ヒカゲツツジで有名な坪山に登る。
坪山は冬に1回だけ登ったことがあり、山頂の展望がよい反面、主稜線は尾根がやせ崩れ気味のところもあり、不安定な山である印象を持っていた。しかし坪山は何と言っても、ヒカゲツツジ、イワウチワ、イワカガミといった春の花が最大の魅力で、今の時期は当然多くの登山者が繰り出してくる。
問題はバスや登山道の混雑度合いだが、この時期に限りバス増発があるようなので、朝早い臨時便を期待して少し早めに出発した。
西尾根のヒカゲツツジ
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7時半より少し前に上野原駅に着く。通常のバス時刻表では8時10分発の飯尾方面行きが直近になるが、バス発着所に行って並ぶ。自分たちの後ろにはたちまち列ができ、7時55分発で臨時バスが出ることとなった。
バス会社の人の会話を聞くと、どうも30名以上の乗客がいれば増発するようだ。バスの座席が全部埋まるのが30名である。坪山登山口の八ツ田までは50分ほどかかるので、皆座っていけるようにという計らいがあるようだ。
イワウチワやヒカゲツツジ、イワカガミが咲くこの時期は坪山が最も賑やかとなり、地元の人やバス会社にとってはおそらく、一番の書き入れ時である。かといって、無理な詰め込みをしない方針には好感が持てる。
ただ、もう少し早い時間に臨時便が出ることを期待していたが、思ったほど乗客は早く集まらなかった。
バスは芽吹きから淡い新緑色に包まれた山里を行く。天気予報とはうらはらに、山の上の方は厚い雲で覆われている。昨晩の雨は予想より長い時間降っていたようで、回復が遅れている。
権現山登山口の用竹ほか、坪山の手前のバス停でもかなりの人が下りた。
八ツ田で下車し、川沿いの農道を行く。日差しが弱く肌寒い。ミツバツツジが咲き、足元にはスミレやヒトリシズカが見られる。森や空でさえずる野鳥の顔ぶれも、ここ数週間で随分と出揃ってきた。
やがて東尾根、西尾根の分岐になる。ここはもちろん西尾根へ、右に入る。上野原駅バス停にある手書きのコース案内図には、イワウチワやヒカゲツツジは西尾根で一番見られるとある。ちなみに東尾根には上級者コースとの説明の他に「イワウチワなし」とはっきり記されていた。花の坪山は西尾根が一番の人気である。
右下方に沢が流れるいる崖状のトラバース道は、昨日の雨で滑りやすくなっていた。ロープに頼りながら進むうち、濡れた岩にスリップして転倒してしまう。ロープにつかまっていなければ崖下の沢に落ちていたかもしれない。危ないところだった。
やがて尾根の登りとなって一安心。今日の行程は短いが岩の多い山ゆえ侮ってはならず、雨後は特に注意しなければならない。
萱場のような平坦地に出た後、尾根上の直登となる。このルートは総じて急坂が多い。元々は登山道でなかったところを刈り払いして、平成13年に登山道としたそうだ。
自分が山を始めた平成9年の時点では、坪山はハイキング対象としては全く一般的でなく、ヤブ山好きの篤志家が相手にする程度だった。国土地理院の地形図にも坪山の山名は載っていない。
急登がついえるとやせ尾根になり、いよいよ「岩うちわ群生地」の案内表示が。しかし葉っぱばかりで花は少ない。咲いているのもみな下を向いているか、地面に落ちているものが多い。
昨日の雨でずいぶん落ちてしまったようで、イワウチワの見頃は先週中だったようである。
ヒカゲツツジは高度を上げるにしたがい、どんどん花数が増えていった。岩がちの尾根は足場が悪く、対面者がいたらすれ違いに苦労するような狭さだ。
背後に展望が開けるようになるとヒカゲツツジはさらに密度を増し、トンネルのようになっているところも。イワウチワがほとんど終わっていたがヒカゲツツジはドンピシャリだったようた。ミツバツツジも咲き始めており鮮やかなピンク色の花がアクセントになっている。
やがて「岩カガミ群生地」の表示に出会う。イワウチワと違ってこちらの葉には光沢があるので区別がつく。イワウチワ、ヒカゲツツジ、イワカガミと、春の坪山を彩る3つの花は花期が少しずつずれている。
今日は開花したイワカガミを見つけることはできず、まだ少し先か、あるいは今年はイワカガミの裏年なのかもしれない。もう2週間ほど経たないとはっきりしないだろう。
1時間近く続いたヒカゲツツジ鑑賞タイムもそろそろ終わり。岩や木の根の張り出した歩きにくい道となる。急なところにはロープがついており危険というほどではないが、ここがもともと登山道として使われてなかったことがうなずける。
ゴール手前になってさらにきつい登りとなり、細尾根の両側にロープが何本もつけられていて、両手でつかまりながら登っていく。
人の声が聞こえ、登りが終わったところが坪山山頂だった。最後はなかなか大変な道だったが、登り切って一安心。山頂は広くはなく、多くの登山者で腰を下ろすところもなかなか見つからない状態だ。
山頂が数坪しかないから坪山と呼ばれるようになったとの説もある。
眺めは広いが、冬に登った時に比べるといくぶん樹林が展望の妨げになる。登りの間、日が差す時間もあったもののここまで空模様は回復せず、三頭山も山頂付近に雲がかかっていた。
休憩しているうちに、8時10分の定期便でやってきた登山者が大挙登ってきたようで、山頂はさらに混雑の度を増す。びりゅう館方面へ下ることにする。
地図を見ると、西尾根から登ってきたら阿寺沢・びりゅう館への下山路は左方向のように思えるが、意外にも右なので間違いやすい。急坂の尾根筋は大きく回り込んで東方向に向きを変えていく。ヤセ尾根は右側が鋭く切れ落ちており、もし木がないと高度感にさらされるところだ。
木々は冬の姿のままだが、ミツバツツジは随所で咲いていて、ヒカゲツツジもたまに見られる。次の小さなピークでは、混雑した山頂で休憩をあきらめたグループが腰を下ろしていた。
その後も細かなアップダウンを繰り返しながら、緩やかに高度を落としていく。今日は出だしで濡れた登山道でスリップしたので、ちょっとした下りでも足運びが無意識に慎重になっている。
登山道になんとサワガニが一匹いた。ヤセ尾根道で水の流れも全くないところなのに不思議である。
芽吹いたばかりの樹林帯に入り、どことなくほのかな香りが漂い始める。冬から春にかけては、森を歩くとそれまではなかった草木の発する香りがあることに気づかされる。人間の五感の中では、最初に鼻(嗅覚)で季節の変わり目を体感することは意外と多い。
やがて阿寺沢への道を分ける。阿寺沢方面には「この先道荒れている」の表示があった。前回はここを登ってきたのだが、そんな難路だったか記憶がない。
麓が見え始めると、足元にはヒトリシズカやヒナスミレ、エイザンスミレ、イカリソウ、ミミガタテンナンショウなどが見られるようになる。ヤブレガサも春の雰囲気を感じさせるいでたちの野草である。
びりゅう館前の登山口に下り立つ。臨時増発のバスが待っているが、びりゅう館で食事をしていくことにした。
びりゅう館は売店と食堂があり、登山客のほかMTBの人や一般の観光客もきていて賑わっていた。
今の時期は登山者が一番のお得意さんであろうが、ほかの季節はどうなのだろう。坪山は年間を通して登山者で賑わうような山でもなく、かといって近くにこれといった観光スポットがあるわけでもないので、それで営業が成り立っているのが不思議に思う。夏や秋は釣り客を相手にしているのかもしれない。日帰り温泉でもあれば集客に困らなさそうではあるが。
一番人気という天ざるを注文する。菜の花、コゴミ、ウドの芽などの天ぷらが美味しく、そばも蕎麦の香りと味がした。
今日は花の山、坪山の魅力に目、耳、鼻で触れ、最後には山の恵みを舌で十分に堪能することができた。春の山は人間の五感を研ぎ澄まさせてくれる。
周囲はすっかり晴れ上がり、眩しいほどの青空となった。欲を言えば、もう少し早い時間に天候が回復してほしかった。
びりゅう館発の臨時バスで上野原駅に戻る。