~見渡す限りの白銀の風景~ ふゆのてんぐだけ(2640m) 2009年2月9日(月) 晴れ時々曇り
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●日本の屋根を見渡す頂へ やはり天気は下り坂で、空の青い部分が次第に狭くなって来ているのが気がかりだ。はやる心を抑えてじっくり、雪の斜面を進む。 細い尾根になると北東側に、先日噴火した浅間山が望めた。思ったほど噴煙は多く出ていなかった(しかしこの日、再び小さな噴火があった模様)。 さらに少し進むと樹林が切れ、天狗岳の大きな山体が目の前となる。すぐ先がかなりの急登。バランスを取りながら這い上がるが、果たして帰りはこれを下れるのだろうか、ちょっと不安になる。 60センチのピッケルは、ここまで短い感じがしたが、急斜面の登りで使いやすくなった。 ルートには無数の風紋と吹き溜まり、さらに左の崖側には小さな雪庇が出来ている。頂上は近いように見えるが、すぐに達する気配ではない。
右手に常に見える西天狗が本当に真っ白だ。よくテレビで見る北海道や東北の雪山のようである。 少しばかり岩尾根を辿り、再び急な登りを、前爪を駆使して登る。自分の呼気でサングラスが曇り、そのたびに立ち止まって指で拭く。風が強い、しかし言われているほどではない。冬の八ヶ岳は強風で知られているが、耐風姿勢をとるような場面はない。 頂上部の指導標が見えてきた。南八ツの峰々が見えたところが東天狗頂上だった。 空は白っぽくなってしまったがさすが展望の頂だ。赤岳や阿弥陀岳の白い斜面が斜光にキラキラ輝いている。そしてその奥の南アルプス、西天狗の後ろ遠方には中央アルプス、そして頭だけ白い小さな帽子を被った風の蓼科山のはるか先に、北アルプスの稜線がどこまでも連なっている。 天狗岳は日本の三大屋根を余すところなく見渡せる、夏も冬もそれぞれに素晴らしい展望の地である。また奥秩父の眺め、浅間山の左手には奥日光の山も白い姿を見せている。 雪山登山としての核心は、下りだった。登ってきた道を下るだけなのだが、不覚にも靴づれを起こし踵の皮がむけたようで痛い。 問題は登りでわかっていた2箇所の急坂だ。直下降のできない傾斜なので、ジグザグを切るように慎重に足を運ぶが、10本爪アイゼンが急斜面に慣れずに、転倒し数メートルズルズルと滑ってしまった。とっさにピッケルを使って止まることが出来たが、雪の斜面がこれほど滑るとは思わなかった。 さらに下って、風紋のあるもう1箇所の急降下。ここでもバランスを崩して1回転倒したが同じ様に停止できた。アイゼンは例え10本爪でも、フラットに着面しないとしっかりと雪をつかむことが出来ずに滑りやすい。 雪山に慣れた人なら、このくらいの所は何でもないかもしれない。今回はピッケルが単なる棒っきれにならずに済んだのだが、やはり転ばないための技術が必要と感じた。講習などでピッケルの使い方を予習しておくのも大事だが、前爪付きのアイゼンに、事前にもっと慣れておけば随分違っただろう。 難所を通過し、再び天狗の奥庭へ。踵の靴づれも相当痛くなってきた。しかし靴を脱いで確かめるわけにはいかない。 すっかり曇り空になってしまった中、黒百合平へ戻って来る。雪山を上り下りできたことでホッとし、また雪山を登ることの充足感の高さに大いに感激した。ラーメンを食べてゆっくり休憩する。 ピッケルを再度ストックに持ち替え、さらに来た道を下ることにする。 しかし考えてみると、金属の歯の付いた靴で雪深い道を登り、途中でピッケルに持ち替えて高い山に挑戦し、すぐに下ってまた同じ道を歩いて戻る。別に、目的地に行って何かもらって来たわけでもない。ただ高いところに登っただけである、しかも極寒の雪山である。 登山とは本当に単純で非生産的、非効率的な行為であるとつくづく感じた。こんな寒くてつらいことを、よくも何百回と続けてきたものだと思う。 八方台分岐を経てモノトーンの中を黙々と下る。もはや登山者の姿はどこにもいない。背後に天狗岳の大きな存在だけを感じながら、硫黄の香りのする渋ノ湯に下った。 |