初の中国山地山行。前日の伯耆大山に続いて、今日は広島県庄原市の比婆山(ひばやま)連峰を縦走する。
イザナミノミコトは日本神話上の最古の女神である。夫のイザナギとともに日本国土を創造したという。この女神の陵墓がここ比婆山にあると古事記に書かれているそうだ(ただし別の場所との説もある)。
そういう意味で比婆山は、日本の歴史の中でも最も古い時代から認識されてきた山ということになる。他にも歴史上の人物の墓がある山とか、武将が築城した山などいろいろ登ってきたが、比婆山の歴史の深さは群を抜いているのである。
その墓(御陵)はブナに囲まれているという。「比婆山のブナ純林」は国の天然記念物に指定されている。そのような指定を受けたブナ林は比婆山と大阪の和泉葛城山、北海道ブナ北限地・歌才の3つしかない。ブナを求める山行のプランとして比婆山はまさにジャイアント級であり、ここ中国地方まで来たなら登らないわけにはいかない。
なお、比婆山のブナ林の詳細については、日本ブナ百名山のページに掲載している。
ブナに囲まれたイザナミの陵墓(御陵)
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前日宿泊地の米子から早起きしてレンタカーで2時間、登山口のある広島県民の森には朝7時前に着いた。
広島県民の森は広いキャンプ場と宿泊施設が整い、冬はスキー場もオープンする。手軽に自然に触れることのできるうらやましい場所だ。
比婆山連峰は他に、西側の比婆山古道や吾妻山を基点とするルートもある。今日は県民の森を馬蹄形に取り囲む山々を縦走していく。なお、御陵のあるピークを便宜上比婆山と呼んでいるが、比婆山という独立したピークはなく、このあたり一帯の山稜を比婆山と総称しているようである。
イザナミの陵墓、ブナ純林と見所の多い比婆山で、もうひとつ一般に知られていることに、謎の生物「ヒバゴン」騒動がある。1970年代、比婆山山麓の西城町で全身毛むくじゃらの怪物が相次いで目撃された。これは全国的なニュースになり、自分も子どもながらに何となく記憶がある。
今は目撃例もなくなり、ヒバゴンは土地のゆるキャラとなってその卵は観光まんじゅうとして販売されているようだ(雑誌「岳人」2018年3月号より)。
神話の山、謎の怪物の山と、比婆山には時代を越えての神秘性が伴うが、目の前に広がる新緑の森からはそんな謎めいたイメージはみじんも感じられない。
林道を少し歩いて毛無山の登山口に入る。連峰縦走はさらに東の牛曳山から始まるが、時間や体力を考え少し短縮した。
ミズナラが中心の明るい樹林帯を緩く登っていく。トチノキ、イタヤカエデも見られる。足元にはスミレそしてユキザサが多い。ユキザサは日本海側の山で主に見られるが、実際は太平洋側でも目にすることはある。「ユキ」は雪のように白い花という意味で名前がつけられたようだ。
ブナが現れた。この付近のブナは樹皮が素直に白いものが多い。しばらく登っていくと巨樹も目にする。目線の位置にはユズリハが密集している。気持ちのよい森林浴が続いた。
出雲峠への分岐があり、その少し先でもまた分岐。この山稜は誰でも登りやすいよう、各自の体力に合わせたコース作りを行っているためか、ピークを巻く道や枝道が多く存在する。ルートをちゃんと下調べしておかないと、迷ってしまいそうだ。
毛無山のピークらしきものが見えてきた。林床にキクと思われる白花を目にする。県民の森のブログを見たところ、ミヤマヨメナというようだ。この時期にキク科の花が見られるとは、かなり珍しい。鋭い鋸歯の葉が印象的である。
周囲に木が少なくなり、明るくなった斜面を回り込むように歩くと毛無山の山頂となる。360度開けた草地の広い頂で開放感があるが、広すぎるため展望は端に行かないと見づらい。それでも昨日の伯耆大山はシルエットでよく見え、これから歩く比婆山連峰も新緑の姿で迎えてくれた。
朝方は曇りがちだった空も次第に青い面積が増えてきた、今日も暑くなりそうである。
出雲峠へ向かう。縦走路に入ると樹林帯となった。ブナが中心の雑木林が続く。ユキザサやイワカガミが咲き続いている。ききょうヶ丘で再び展望の地に立ち、標高を落としていく。
やがて右側がヒノキの植林帯となる。この豊かな広葉樹の森に突然の人工林は少し面食らう。ズミの大木が立つ出雲峠に下りる。広島県の山を歩いているつもりでいたので出雲峠とは不思議だと思ったが、毛無山から出雲峠、次の烏帽子山にかけての稜線は島根県との県境であった。
イズモという名はイザナミが語源、という説もあるらしい。イザナミもこの峠を越えて比婆山に葬られたのだろうか。
峠からは先ほどの植林の中の登りとなる。一転して光が閉ざされた世界に入り込み、ひんやりとした空気があたりを支配する。しかしこの植林帯にはブナの巨樹が点々と生育していた。
やがて沢筋となり広葉樹の森が復活、再び瑞々しいオールグリーンの中を登り返していく。尾根になるとブナが急に多くなった。ミズナラの葉も青空に輝いている。
周囲はやがて低潅木となり、ミツバツツジの咲く開けた尾根を進むと広い場所に出た。表示はないがここが烏帽子山の山頂のようである。出雲烏帽子山とも呼ばれている。目の前には御陵(比婆山)のゆったりとした姿が近い。
人工的に刻んだといわれる不思議な巨石、条溝石がある。石に刻まれた溝は御陵を向いており、山頂を示す標識の代わりや、古代信仰の名残と言われる。平頂を後にすると、すぐに烏帽子山の山頂表示があった。
烏帽子山を下ったところの鞍部に「ブナ林を経て管理センター2.8km」の標識がある。この分岐に入ってみる。するとほぼブナの純林が続いていた。稚樹や双葉のブナの子どももたくさん見られる。国の天然記念物指定のブナ純林とはこういうものを言うのか、納得するものがあった。ここを「ブナ平」と呼んでいる山行記録もあるので、ここでもその名前を使う。
ブナに魅せられているうち、県民の森(公園センター)への下り口まで来てしまった。ちょうと御陵の真東に位置する。下るわけにはいかないので来た道を戻る。
鞍部からあらためて御陵への登りに入る。ここもブナの巨樹が連続して出てくる。比婆山連峰はやはりこの近辺にブナが集中している。平坦になって、御陵までもう少しというところで右への分岐に入る。道なりに進むと産子の岩戸、太鼓岩という巨岩の横を通るコースになっていた。
半周して稜線に戻ると、いよいよ御陵(比婆山の山頂)となる。一段高くなったところに陵墓があって、それを数本のブナが取り囲んでいた。伝説の女神が本当にここ眠っているのか、不思議になる。
御陵は展望もなく、今まで越えてきた開放的な山頂とは一転して、霊気さえ感じる荘厳な雰囲気に満ちていた。
御陵から少し南下するとイチイの古木が立っていた。御陵付近にはブナとともにこのイチイも90本以上存在するそうだ。地元の人にとってはこのイチイ群も比婆山を特徴づけるものとし、ブナ純林と合わせて国の天然記念物に指定する動きもあったようだ。結局国指定となったのはブナ林だけだったため、あらためてイチイは町(今は庄原市)指定の天然記念物としたという経緯がある。
今はこの古木もかなり年老いてきている。保護のため周りにはロープが張り巡らされ、近づけないようになっていた。
さらに下り、池の段を目指す。こちらから登ってくる登山者と何組かすれ違う。イワカガミを見ながら雑木林の中を下っていくと「比婆山ブナ純林」の天然記念物の表示板があった。ただこの看板の周りはたまたまだろうが純林ではない。比婆山のブナ純林は先ほどのブナ平周辺が中心のようである。
越原越から登り返しとなる。頭上が開けてくると再び樹林がなくなり、池の段のピークに出た。比婆山連峰は基本は深い樹林に覆われながら、ピークはどこも開けた草地である。森を楽しみながら随所で展望も得られる、ハイキングとしては申し分のない山である。
しかもここは文字通り360度の展望だ。烏帽子山から御陵、さらにはその西方に吾妻山も見える。これから登る立烏帽子山は綺麗な緑の三角錐だ。池の段の本当のピークはここからさらに稜線を5分ほど歩いたところにあり、ここからも見えるが、この分岐点で休憩する人は誰も行かないようである。山名標識も立っているのでここが池の段とされているのだろう。
立烏帽子山との鞍部に下って登り返し。ちょっとした岩尾根を越える。ミツバツツジ咲く立烏帽子山山頂からの眺めは乏しいが、一段下の斜面からブナが立ち、林冠が見える。花が少し見られた。
ブナ平のブナ [拡大]
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山頂から下ると車道が上ってきていて、駐車場とトイレがあった。ここに車を停め立烏帽子山から池の段、御陵を回る人が多いようだ。お手軽で距離的には少し物足りないかもしれないが、それだけでも森林浴と展望を十分楽しめるコースである。
予定のピークは全て踏んだ。あとは公園センターまで一本道を下るのみである。
紫色のスミレがたくさん咲いていた。毛無山ほかでも見ていたが、マキノスミレによく似ている。西日本ではマキノスミレの変種として、シハイスミレが咲くというのでそれだとすると、おそらく初めて見たことになる。やはり西日本に来ると初めて見るものが多い。
センターへはなお長い行程になるが、始めのうちはブナの純林だった。ブナ平でみた圧巻のブナ林の流れがここまで続いている。気を取られているうちに正規のルートをいつの間にか外れ、気がついたら林道を歩いていた。ここは一本道と思っていたが、地図をよく見たらやはりたくさんの枝道が分岐している。
少しだけ遠回りになったが無事、県民の森に帰還できた。
今日は最後の最後までブナ林の中だった。公園センターで入浴したあと、3時間近くかけて米子へ戻る。
初の西日本山行は夜行バス往復で2つの山を登っただけだったが、実に充実した2日間だった。西日本には大山や比婆山以外にも氷ノ山、葛城山などブナの名山がまだまだある。四国の石鎚山もある。
この土地に次にこれるのはいつの日か。時間と費用が許せばまた来たい。これからの遠征の山選びに西日本が加わってしまった。