今日は聖岳を往復してから茶臼小屋まで、8時間を超える長い行程である。時間だけではない。聖平小屋から聖頂上までの標高差は750m。それを登り下りしてからさらに縦走路で標高差520mを登るという、文字で書くととんでもないコースに思える。
同宿の人達はみな、暗いうちから出発していく。5時前には素泊まり部屋にいる人は数人になっていた。自分も早く行動開始しなければならないのだが、相変わらず寝起きが悪くて5時の出発となった。自炊用具などは小屋に置いて聖岳を目指す。
南岳から見る上河内岳。縦走路は二重山稜の間の窪地を通っていく
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外はまだ真っ暗なため、ヘッドランプをつけていく。木道を進み、T字分岐で昨日少し歩いた茶臼岳方面への道を分ける。草付きの斜面をゆるゆると進む。マツムシソウが咲いていたが、暗がりなので下山してきたときに観察することにする。
小聖岳に取り付く前に、樹林帯の小さなピークを登り下りする。東の空が赤らんできた。山の後ろに富士山の上部が覗いている。やがて、富士山の左からご来光を拝む。
早くも山頂ピストンの人が一人下りてきた。いったい何時から登り始めたのだろう。聖平小屋から聖岳往復は、コースタイムで5時間以上かかる。最近は走る人も多いので、それなら半分くらいで登り下りできるだろうか。
明るくなったのでヘッドランプを消す。笹とダケカンバ帯を抜けてハイマツの斜面へ。ジグザグに登って小聖岳に着く。昨日の2561m峰から正対して見た小聖岳は樹林帯の山の様相だったが、上部は森林限界で山頂はすっかり高山の趣である。ここからは何と言っても主峰、聖岳の大きさ、高さに圧倒される。昨日の登路から望む聖岳ははるか上だったが、今日こんな近くまで来ても、この山はまだまだ見上げる所にある。
小聖岳からは岩稜を伝っての登りとなる。富士山や南アルプス東側の山、背後には上河内岳や光岳などの山稜の眺めが大きく広がる。ヤセ尾根登降の後はガレ、ザレのジグザグの急斜面が始まる。
上には山頂部と青空以外見えるものはない。このまま聖岳のピークまで続いていそうだ。下山時に注意を要するような、バランスを崩しやすい所があって気が抜けないが、振り返り見るパノラマの眺めに励まされる。気がかりだった2日目の空模様であるが、少なくとも午前中はこの澄み切った青空を満喫できそうだ。
水の流れる音が聞こえる。岩から水が湧き出して、小さな滝状になっている。こんな標高2750mを越えるような、しかも残雪もないガラガラの所から水が湧くとは驚きだ。一部のガイドにはここに水場の印をつけていいるが、岩場を少し下降する必要があるため、ここで水を得ようとするのは少し危険かもしれない。
なおも急斜面を登り詰めて、待望の聖岳山頂に到着する。360度の展望でまず目に入るのはやはり赤石岳だ。山頂に避難小屋が見える。直線距離的にはかなり近そうに見えるが縦走となると2日がかりである。両隣に顔を出している高峰は悪沢岳と仙丈ヶ岳だろうか。百閒洞の小屋も見える。
登ってきた方角には上河内、茶臼、光岳、そして深南部の大無間山も特徴あるラインを描いている。
富士山の方角には笊ヶ岳と布引山、小屋からも見えていた生木割。笊ヶ岳や深南部の山はまだ未踏のエリアだが、今日を機会に少し近い存在になった。
なおこの聖岳の山頂は、山名で言えば前聖岳が正確で、「聖岳」とは東にある奥聖岳(あるいはその先の東聖岳も含めて?)を総称した呼び名のようである。国土地理院の地形図もそのような形で表記されている。
思ったより早く登頂できたので、その奥聖岳まで足を伸ばすことにする。岩ゴツゴツの尾根から爽快な稜線を15分ほど歩くと、奥聖岳である。富士山の眺めはこちらのほうがいい。八ヶ岳や北アルプスも確認できた。ここから見る八ヶ岳は横長の穏やかな山稜という印象で、他の山からの見え方とずいぶん違う。
聖岳に戻る。あれほど大勢いた登山者もほとんど下ってしまった。一部は百閒洞方面に縦走する人も多い。すっかり静かになった山頂で休憩の後下山する。
下りはやはり急坂である。雲が増えてきたが、小聖岳からはまだ青空の下に輝く聖岳が拝められた。
大きなザックを背負った人が、ポツポツと登ってくる。テント泊ののんびり派か、はたまた茶臼から縦走して来た人か。現在8時過ぎ、時間的には茶臼小屋を夜明け前に出てくれば無理なことではない。とにかくこの山域に来る人は健脚揃いである。自分が一番遅い下山者になっているのもしょうがないことか。
薊畑はヤマハハコやウメバチソウ、そしてマルバダケブキの茎が多く残っていて、盛夏時にはお花畑となりそう。樹林帯を抜けると朝見たマツムシソウの咲く斜面。まだ10輪ほど咲き残っていた。そばにリンドウも数多く咲いている。
標高差750mの登り下り、やはりかなり足を使った。聖平小屋に戻って少し休む。宿泊者はもう残っていない。早くも本日宿泊予定の幕営者がいた。聖平小屋は明日で小屋閉めとなる。従業員が壁の塗料を塗り直したり補修したりと、今年最後の作業に追われていた。
水を補給し茶臼小屋に向け出発する。まずは南岳までの登り直しである。昨日2561m点まで登っているので、登山道の状態がある程度わかっているのが救いだが、聖岳の登降で消費したエネルギーがまだ回復しておらず、昨日より時間がかかってしまった。
2561mを越え、南岳に向けてガレ場の縁を登っていく。南岳の斜面はかなり色づいている。背後の聖岳はまだよく見えているが、周囲は雲がずいぶん増えてきた。南岳も展望がよく、上河内岳の大きさが実感できる。ここからは大きな登りが続くところはないはずないので、ほっと一息といったところだ。
上河内岳へ歩を進める。鞍部にはマツムシソウが残っていた。上河内岳は二重山稜のようになっていて、登山道はちょうどその山稜の間の窪地を縫うように続いている。上河内岳の肩にザックを置き、山頂を往復する。聖岳の裏側の山々には雲がかかってしまったが、南へ行くほど青空が多く残っている。
上河内岳山頂も360度の展望で、天気がよければ富士山の好展望台になりそうだ。今日はすでに富士山は雲の中に隠れてしまった。
肩に戻る。それにしても登山者とすれ違うのが少なく、また3,4人としか会っていない。聖岳の賑わいと駐車場の混雑を考えると少々不思議だ。これも山が大きい証しなのだろう。
岩尾根を下っていく。竹内門という岩の間をくぐる場所を過ぎると快適な稜線歩きがしばらく続いた。曇り空で少し肌寒いが、広い眺めは失せることがない。背の低いダケカンバ帯を過ぎて緩く下っていくと、色づき始めた湿地帯に入る。ここも夏は花が咲きそうだ。
振り返ると上河内岳が意外な尖峰で聳えている。小さなザックで歩いてくる人とすれ違う。茶臼岳の宿泊者だろうか。
このまま緩やかな下りで今日は終了か、と思っていたら、道は登り返しに入った。この先で、左のピークの稜線と合流するようである。樹林帯に戻って石ガラガラの部分を登っていくと、再びあたりが開け、砂礫の稜線に合流する。
形的には特徴のない茶臼岳がいよいよ正面に。その手前で茶臼小屋に下る分岐があった。
天気が持っていれば今日のうちに茶臼岳へ登ってもよかったが、それは明日の楽しみにして今日は小屋へ下る。ハイマツと草の斜面を下り、切り立った急斜面の縁に立つ茶臼小屋に到着した。
茶臼小屋も明日で小屋閉めである。というより今日の段階ですでに小屋閉めの準備を大方済ませてしまうようで、客室の窓は全て閉められていた。自家発電で明かりが灯るまでの間、ヘッドランプを使ってくれと言われる。宿泊者は多い。寝床は1人1畳で、余裕だった昨日の聖平小屋と比べると人口密度は2倍だった。
同宿者には、新聞社主催のツアーバス(あるぺん号)を利用してやってきた人が何人かいた。19日夜(木)に東京・竹橋を出発して、翌23日に帰京便が出ること。途中の山行プランは各個人の自由である。このツアーバスは夜行便なのにマイクロバスなので、寝るのが難しいと言う(10月のプランは通常の観光バスとのこと)。
自分が2001年9月に、荒川・赤石岳山行で利用した路線バス(静岡駅~畑薙ダム)は、今は運行期間が8月までになってしまった。だからマイカー以外でここに来るのであれば、秋にはこういうツアーバスやタクシーを使うしかない。車は運転が大変な地域だが、車でなくてもなかなか来にくい場所なのは相変わらずである。
この山域、2027年開業予定のリニア中央新幹線が地中を貫通することになっている。塩見岳の南方「小河内岳」付近にトンネルが掘られるらしい。ただ、早川を越えてから西、天竜川流域までずっとトンネルで(大井川も橋で渡るのではなくトンネルとなる)、南アルプス山域の景観自体は全く変わることもないだろう。ただし付近の交通や宿泊事情は少しは変わってくるかもしれない。もっともまだ先の話であるが。
茶臼小屋の利用者にはやはり光岳まで行く人が多い。南アルプスファンというよりも、百名山目的で来ている人がかなりいるようだ。
明日の好天を信じて、眠りにつく。