には大山の北壁が輝いていた。
参道には小さな宿場街があり、旅館入口の「本日のお客様」掲示に中学校の名前が書かれていた。おそらくさっきの遠足の中学生が泊まる旅館なのだろう。と思っていたら、夏山登山道を下ってきた見覚えのあるジャージ姿がやってきた。
夏山登山道入口に戻る。噂にたがわぬスケールを感じる存在感の大きな山だった。見てくれだけでなく、万人の心に留まる名山である。だてに日本百名山ではない。
こんな山が日本の西のほうにあるのだ。15年前の九州の霧島に登ってからは、東北や新潟など北の山にずっと意識が向かっていたが、もっと日本の各地の山をバランスよく登らねばとの感を強くした。
この日はレンタカーで米子駅前に戻り、ビジネスホテルで宿泊する。次の日は早出して広島に向かう。