高尾山稜の南、東京都と接する神奈川側にいくつもの低山があるがずっと空白地帯となっていた。昨年、城山かたくりの里から城山湖に至る里山歩きは明るい尾根道が続きなかなかよかった。東京の自宅からも近く、早春の時期に今後いくつか巡ってみたい。今回は相模原市の西、津久井湖の南にある城山に登る。
戦国時代、小田原城の北条氏が軍事上の要衝として甲斐国・相模国境にいくつもの支城を築き上げた。そのため、この付近には城山という名前の山が複数ある。八王子城山、小仏城山、そしてこの津久井城山。城山をつなげての縦走も可能だ。
峯の薬師から、津久井湖と津久井城山を望む [拡大 ]
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京王線橋本駅からバスでアプローチする。城山登山口バス停で降りて歩き出す。
車道が交差し、コンクリートに囲まれた都市近郊の風景だ。歩道橋を渡ると下に、リニア実験線のようなトンネル状の道路が伸びていた。これは圏央道だろう。小倉登山口は幹線道路沿い、尾根の末端にありポストがあった。城山の案内図が入っていたのでもらっていく。
登山道は湿っているためか、木道がしばらく続く。コースは男坂と女坂に分かれており、男坂を行く。すぐに尾根へのとりつき登りで、5分ほどで尾根へ。
十兵衛山の展望台に着く。相模原の市街地が望める。案内図では相模川が作り出した河岸段丘が見られるとのことだ。言われてみればそのようにも見えるが、地形学は全く詳しくない。
向きを180度変え、城山への登路となる。ヤセた登山道は樹林の尾根道で、その割には木々の間から眺めがきき、なかなかいい道だ。アオキ、アラカシといった常緑樹のほかケヤキ、シデとみられる落葉樹も見られる。
しばらくはのんびりした道だったが次第に傾斜を増し、補助柵のついた急登となる。尾根がやせてくるほど大木が増えてくるのが不思議だ。案内図では「くさり場、急峻で危険」と記されているが、鎖場ではなく鎖製の柵(ガードレール)である。
傾斜が緩むと「鷹射場」という平坦地に出る。眺めがよくほっとできる場所だ。相模川沿いの河岸段丘がここからはよくわかる。シキミがクリーム色の花をたわわにつけており、少しずつ季節が進んでいるのを感じる。
緩く上下しながら奥深く入っていくうち、周囲は城の痕跡が多くみられるようになる。飯縄神社の社を前後して烽火台や堀切、土塁などが現れる。人間が作った地形とは言え、普通に山で見る段差と違うようなところはない。
本城のあった津久井城山山頂に着く。周囲は高い土塁で盛り上がっている。これほど城跡らしい形が残されているのも珍しい。照葉樹を中心とした樹林に囲まれているが意外と眺めはきき、丹沢山塊や津久井湖がよく見える。ヤブツバキが鮮やかな朱色の花を咲かせていた。
津久井城山だけではやはり物足りない。考えていたのは、一度下山して峯の薬師から南高尾山稜につなぐルートだ。峯の薬師はまだ行ったことがなく、南高尾山稜も10年以上前に途中まで歩いただけだった。どこまで歩けるかわからないが、時間も早いし、予定通り進むことにした。
津久井湖に向けて城山の北面を下る。さらに右手の荒川登山道は、台風の影響で通れないらしい。南関東の山は台風19号の影響が今なお残っている。
下っている小網登山道は途中でジグザグを切っていくが、このあたりは低山らしい落ち着いた静かな雰囲気があった。
住宅街の上、高台の登山口に下り立つ。ロッジ風の小屋は北根小屋だろうか。正面遠くには山並みが連なっているが、足元は住宅密集地で、ちょっと不思議な光景である。コンクリートの坂道を下ってその住宅地に入る。バス通りに出て振り返ると、城山が端正な三角形でそびえていた。
津久井湖を三井大橋で渡る。しばらくは車道を歩いていく。梅がきれいに咲いている。
どこかに峯の薬師に至る登山道入り口があったようだが気づくことができず、そのまま車道を歩いていく。人家が尽きたところで峯の薬師入口のバス停、そのすぐ先に登山道が続いていた。登山道というよりも峯の薬師への表参道である。
ここもシラカシなど照葉樹林が多いが、明るい登山道だ。日当たりの良い斜面に今年初めてのスミレを見る。
登り着いたところは広場になっており、「姿三四郎決闘の場」との石碑がある。峯の薬師の境内に上がると、手すり越しに広い眺めが得られた。津久井湖の向こうに城山も見える。
さらに進む。奥の院で小休憩し、ようやく平坦になった登山道を進む。アンテナ設備のようなものがあり、何となく見覚えのある風景を過ぎると三沢峠に着いた。ここからは高尾の山域となる。とたんに歩く人が多くなった。
尾根道を歩き泰光寺山を越える。南高尾山稜は巻き道を歩く部分が多く、トレランの人を中心に巻き道利用者がほとんどだ。
木製のベンチを作っているグループがいた。倒木材で作っているという。台風の影響で倒木も多く発生したのだろう。ベンチはこの後至る所にできていた。
今日歩いてきた津久井城山や峯の薬師と比べ、この山稜は杉の人工林が多くなる。花粉の直撃を受け目がかゆい。
南側は樹林の隙間から眺めの得られる場所もあり、中沢山手前の展望地ではてっぺんだけ顔を出した富士山とともに大きな眺めが広がった。眼下に流れているのはてっきり川かと思ったら、津久井湖だった。この人造湖は東西に細長く、津久井城山からずっと続いていることになる。この先すぐにダムがあって、そこからは相模川と名前を変えて相模湖に注がれるようである。
コンピラ山は明るく、ベンチもあった。前回はここを大洞山と勘違いし、南高尾山稜の最高点に達したと思って引き返したのだった。その時なかった山名板は今はちゃんとある。
注意書きの張り紙があり、「大垂水峠への下山路は崩壊していて通り抜け不可」。突然出てきたお知らせに困惑する。もっと手前で表示していてほしかった。ここまで来て、この先の大洞山から引き返さなければならなくなるのは勘弁してほしい。
その大洞山へはちょっとした険しい登りとなる。しかし距離は短く、南側が人工林の大洞山に到着。10数年来の課題が克服できた。風が吹きすさび寒いが、ラーメンとコーヒーでしのぐ。
大垂水峠側から何人もの人が登ってきている。聞くと、大垂水峠手前の崩壊地は迂回路ができていて通行可能ということだった。一安心。
大垂水峠へ下る。初めて来たこの峠は何の変哲もない、車道の通じる切通しだった。
バス停があり、ここから高尾・八王子または相模湖駅へ帰ることができる。バス便にちょうどいい時間に下ってきたのだが、今日はまだ登る。
1.9km登っての小仏城山なら、城山から城山へとなる。しかしあまりにも当たり前すぎるので、あまのじゃく精神で今日は高尾山の方へ行く。
大垂水峠からの道は、きつくもなく歩きやすい登山道だった。歩く人が少ないのでどうかと思っていたが、さすが高尾山、どの道も整備が行き届いている。
林道出合に出る。ここから一丁平に上がる道もあったが、少し林道を歩いて紅葉台近くの分岐から主稜線に合流することにする。しかしこれが大きな選択ミスとなる。その稜線に上がる道が通行止めだった。仕方がないのでこのまま林道を進む。
この高尾林道(大平林道)は主稜線から数10m~100m程度の下部を通っていて、このままいくと稲荷山コースに合流するとのことだが、登山地図には赤線表示で現わされていない。これがやたらと長い。1時間以上歩かされていい加減いやになってきた。主稜線へは直線距離でほんの10mくらいしか離れていないところもあるのだが、急崖で踏み跡もない。日当たりのいい場所にスミレを見たり、ヒサカキの花をが咲いていたりしたのがせめてもの収穫だ。
林道がカーブするところで山側に細道がついていた。高尾山にしては険しい、道の悪い登りである。しばらくすると稲荷山コースに出てホッとする。ここからはまだ多くの登山者といっしょに歩いて山頂に寄るのみだ。
高尾山山頂は午後3時過ぎ。大垂水峠から1時間45分もかかってしまった。それにしても山頂は多くの人、人、人。コロナ肺炎関連で自粛の動きでもあるのかと思われていたが杞憂。山の上は究極のオープンエアだから感染の恐れは低いと思うが、高尾山のような混雑が半端でない山となると、リスクはゼロとは言えないかもしれない。
4号路、金比羅道を使って下山とする。京王高尾山口駅への帰還は5時になった。今日は諦めの悪い山歩きというか、よくここまで歩いたものだ。
来週になると低山では早春の花も少しずつ見られていくだろう。これを楽しみにしていきたい。