2009年9月13日(日)~9月14日(月) |
刃渡りから先は、黒木の静かな道がしばらく続く。黒戸山(2254m)を巻きながら緩く登高していく。このあたりでようやく標高2000mを越えたか。 ほどなく、祠のある刀利天狗(とうりでんぐ)に着く。荘厳な森をなおも登っていくが、ところどころで眺めもきく。地蔵岳のオベリスクと、富士山が眺められる場所があった。
使う人が少なくなったといわれる黒戸尾根だが、意外と下ってくる人は多い。今の時間に会うということは、北沢峠から甲斐駒に登り、一気に下ってきたのだろう。 黒戸山を巻き終えると、はっきりした下りとなり五合目に着く。以前はここに小屋があったそうだが、材木が数本積まれているだけで、小屋の影も形もない。 進む先に甲斐駒の頂上部だろうか、いくつものピークを分けて天高くそびえている峰を見上げる。まだまだ高いが、近くに見える。 今日の目的地、七丈小屋は、見えているピークのどのへんにあるのだろうか。 草地を少し下り、祠を見た先から、いよいよ黒戸尾根の名物、梯子と鎖の登りが始まった。 特に梯子は無数に出てくる。傾斜がそれほどないところでは、梯子に沿って補助ロープもつけられており、それにつかまって渡ることになる。長年歩かれてきた道らしく、整備に無駄がなく工夫が施されている。
鎖場も多種多様で、ほぼ垂直の岩につけられている所もあってスリルを楽しめる。 岩には、足を置く丁度の場所に窪みがあって、足場を探す苦労がほとんどない。これは長年、登山者のつま先で突かれ続けて出来たものなのだろうか。寺や庭園にある庭石が、滴り落ちる水滴で長い年月をかけて削られている図を思い出す。 岩場が好きな人はこういうのは物足らないかもしれない。しかし自分は、今年これほどの岩場を登っていないせいか、動きが何となく重く、ぎこちない。ひとつひとつこなしていくのが精一杯だ。 夏は剱岳も行きたかった、などと思っていたが、こんな状態で行ったら、とんでもないことになっていたかもしれない。 緩急織り交ぜ、高度を稼いでいく。そろそろかな、と思っていたらじきに三角の屋根が目の前に現われた。七丈小屋に到着する。歩き始めから6時間足らずで着いてしまった。 きつい行程だったが、もう少し骨のある登りを予想してもいた。しかし明日の登りがまだ残っている。
七丈小屋は、ヘリによる荷揚作業が不調のため、食事の用意が出来ないとのことだ。もともと自炊のつもりでやって来たので問題はなかったが、事前には知らなかったことなので、もし食事をあてにしていたら青くなっていただろう。しかしカップ麺やパン、アルファ米などは買えるので何も食べられないことはない。もちろんビールもある。 小屋番さんによると、山小屋の運営に酒と灯油は欠かせないので、これだけは必ず切らさないようにしているとのこと。この日もストーブがたかれていた。灯油の火は、ガスや電気によるものに比べ何故かほっとする。 この日の宿泊者は4名。もともと混雑する小屋ではないし、9月の日曜の晩なのでこんなものだろう。長屋造りで個室などはなく、素朴で山小屋らしい山小屋という印象がある。 山小屋の経営はますます苦しくなったと言う。小泉政権以降、地方分権ということで、ちょっとした修理や資材の調達をするのにも、以前には必要のなかった書類を何枚も書き、相応の手続きをしなければならなくなったそうだ。そういう状況で、電話やメールは今や必需品だという。 水を汲みに小屋前に出たら、県による水質検査結果の紙が貼られていた。山小屋の水場では、初めて見た。 七丈小屋の水は合格らしいが、こんなものにまでお墨付きが必要になっては、今に山小屋の水はどこも飲めなくなってしまうではないか。 そういうことに対応できる、設備の充実した大きな小屋だけがこれからは残り、昔ながらの小屋は淘汰されていく。山も格差の時代なのである。 |