おぜがはらからしぶつさん(2228m) 2009年9月5日(土)~6日(日) 鳩待峠-アヤメ平-尾瀬ヶ原-山ノ鼻-至仏山 |
9月最初の土日は、どこもいい天気になりそうだ。テント泊もよさそう。 今年こそは行こうと思っていた尾瀬に足が向かった。 自分はあまのじゃくなところがあり、大勢の人が行く富士山や尾瀬は、今までどうしても行く気になれなかった。 今年の夏は、天候さえ安定していれば剱岳も考えていたのだが、ふって湧いた剱岳ブームが水を差してしまった。
けれど、よく行く上越付近の山を調べたりしていると、尾瀬を登山の対象として考えないわけにはいかなくなる。群馬と会津(福島)の山の接点であり、奥日光(栃木)とも縦走路でつながっている。さらに北端は新潟県境であり、魅力的な山の多い4県をまたぐ山域ということで地理的にはよだれのでる所である。 やはり問題は混みあうこと。9月初旬は尾瀬が(登山シーズンとしては)最も静かな時期らしい。夏の花が終わり紅葉もまだ、という段階。でもこれは本州の他の山域にも言えることで、別に尾瀬だけが静かというわけではないだろう。 前置きはこのくらいにして、まず尾瀬に行くならここ、と決めていたコースを計画した。すなわち、鳩待峠→アヤメ平→尾瀬ヶ原→至仏山→笠ヶ岳→湯ノ小屋という縦走である。山ノ鼻で一泊すればそうきついプランではないだろう。 テントを担いで高崎線、上越線と乗り継いだ。
沼田駅からバスで延々2時間。戸倉(鳩待峠バス連絡所)でシャトルバスに乗り換える。 バス代だけで片道2500円かかるとは思わなかった。東京からの電車賃(在来線鈍行)と合わせれば、往復10000円の交通費となる。尾瀬は遠く、(費用も)高い。 鳩待峠に着く。タクシーの他、観光バスが何台も停まっている。マイカーはまだ規制期間なので入って来れない。 人もそこそこ行き交う。しかしやはり夏山の賑わいは終わったようで、喧騒はない。樹林の上に至仏山の大きな山体が見える。意外と近いところにある。 ここから直接山ノ鼻に行くことも出来るが、標高200m近く下るだけになる。やはり最初は登りで始めたい。樹林帯に入り、まずは横田代を目指す。 樹林帯の緩い登り。木道と普通の道と半々くらいだ。他の登山者は、だいぶ先のほうに一人だけ。針葉樹の割合が増えてくると周囲はさらに静寂に包まれる感じがする。 あたりが開けると横田代。一帯は傾斜草原地になっている。もうオレンジ色の草紅葉が始まっている。尾瀬はこんなに早く色づくのか。色付きの正体を見ると、花を落としたキンコウカである。一部黄色の花を残しているのもあるが、茎の部分は早くにオレンジ色になるようだ。 横田代からこの先アヤメ平までの草原地帯はこのキンコウカの群落が至るところにあり、色づきも早いようだ。 振り返ると至仏山の優しげな山容が望める。至仏山をバックに横田代の草紅葉、早くも尾瀬のビューポイントを見つけてしまった印象である。
中原山三角点(1968m)を過ぎて、前方の視界も開けてくる。燧ヶ岳が大きい。奥日光の山並みは残念ながら雲の中。 広々としたアヤメ平に着く。ここは昭和30年代の尾瀬ブームのとき、ハイカーによって踏み荒らされてしまった場所らしい。今は東京電力や地元山岳会の努力により、植生の復元が図られつつある。 自分が生まれた頃の尾瀬も大賑わいだったらしい。「夏が来れば思い出す、はるかな尾瀬」の歌は小学校の音楽の授業で習った。何となく懐古的な思いにかられる。 ところで、今はこの歌、小学校で歌われているのだろうか。 横田代と同様、アヤメ平にはエゾリンドウやノアザミ、イワショウブなど秋の花がまだまだいっぱい咲いている。 やや下って富士見平。小さな沼があり、ここから尾瀬ヶ原への下りが始まる。 再び樹林帯の道。ぬかるみや、石の多い道を緩く下っていく。アヤメ平までは木道ばかり歩いてきたが、少し登山道らしくなった。標高差400mくらい落とすので、それなりの距離はある。右手から沢の音が聞こえてきたあたりが長沢ノ頭だろうか。 いくぶん急な下りを経て、ブナ林の落ち着いた道となる。木の橋で沢を渡るあたりでヒヨドリソウにアサギマダラが止まっているのを見た。竜宮まで0.8kmの標識。いよいよ尾瀬ヶ原の一角に出るところまで来た。 樹林が途切れ、前方に広い草原。サワギキョウやトリカブトなどを見ながら木道を進み、竜宮十字路に着く。右に燧ヶ岳、左に至仏山。あたりは一面の草原。 驚いたのは、草紅葉がかなり進んでいることだった。横田代と違って、このあたりはシダ植物やナナカマドが赤くなっている。シダ植物はヤマドリゼンマイらしい。湖沼のヒツジグサの一枚葉も黄色になっているものも多い。 |