翌朝、いよいよ錫ヶ岳への縦走である。他の宿泊者はみな、ゆっくりの出発のようだ。自分だけ朝4時30分、避難小屋を出る。
遠くに錫ヶ岳を見ながら、笹の海を進む
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15分ほどの登りで尾根に上がる。奥白根山と錫ヶ岳を結ぶので白錫尾根と呼ぶ。錫ヶ岳は奥白根山と比べてあまり名を知られてはいないものの、それだけこの山塊の中では存在感のある大きな山である。
前白根山への道を背に、南下を始める。地震観測所の立つ草原で日の出を見る。男体山のシルエットが際立ち、その横に中禅寺湖が大きい。反対側にはダケカンバ越しに奥白根山が赤みを帯びていた。
緩やかに上り下りを繰り返すと展望のすばらしい岩稜となり、白根隠山山頂に着く。何と言っても奥白根山がすごい迫力で迫ってきて圧倒されるが、この白根隠山も大きい。日光市街地から見るとこの山が奥白根山をすっぽりと隠しているのだろう。
白根隠山の先、小さな岩峰を越えると足元の悪いガレ場の下りとなった。慎重に下ると笹の稜線に変わる。登山道といっていいのはこのあたりまでだった。膝くらいの笹に覆われた細い踏み跡を追っていく。左下の30mくらい下がったところにも一本の踏み跡が平行して伸びていて、そこを鹿が駆け抜けていった。
笹の丈は膝程度だが、時間が早いせいか朝露でズボンの裾がたちまちのうちにビショビショになった。スパッツをつけようと思いサブザックの中を探すがない。どうも避難小屋に忘れてきたようだ。そのうち腰あたりまで濡れてきたので、レインウエアの下を履くことにした。濡れ具合がひどくスパッツは役に立たないので、結果オーライである。
進む方向には、白檜岳と思われるピークと、その奥に錫ヶ岳がようやく視界に捉えられた。笹が深くなり地面が見えない。岩や笹そのものにつけられたピンク色のテープが頼りである。
基本は尾根通しなので方向を失うことはないのだが、注意していないと動物がつくった獣道のようなトレースに引き込まれてしまい、正規の踏み跡に復活するのに骨が折れる。
笹原の稜線にはところどころに鹿のヌタ場なのだろうか、小さな湿地帯がある。昨日の奥白根山とは対照的に、山がどんどん深くなっていく気がする。一旦笹の海を脱し、西側のシャクナゲやダケカンバの中にトレースがつけられていたのでしばらくの間それを辿る。シャクナゲはまだ開花の時期には早いのか、ほとんど花をつけていない。
やがて滑り落ちそうなザレ場を通過。白檜岳山頂は笹とシャクナゲの中の平坦地だった。腰を下ろすところもあるのでしばらく休憩する。まだ先は長い。
方向はやや西に折れ、笹原はついえた。2296m点前後は一転、シラビソの原生林が続く。林床にはミツバオウレンがいたるところに群落を作っている。シラビソだけでなく、黒い樹皮のものはコメツガだろうか。いいかげん、シラビソ・コメツガ・モミの区別をつけられるようにしないといけない。
再び深くなった笹の中を急降下。次に明るいところに出たのが錫の水場。ようやくの到達である。ここはテントが2,3張れるスペースがあり、水場も1分のところにあるらしい。
当初は避難小屋泊でなくここで幕営することも考えた。しかしここまでの大変さを考えたら、小屋泊でよかったかもしれない。重い荷物を背負ってこの笹とシャクナゲの海を歩くのは、相当の体力が必要である。
ここまであまり水を消費していないので、水場へは寄らずに再び歩き出す。錫ヶ岳への最後の登りである。踏み跡は薄いとの話だったが、ここまでの稜線の状況とそう変わらない。木の間から錫ヶ岳の山頂部が大きく、近くなったことを実感する。シャクナゲやシラビソの樹林帯を抜けると周囲は開け、笹原の一直線の急登となる。
最後の力を振り絞って登りきり、薄暗い樹林帯をしばらく行くと、待望の錫ヶ岳山頂である。
三角点付近は樹林の中だが、男体山や中禅寺湖がよく見える展望台もある。人どころか動物の気配も感じない、静寂を絵に描いたような山である。のんびり腰を下ろしてラーメンを作って食べる。
白錫尾根はこれから先、足尾の奥深い山の中を縦断して国境平、さらには皇海山、袈裟丸山へ至る大縦走コースに接続している。2000年版アルペンガイドでも紹介されているが、グレードは奥穂高~西穂高のと同等の一般ルート最高レベルである。笹やシャクナゲの密度はさらに濃くなり、ジャングル状態になるようだ。
自分はもちろんここで引き返す。とにかく関東百の最大の難物をクリアしたことで大満足である。
避難小屋へ戻る行程。実はこのルートは、復路の方が時間がかかるらしい。錫の水場からの登り返しが長いことによる。
幸いここまで、予定より若干早いペースで歩いており、笹被りのルートでありながら転倒やつまずきも全くなく、すこぶる順調に来ている。時間に余裕はあるので、じっくりと無事に戻ることに努める。
錫ヶ岳から下っていくと、意外にも5名ほどのグループが登ってきた。今日初めて会う登山者だ。丸沼高原の大広河原から登ってきたという。五色沼からの縦走でないので、まだ元気に見える。
やはり天気がよければこの山にも登る人はいるんだ、と思っていたらさらにまた数名のグループが。菅沼から1日で来たと言う。健脚さんは早出の日帰りが可能なようでうらやましい。その後も単独の女性、夫婦と見られる男女と、意外にも多くの人が白錫尾根を歩いてくる。
白檜岳手前の深い笹の登りも乗り切り、あと一息。右手の深い谷を見下ろすと、新緑のダケカンバが明るく輝いていた。ダケカンバは比較的標高の高いところに位置している。いつもはブナやカエデの新緑に合わせて登る山を選ぶことが多く、ダケカンバの新緑の時期に山に登っていることは今まであまりなかった。紅葉の時期も同様で、カエデがきれいに色づくときはたいていダケカンバは落葉している。白根隠山から下ったところにあるダケカンバ林もすごくきれいだった。
分岐から五色沼避難小屋に下る。無事に戻ってこれた。小屋の中はすでにもぬけのから。外は今日の奥白根山登山者が行き交っていた。
荷物を整理して小屋を後にする。五色沼から弥陀ヶ池までの登りを最後の力を振り絞って越え、菅沼へ下る。今日は昨日ほどのいい天気ではないので、人出もそう多くない。静かな山になっていた。
菅沼登山口付近も今日は閑散としている。かなり腹が減っていたので、ドライブインですいとんを食べてから帰路に着く。車を運転し始めると雨が降ってきた。道中降られずラッキーだった。
錫ヶ岳を終えたことで、残る関東百山は6座となった。妙義山が残っているが、もう重い荷物で行く山はない。再来年までには何とか達成したいものだ。