9月中旬になり、高山植物も姿を消してきた。しかし平標山に登れば、元が花の山だから咲き残りがたくさん見られるかもしれない。
暗いうちに東京を出て、早朝からいつもの周回コースを歩くことにした。
平標山から仙ノ倉山へ、眺望満点の登山道 [拡大 ]
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関越トンネルをくぐって国道17号を走る。久しぶりの新潟の風景だ。元橋の平標山駐車場には6時過ぎに着くが、200台くらい停められそうな駐車場はすでに6,7割がた埋まっていた。皆早起き、早着きである。
今日は松手山コースを登る。登りにとるのは17年前、2004年6月の初登以来だ。その時は、初めて登った新潟の山ということで、日本にはこんなに瑞々しい自然豊かな山があるのかと、感激したのを覚えている。眺望のすばらしさも印象的だった。新潟の山にしょっちゅう通うようになった、きっかけの山である。
その後は逆コースや谷川岳からの主脈縦走、三国山からの縦走などで平標山には5度登ってきた。
駐車場から川を橋で渡り、車道を少し歩いて登山口へ。こんな登山口だったか、あまり記憶がない。9月の、木々の緑がくすんだ季節は初めてなので、景観が変わっていてそう思えるのかもしれない。
松手山コースは、樹林帯の急登で始まる。これはよく覚えている。ここはヒルが出ると聞いていて、前を歩く登山者からも、ヒルのことを話しているのが聞こえてきた。自分と同じ時間に駐車場に着いた人がけっこういて、そのせいか前後を歩く登山者が多い。
大きな段差もある暗い樹林帯の急な登りが続く。時々地面や自分の靴、足元を見てヒルがいないかチェックする。
頭上が開けて、背後の山が見える。かなり登ったと思ったがまだ2合目だった。
以後、樹林帯と露岩地を繰り返しながら急登をこなしていく。鉄塔のある4合目を過ぎると、眺めの開けた斜面を歩く時間が増えてくる。どうやらヒルには出会わなくて済みそう。
ブナは低木化し、ナナカマドやオオカメノキは早くも、それぞれ赤い実と赤い葉をつけていた。
遠くに青空も見られるものの、進む方向は鉛色の雲で占められている。今日は日本海側から晴れのエリアが広がる予報で、終日快晴の初秋の山を期待していたが、ちょっと予定と違う。9月の快晴の天気予報は意外と大外れするのだ。
灌木帯の歩きとなり、進行方向にはこれから歩く尾根筋が見えるようになる。そして振り返ると苗場山の平らな頂、さらに視線を下に向けると、自分の登ってきた道が手に取るようにわかる。平標山ならではの眺めである。
松手山で少し休憩。周囲を見ると、草付の斜面は黄色味を帯び、低木は早くも色づき始めていた。
9月と言ってもまだ中旬。標高1600m程度でこれだけ色づいているとは思わなかった。ここ数週間、涼しい日が続いていたから山の上はかなり冷え込んでいたのだろう。北海道の大雪山系の紅葉便りも、今年はずいぶん前倒しで届いている。
9月でもこの山はやはり、花が多い。ツリガネニンジン、ヤマハハコ、ウメバチソウ、エゾリンドウ。シラタマノキの白い実があった。アカモノに比べると花は目立たなくて見逃してしまうが、ここにもあるのだとわかった。
松手山から先は展望満点の尾根道。右側の大きく開けた方向、中央に見える2つの頂は何だろう。ここからは北の山が見えるような印象があるが、実際は南方向、関東地方の眺めである。榛名山の二ツ岳かもしれない。
花は増え、イワショウブやハクサンフウロも見られる。ミヤマ(ジョウシュウ?)アズマギクも。
平標山ならではの、ワクワクするような明朗闊達な尾根道。しかし山頂まで、標高差はまだ300m以上ある。さすがにくたびれてきた。17年前のような軽快な登りにはやっぱりならない。
7合目、8合目と過ぎ、道は右に大きく曲がる。木の階段を登ってようやく9合目。平標山のまだなお高い頂が、正面に待ち構えている。
力を振り絞って、最後のひと登り。多くの人で賑わう平標山山頂に到着する。谷川岳方面の眺めが一気に開けた。向こうの方は青空のようだ。
こっちはいまだ鉛色の頭上で、青空は斜め上方向である。お日様の光も届いていない。しかしこれまでが日照りの道だったとしたら、暑さでへばっていたかもしれない。
仙ノ倉山を往復する体力がもうほとんど残っていないのだが、ここまで登ったら往復しないといけないような強迫観念にとらわれてしまう。せっかく登ってきたのに、また木の階段道を下る。イワインチンが一株、そしてハクサンイチゲが咲き残っていた。
ベンチのある鞍部から先は、ゆったりとした登り傾向となる。登山道の両側は大きく開け、緑豊かな山上湿原、チシマザサ、灌木・ハイマツ帯がどこまでも続いている。夏は高山植物の宝庫で、秋口の今日は灌木がかなり色づいている。
上越国境や越後、奥日光などの山がずらっと見える。空が鉛色である以外は、完璧な登山道といっていい。ハイマツの海に、トリカブトの青い花があちこち顔を出している。
緩いピークをいくつか越えていくと、再び木の階段となり、ひと登りで仙ノ倉山山頂となる。谷川岳がさらに大きく見えるようになる。
山頂からもう少し先に進み、主脈縦走路がよく見えるところまで行く。いつ見ても息をのむ、ダイナミックな稜線があらわとなる。
その稜線を登ってくる人が数人。縦走してきた人だ。いずれも日帰り装備あるいはトレラン姿である。今ここに着くというのは、おそらく夜中か、まだ日の出前に出発してきたのだろう。
自分も今まで2回、避難小屋泊まりでこのダイナミックな縦走路を歩いたが、またここを歩くことはできるだろうか。この胸のすく眺めを見ると再挑戦したくなる。
いつまでも見ていると目の毒になるので、仙ノ倉山山頂に戻る。
休憩ののち、来た道を引き返す。いつしかあちこちから雲が湧き立ってきて、平標山やその手前の広大な笹の原にも霧が被さる。風が適度に吹いているので、真っ白になってしまうことはない。
鞍部からは、今は平標山に登り返す道しかないのだが、以前は山頂を巻いて平標山の家方面へ下れる登山道があった。自分も一度一度歩いたことがあり、今もかすかにその踏み跡はついているが基本的には歩けない。今日は気合で平標山に登り返す。
山頂はガスに包まれる時間もあって、そういうときは思いのほか涼しく、肌寒ささえ感じた。平標山の家に下る。
山頂からすでに建物は見えており、距離感はつかみやすいのだが、何しろずっと階段なので早足になってしまい、かえってペースを乱しやすい。
高度を落とすと、日差しも少し復活する。斜面の草紅葉は、もうかなりいい色になっていた。
平標山の家にはテントが数張り、周辺も登山者で賑わっていた。平標山も、仙ノ倉山でも、今日は多くの登山者を見ることになり、何だかコロナ前の山に来ているようだった。マスクをしている人もわずか。
今年は感染爆発以降、新潟の山には来ていなかった。登山者が皆表情豊かで、伸び伸びとしている雰囲気の山は久しぶりのような気がする。
北アルプスも八ヶ岳も、コロナ禍の程度は東京周辺ほどではないにせよ、どこかしらピリピリとした空気が周辺に漂っていたように思う。
山の家からは、平元新道のブナ林を下っていく。「この近くで熊が目撃されました」の看板の、「熊」の字がものすごく大きく書かれていて、インパクトがある。これなら本当に熊が出そうな気にさせる。
よせばいいのに、今日は時々、17年前に歩いた時のコースタイムと比較しながら歩いている。松手山コースの登りで10分、平標山~仙ノ倉山間で5分くらい時間がかかっていた。この平元新道の下りも、10分近く遅れた。
40代の自分と比較するのは意味がないのはわかっているが、どうして歳をとると歩くスピードが遅くなるのか、原因をつかんでおきたくもある。原因がわかれば、それを補強するための手段を考えたい。
自分の場合は登りも下りも、そして平地歩きも40代の時に比べ10分の1くらい落ちているようだ。
歩きが遅くなった一番の原因は、足、特に膝小僧周りの筋肉が落ちていることだと思っている。膝を一見して、すぐに見てわかるのだ。そのために最近はスクワットなどをしている。
年相応ということで、歩くのが遅くなったことを受け入れればいいのだが、自分の場合はまだ諦めが悪く、なんとか過去を取り戻そうとしている。そのため歩きそのものに余裕がなくなっているのも事実だ。
特にこういう下りは、登り以上につらく感じることが多い。登山という行為に、時々苦痛を感じるようになった昨今である。
ヘタな怪我などないようにしたいものである。
登山口に下り立ち、ここから1時間ほどの林道歩きとなる。
歩いているうちに数人に抜かれる。抜いた人の背中を見るたびに、ああ今17年前の自分に抜かれた、と思ってしまう。早くこの事実を受け入れるようにしなければ。
ゲートを過ぎ、舗装道路になったところで再び、右手の沢沿いに下りて山道に入る。駐車場へはこちらから行った方が近道になるとのことだ。以前は林道を歩き切って国道に出ていたと思う。
後で地図を見てみると、どちらも距離や時間はあまり変わらなそうだった。いったん舗装道路に出たのだから、そのまま素直に林道歩きでもよかったと思う。いないとは思うが、こんな山道でヒルに出会ったらいやなので。
元橋駐車場に戻ってきた。今日はお日様にあまり恵まれない1日だったが、さすが平標山、9月でも花の多いことを再認識した。
そして何をおいてもこの山ならではの気持ちよい登山道、圧倒的な胸のすく眺望を今回も楽しむことができてよかった。
駐車場からは群馬側に少し走り、雪ささの湯で汗を流していく。混雑はしていない。登山者でにぎわう山を離れると、観光場所はどこも人も少なく、寂しい限りだ。
湯沢には戻らず、国道で三国峠を越えて帰路につく。