宵の口はよく眠れたが、人いきれの熱で息苦しく、夜中に目を覚ました後はなかなか寝付けなかった。やや睡眠不足のまま起床予定の4時半を過ぎた。
駒峰ヒュッテのテラスで軽く食事を作って食べ、目の前の高みを目指す。空木岳山頂で日の出を迎えた。
甲斐駒の仙水峠あたりから朝日が昇る。空木岳山頂より
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昨日見られなかった南アルプスのシルエットが朝焼けに映えて素晴らしい。眼下にはまだ夜の光が瞬く駒ヶ根の町並み。太陽は甲斐駒の横から出てきた。そして塩見岳の後ろに、富士山が頭だけ出している。
上空は雲が多いが、周囲の山々は全方位遠くまで、余すところなく見えている。山座同定はこの後、少し明るくなってからにしよう。
多くの人は空身で登ってきていて、池山尾根を下るために間もなく小屋に戻っていった。稜線縦走者はあまりおらず、せいぜい10数名くらいか。南側に見える大きな山、南駒ヶ岳目指して歩き始める。
大きな岩が積み重なる、しかし緩やかなアップダウンが続く。ハイマツも多くて、岩の間に生えるウラシマツツジは紅葉し、ガンコウランは黒い実をつけていた。9月にしては彩りの豊かな稜線である。
青空も見えるが上空は雲が多くを占め、太陽の光はおぼろげだ。それでも四囲の展望は素晴らしく、遠ざかる空木岳の後ろに木曽駒と宝剣岳、さらに遠くに槍・穂高もはっきり見える。北西から西にかけては乗鞍から木曽御嶽山が主役である。
日光がギラギラしていないせいか、大気は揺らぐこともなく澄み切って、すっきりした眺望が得られている。
縦走最初のピークが赤椰(あかなぎ)岳。来た方向に空木岳、これから行く方向に南駒と、巨体に挟まれた展望の山である。南アルプスの左に八ヶ岳、浅間山、そしてはるか遠くに妙高・火打・焼山の頚城三山も。
赤椰岳から先も、巨岩と白砂青松の道。花崗岩主体の山は明るくて開放感がある。
鞍部に下ると摺鉢避難小屋への分岐がある。ゆったりした長い登りを経て、南駒ヶ岳山頂に着く。四方に大きな尾根を張り出し、まさに威風堂々としたすばらしい山容である。この一帯ではむしろ、空木岳よりも存在感が大きく思える。
南西方向の山もよく見えるようになり、軍艦のように図体の大きな山は恵那山、その少し手前に控え目にわだかまるのは南木曽岳だ。どれも個性的な山容なので同定がしやすい。そしてもちろん、これから行く越百山も緑濃い稜線上に優美な姿を見せている。
また西方向の彼方かすかに見えているのは伊吹山だろうか。新潟の妙高山までみえているのだから、同程度の距離である滋賀の山まで見えても不思議ではない。中央アルプスは日本列島の中央に位置しているので、見える山の範囲は北アルプスや南アルプスを凌いでいる。全方位均等の山岳展望が得られるのが中央アルプスの魅力であろう。
先ほどから前を行っていた人は、ここ南駒ヶ岳で引き返すという。池山尾根から登ってきてピストンだそうだ。空木岳でなく、この南駒まで来たいという気持ちはよくわかる。
南駒から越百山まで、コースタイムでは2時間ということなのだが、そんなにかかりそうに見えない。伊奈川ダムに直接下る道が分岐しているが、アップダウンが激しそうだ。しかしむしろそちらのほうが尾根上は主稜線になっている。
仙涯嶺へは左の尾根に移るように下っていく。標高を落し、駒ヶ根側の斜面をトラバースするあたりは岩場が多く、やや険しさが増した。ロープのついた10mほどの岩壁をへつる。足の置ける幅は50cmくらい。ここは右手が切れ落ちている写真を以前から見ていたが、見た目ほど恐怖感はなかった。むしろその先の急斜面の岩場はガレていて要注意。逆方向のとき神経を使うだろう。
仙涯嶺直下の岩壁をへつる部分。実際歩いてみるとそれほど恐さはなかった
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切れ落ちたロープ場 |
仙涯嶺頂上直下付近より、岩の小ピーク越しに南駒ヶ岳を見上げる
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岩塔越しに |
仙涯嶺より先は、白砂の稜線からハイマツ帯に移行し、歩きやすくなる。正面左に越百山の優美な山体
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白砂の稜線 |
ウラシマツツジの紅葉と、黒い実をつけたガンコウラン
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秋の気配 |
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越百山頂上 |
越百山山頂から、赤い屋根の越百小屋が見える。伊奈川ダムへの下山路は、その後ろの福栃山を右から巻きくようについている
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赤い屋根 |
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紅葉始め |
越百小屋。管理人棟と宿泊客用の小屋は別になっている
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越百小屋 |
以前は「御岳展望台」と書かれていたのだろう、今は樹林が伸びて御嶽山どころか他の山の稜線も見えない(冬は見えるかもしれない)
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・・・展望台 |
上のコルから下ると、ヒノキの根がはびこる「やせ馬の背」となる。距離は短い
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やせ馬の背 |
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もう少しで林道 |
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さっき南駒ヶ岳でこの稜線を見たときは次のピークまですぐ着きそうに思えたが、岩場の通過で時間はそれなりにかかった。
越百山方面からやって来る登山者とすれ違う。昨日は越百小屋泊まりだったのだろうか。
再び木曽側の斜面を行く。岩場の急登が続くが、足元は安定している。そこを乗り越えると一転、穏やかなハイマツ帯の尾根になった。
空に向かってそびえている岩塔が山頂と思い、一気に登る。ここもすばらしい展望。すぐ下を見ると、さっき通り過ぎた台地に仙涯嶺の山名板が設置されているのが見えた。
縦走路最後の峰へ向かう。険しい岩稜はしばらく続くが、越百山に近づくにつれて白砂とハイマツの穏やかな尾根に変わっていく。ガレもなくなり、縦走路ではこの付近が一番快適である。
南アルプスや恵那山方面は雲に隠され始めていた。周囲でまだ雲が被ってないのはこの稜線くらいである。
緩やかな長い登りを経て、手前のピークを越えて越百山へ到着する。山頂部は岩の積み重なった最高点から少し下ったところにあった。
伊奈川方面への下山路には越百小屋の赤い屋根、左手には南越百山からさらに続く稜線がよく見える。今日歩いた縦走路はガレ場の巨峰、ゴツゴツの岩峰、なだらかで優美な山と個性のある峰で結ばれていて、変化があって楽しい行程であった。
このあたりで風が出て、恵那山方面からやって来た雲がここにもかかってきた。たちまちのうちに視界ゼロに。コーヒーを沸かして下山とする。
空木岳からここまで、200mくらい高度を落としているので、下り始めるとすぐにハイマツは減って、ナナカマドなどの低潅木が現れてきた。もうすでに赤くなった葉を見ながらガスっぽくなった尾根を下る。
シラビソの樹林帯に入って、越百小屋が見えてからが意外と長く、最後は少しばかり登り返して越百小屋に着いた。昔ながらのこじんまりした小屋だが、屋根と壁の赤色が少々どぎつ過ぎないか。
ここの小屋番さんは少々変わり者らしいが、もう宿泊者も皆出発しているようで、小屋周辺はひっそりして人の気配を感じない。トイレを借りて登山道に戻る。
目の前の福栃山を回り込むように若干の登り返しとなる。伊奈川ダムまでの道は、小屋から3時間45分。登路と同様、こちらもそんなにかかるとは思っていないのだが、水場を経て見晴台までの行程はコースタイムとほぼ同じだった。見晴台といっても眺めはほとんどない。
低い笹に覆われた登山道は、シャクナゲなどの黒木が多く深山の雰囲気が漂う。緩急を繰り返しながらどこまでも続いている感じだ。大きなジグザグ道は転回点に来ると木曽側の山が眺められたりする。ただしやはり単調さは拭えないため、登りはつらいだろう。今回は空木岳を先に登り、こちら側を下山路にして自分的には正解だった。
上のコル付近、縦走路からぬきつ抜かれつだった人が休んでいた。もう歩き飽きて疲れてしまったという。また登り返しとなり、再度下り始めるとヒノキの根が張り出した尾根になった。「ヤセ馬の背」という標識が立っている。中腹でヒノキ林のヤセ尾根が出てくるのは上越や魚沼の高山でよく見かける。こういうやせた尾根はヒノキにとってなぜか生育しやすい場所のようである。
下りきったところが下のコルだった。登山口まで30分の表示。上のコルからこのあたりまで、コースタイムを大幅に短縮している。どうも中央アルプスの登山地図は、コースタイムの付け方に偏りがあるように思う。雪の多い地域ではないので、季節によってそれほど差が出るとも思えない。
すっかり気温も上がり、日差し戻る中ジグザグの急坂を下る。途中の水場で水を補給し、沢音がだんだん大きくなってくるのを励みに、ひたすら下る。
やがて道は傾斜を失い、堰堤の横に出た。ケサ沢林道の通る福栃平はそのすぐ先だった。南駒ヶ岳から直接下ってくる道が合流している。
ここからは靴紐を緩めて、下り勾配の林道を歩く。40分ほどで出発地点のケサ沢駐車場に到着。停まっている車まもうまばらである。周回コースとしては充実感たっぷりの、いい2日間だった。
須原駅前まで戻り、帰りはもちろん、国道19号を北上し塩尻まで下道で行く
。東京への帰り道としてはこっちのほうが断然早い。
国道19号はいわゆる中山道であり、蕎麦屋や道の駅に混じって宿場跡をよく見かける。双方1車線なので渋滞するとつらそうだが、急ぐ車もなく時間がゆっくり流れている感じがした。
リニア新幹線ができるとこのあたりも少し雰囲気は変わってくるのだろうか。
のんびり泊まっていきたい気もするが、明日は仕事なので、日帰り入浴する時間も惜しんで早めに帰るとする。しかし中央自動車道は、山梨県に入ってから大渋滞になってしまった。